最終章 エピローグ 上
最終章 エピローグ 上
サイド なし
「……ここは」
清潔な板張りの天井を見上げ、軽薄そうな青年が呟く。
数度目を瞬かせた後、彼は勢いよく跳ね起きた。かかっていた布団が、ばさりと床に落ちる。
「そうだ!戦いは!アダムは!」
「敵相手でも『様』をつけろ、バカ者!」
「おぶっ!」
頭頂部に受けた衝撃に、青年……ジェラルド卿は、頭を抱えて背中を丸めた。
目に薄っすらと涙を浮かべながら、彼は聞き慣れた声の人物に顔を向ける。
「た、隊長……!」
「ようやく起きたか、この寝坊助め。ママに起こしてもらえなければ、朝目を覚ますこともできんのか」
皮肉気に口元を歪める、帝都守備隊隊長。
彼は片手で持っていた花瓶を、そっとベッド脇の机に置く。瑞々しい花が、窓から入り込む陽光を受け輝いていた。
「……ここは、病院ですか」
「そうだ。もっとも、あの戦いで負傷した者は全員ストラトス伯爵が治療してくれたがな」
「……っす」
傷一つない両手を見下ろし、ジェラルド卿は小さく頷いた。
そこには、彼が日々の鍛錬でこしらえた剣タコもなくなっている。
治療してくれたことに感謝しつつ、ジェラルド卿は敬愛する先輩との思い出も消えてしまったようで、複雑な心境であった。
「……ストラトス伯爵が、ってことは。戦いは勝利したんすね」
「ああ。貴様が無様に寝ているうちにな。グランドフリート侯爵も、アダム様も討ち死にした。窓の外のバカ騒ぎが聞こえるか」
ジェラルド卿は、ようやく建物の外へと意識を向ける。
そうすれば、人々の笑い声や楽器の音、そして客を呼び込む商売人達の大声が聞こえてきた。
「3日前にクリス陛下達が凱旋し、昨日戦勝パレードもしたというのに。まだ騒ぎたらんバカが多すぎる。猫の手も借りたいぐらいだ」
口を下方向に歪める隊長だが、その瞳は柔らかい。
そんな彼とは対照的に、口元に笑みを浮かべるジェラルド卿。彼の目は、影を帯びていた。
「そうっすか。いやぁ、大変っすね。でも、嬉しい悲鳴ってやつじゃないっすか。そういうの」
「……言いたいことがあるのなら言ってみろ、ジェラルド」
眉間に小さな皺を作って、隊長が彼を見下ろす。
「貴様は崖っぷちになるまで悩みを言わない悪い癖がある。対処が楽な内に相談ごとはしろと、前から教えているはずだぞ」
「……うっす。すんません」
数秒だけ悩んだ後、彼は床を見つめながら口を開いた。
「仇、とれませんでした」
「代わりに、クリス陛下がとってくれたぞ」
「俺は、死ぬつもりだったんです。相打ちになってでも、奴をこの手でって……」
両の拳を強く握りしめ、ジェラルド卿は自嘲するような笑みを浮かべる。
「情けねぇ。本当に、情けねぇ。あんだけ啖呵きって隊を抜けて、伯爵の所で傭兵になって。そんで、なんもできなかった。なんも……!」
「……お優しい伯爵様から、貴様に伝言がある」
床に雫を落とすジェラルド卿から顔を逸らし、窓の外を見ながら隊長が言葉を続ける。
「『貴方のおかげで、私の家臣達が全滅せずに済みました。心からの感謝を』とな」
「…………」
「コープランドならば、仇討ちを果たす以上に、命を守ったことを褒めるだろうよ。あいつとの付き合いは、貴様と同じぐらいにあるつもりだぞ」
「……そう、すね」
彼の脳裏に、バカ真面目という言葉を擬人化したような男が浮かぶ。
そのくせ情に厚くて、涙もろくて。嘘が下手くそだから、誰かの為の嘘も丸わかりだし、潜入調査や取り調べではポカをしまくる先輩。
コープランド卿。先輩騎士であり、自分を正道へと引き戻してくれた人物の声が、ジェラルド卿には聞こえた気がした。
「……すんません。切り替えます」
「そうか。まあ、泣くことも必要だとは思うがな」
「いいえ。涙は十分、流したっす」
「ふん。半人前が、4分の3人前にはなったらしいな」
「なんすか、それ」
袖で乱暴に目元を拭った後、ジェラルド卿は顔を上げ小さくため息をついた。
