閑話 王都の冬支度
冬の足音が近づき、王都ロセリアにも冷たい風が吹き始めていた。街路樹の葉はすっかり落ち、石畳の上を枯れ葉が舞っている。貴族の屋敷では暖炉の準備が始まり、使用人たちが薪を運ぶ姿が増えていく。
そんな王都で今、ある話題が貴族の間を駆け回っている。
「ねえ、北方の眠り布団はもう手に入れて?」
「まだなの! もう品切れで、次の入荷を待っているのよ」
「あれは本当に気持ちいいわ。軽くて暖かくて、朝まで熟睡できるの。産地がリュストアだというのが、また珍しくて」
「ルミナイトの髪飾りもそうよ。あの淡い輝き、他では手に入らないって評判で」
茶会の席でも、夜会の席でも、話題はリュストアへと流れていく。辺境の地の名が、今や王都の中心で囁かれていた。
その知らせを耳にした王妃は、唇をきつく噛みしめる。
「……リュストアの品が、流行しているですって?」
侍女から報告を受けた王妃の声は、低く冷たい。
「は、はい、王妃殿下。北方の眠り布団とルミナイトが、貴族の間で大変な人気だそうです」
王妃は窓の外へ視線を向ける。流行の最先端を逃すことは、王家としての沽券に関わる。
しかも先日、クラリッサが『この宝石をドレスにあしらいたいのです』と無邪気にルミナイトをねだっていた。フレデリックの顔を立てるためには、買わないわけにもいかない。これからの夜会で、貴族たちはこぞって珍しいものを自慢しあうのだから。
「……用意しなさい。ルミナイトを。それから布団も」
「し、しかし、かなり品薄でなかなか手に入らないとのことでして……」
「わたくしを誰だと思っているの⁉︎ いいからさっさと商人の手配をし!」
「か、かしこまりました!」
王妃は扇をぱちんと閉じる。悔しいが、認めるしかない。リュストアの名が王都で広まっている。
(あの女の仕業ね)
銀髪の令嬢の顔が頭に浮かんだ。辺境に追いやったはずが、いつの間にかこんな手を打っていたとは。
「だが、まだよ」
王妃は低く呟く。『呪い』はめでたくも辺境でも花開き、公爵夫妻の夫婦仲も冷え切っているとの報告があった。最初は歩み寄ろうとしていたアメリアもすっかり匙を投げ、最近ではまともに会話を交わさないのだとか。
その手紙を読んだ時、どれほど嬉しかったことか。そんな二人を、煌びやかな王都に招けばきっともっと最高の気分が味わえるはずだ。
たかだか布団や宝石が偶然流行したくらいで、どうにもなるまい。ルミナイトや布団は手痛い出費ではあったが、裏金で賄った資金があるから問題ない。王妃は余裕の笑みを浮かべる。
「金の流れを支配する者こそ、王家の真の力。あの女など、すぐに沈むわ」
どうせその内、大金を手にすることになる。そうなれば、補填したらいいだけだ。
王妃は唇を吊り上げた。
***
その夜のこと。
アルジェント商会が管理する建物に、人影がふたつ現れた。
ひとりは恰幅のいい中年の男、財務院副大臣のラドウィック伯爵だ。もうひとりは、深いフードで顔を隠した女。だが歩き方と、フードの隙間から覗く金の髪飾りに見覚えがある。
(王妃殿下じゃないっすか……!)
アルジェント商会の商人に扮していたカイルは、柱の陰に咄嗟に身を潜めて息を殺す。
ふたりは薄暗い応接室に入り、扉を閉める。完全には聞こえないが、壁越しに声が漏れてくる。
「公爵夫妻は不仲だそうですわね。辺境では呪いが再発しているとか」
「ええ、民は恐れを取り戻しているとか……王妃様のお導きどおりに」
(へえ……やっぱりそういうことっすか)
カイルはほくそ笑む。城で起きた事故の数々、リーナを使った工作。全てが王妃の指示のもとで動いていたという事実が、さらに深まった。アメリアが懸念したとおりだ。
しばらくして、ふたりが応接室を出ていった。
カイルはそれを見送ってから、素早く部屋へ滑り込む。室内をざっと見渡すと、棚の書物が一冊だけ微妙に飛び出していた。
引き出してページをめくると、そこには王妃名義の不明瞭な支出が並んでいる。商会への架空発注、正体不明の受取人への送金——国庫から流れたとしか思えない金の動きだった。
(これは……大当たりっすね)
カイルは素早く要所を書き写し、帳簿を元の位置に戻した。
そっと応接室を出て、目的地へと向かう。ユリシスの命を受けて王都に潜入し、はやひと月ほどが経っていた。表向きはアルジェント商会の使いとして城に出入りしながら、王妃周辺の動きを探っているのだ。
「カイルさん、お疲れ様です」
カイルが入室すると、奥の部屋で書き物をしていたエドマンドが顔を上げた。
銀髪に琥珀の瞳。アメリアとよく似た涼やかな顔立ちだ。
「会長こそ、いつも遅くまでお疲れ様っす。今日も熱心っすね」
エドマンドはカイルの言葉に苦笑しながら、書きかけの書簡を伏せる。
「ええ。色々とまとめに入らないと。さて、王妃の周辺で何か動きはありましたか?」
「さっき、例の二人が来てたっす」
カイルは声を落として、先ほど見聞きしたことを手短に伝える。ちょうど裏帳簿を拝見しようと思って潜んでいたところだったから肝が冷えたが、その分収穫はあった。エドマンドはカイルの話を黙って聞き、やがて静かに口を開く。
「ラドウィック伯爵と王妃が直接動いているとなれば、帳簿の不正もほぼ確実ですね」
「っすね。機会があれば一気に動けますよ」
「姉さんもそれを待っているでしょう。王家に対しては価格を倍以上に吊り上げていますし、これからもどんどん裏金を使うでしょう」
彼らに『王城以外で商談をする場所が必要ではないか』と提案したのも、このエドマンドだった。質の良い商品を優先的に斡旋してもらえると知った二人はこの話に乗ってきた。あの部屋がこうして管理されていることも、高額な商品を売りつけられているとも知らずに。
「本当に、詐欺師は自分が騙されることは想定していないんだな……勉強になりますね」
「そっすねえ! はは」
エドマンドの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。その仄暗い笑みに合わせつつ、姉以外に対しては策略家だと、カイルはこのひと月で学んでいた。
「姉さんは、リュストアで元気にしていましたか」
「めちゃくちゃ元気っす! ユリシス様とも仲良しっす!」
「……それは安心しました」
エドマンドは短くそう言って、また書き物に戻った。その横顔に、姉への心配と信頼が静かに混じっている。
(オレも早くリュストアに戻りたいっす)
カイルは無意識に短剣の組紐に触れる。かつて王都で雑兵として暮らしていた時間の方がずっと長いのに、今ではリュストアが故郷に感じるほどだ。
あの穏やかな時間を守るため、もうしばらくここで働こう——そう、強く心に決めた。
***
数日後、王妃の執務室には第一王子フレデリックが来ていた。
「フレデリック、準備はどうかしら」
「はい、滞りなく進んでいます」
そう答えたフレデリックは、王妃の顔を見て「そういえば」と言葉を繋げる。
「辺境の夫妻は仮面夫婦だそうじゃないですか。僕たちの婚礼の場で暴いてやりたいのですが、母上はどう思います?」
フレデリックがそう提案すると、王妃の唇が弧を描く。
「いいわね。幸せなふりをしている哀れな女を王都の祝宴に引きずり出してやりましょう」
「ええ。ふさわしい舞台だ。彼女には王家の光の前で跪いてもらう」
フレデリックは笑う。アメリアが辺境へ発ってから、もう半年以上が経つ。婚約を解消した時、あの令嬢は微笑んで去っていった。縋ることも、泣くことも、怒ることもなく。それが、今でも引っかかっている。あの笑顔の意味が、フレデリックにはいまだ分からない。
(呪われた男の傍で、今頃は青ざめているだろう)
戻りたいと乞うなら、そばに置いてやってもいい。クラリッサは確かに魅力的だが執務には向かない。その点をアメリアに補佐させればいい。アメリアとクラリッサ。二人を従えている自分の姿を想像し、フレデリックは勝ち誇ったような醜悪な笑みを浮かべる。
その向かいで王妃は満足げに羽ペンを取り、招待状の文面をしたためる。流麗な文字が、白い紙の上に踊った。
──リュストア公爵夫妻、王太子婚礼へのご列席を願う。
王都の冬は冷え込む。けれど、その寒さの中でリュストアの名は確かに王都の話題の中心を占め始めていた。
いろいろな裏側回です!いつも感想ありがとうございます。ドキドキしながら拝見しています!