「……聞くのが怖かったんすけど、隊長以外に聞ける人がいないんで。今、お尋ねします。先輩の……連れ去られたコープランド夫人は、どうなりましたか」
「……遺体は、回収した」
その言葉に、ジェラルド卿は視線を落とす。
覚悟はしていた。妊婦が、それも出産間近の人間が冬の中攫われたのだ。体内魔力の乱れもあって、その生存は絶望的であった。
「……そう、すか」
「だが、赤子は生きている」
「へっ?」
気の抜けた声を上げながら、ジェラルド卿は隊長へと勢いよく顔を向ける。
「それって……」
「ストラトス伯爵が救助した妊婦が、本当は一緒に森へ運ばれるはずのある妊婦のことを証言してな。しかし、その人物は移動の直前で破水。ろくな設備もない状態で出産したそうだ」
「じゃあ、その人が……」
「コープランドの奥方だった。彼女は最期の力で産まれた我が子を抱いた後、亡くなったと聞いている」
「……っ」
幾度かコープランド卿の家に招かれ、食事をとったことがあるジェラルド卿は彼の奥方をよく知っている。
素朴な顔立ちながら、笑顔が綺麗な優しい人物であった。
「その、赤ん坊は」
「……グランドフリート侯爵が戦場に連れて来ていた使用人達が、保護していた。侯爵の命令だったそうだ」
ギルバート侯爵は、過去の経験から『妻子』という存在にある種のトラウマを抱えていた。
そういった存在にアダムや他の兵が手を出そうとする度に、あの手この手で妨害をして守ろうとしていたのである。
善意ではなく、己の心を守る為に。
しかし、偽善としか言えないその行為は、確かに小さな命を守っていた。
「よかった……って、手放しに喜んで良いんすかね」
「さあな。だが、コープランド家はあの赤子以外全員死亡している。皆勇猛かつ責任感の強い者達だった。だからこそ、早死にしやすい一族でもある」
「っすよねぇ……あの、隊長」
「言っておくが、俺は忙しい。家内とも別居状態だ。赤ん坊の面倒を見てくれと頼みにいったら、翌日行方不明になっていることだろう。俺がな」
「いやぁ。あの人、なんだかんだ面倒見の良い方ですし。それに子供好きだから」
「そこで、だ」
がっしりと、ジェラルド卿の肩が隊長に掴まれる。
「貴様が面倒をみろ」
「……はい?」
ジェラルド卿は間の抜けた声をあげ、今しがた耳にした言葉を数秒かけて理解しようとした。
そして、勢いよく首を左右に振る。
「いやいやいや。俺、未婚!しかも根無し草の傭兵!無理っすよ!無理無理無理!」
「無理じゃない。あと、いつ貴様が傭兵になった。その若さでもうボケたのか?相変わらず脳みその足りん奴だ」
「ボケるとしたら年齢的に隊長のほ、あ、痛い痛い!何でもないです隊長!」
肩からミシミシと響く異音と痛みに、ジェラルド卿が涙目で隊長の腕をタップする。
食い込んでいた指がはずれ、彼は右肩を大事そうに押さえた。
「傭兵じゃないって、どういうことっすか。俺、ちゃんと辞職届出したし、隊長も受け取ってくれたじゃないっすか」
「あれなら鼻紙にしたぞ。寒かったからな」
「えぇ……」
「あの戦争には、ジャッジというどこの馬の骨ともわからん傭兵が参加したと、ストラトス伯爵には伝えてある。お前は今日この時まで、腹を壊して寝込んでいたのだ」
「無理あり過ぎるっしょ、それ」
「ついでに、貴様に支給されていた鎧は盗まれていた……ということで減俸処分でもある」
「アレって退職金かわりじゃなかったんすか!?隊長が着て行けって言ったんすけど!?」
「知らんな。貴様の耳に雪でもつまっていたのだろう」
「やっぱボケてんでしょこのハゲ!あ、待って、前髪は!前髪はやめてください!隊長みたいにハゲたくない!」
どったんばったんと騒ぎを起こし、守備隊の衛生担当から怒鳴られる成人男性2人。
ぜえはあと、肩で息をしながら。隊長がジェラルド卿を睨む。
「子供を育てることで、人は成長するとも言う。4分の3人前から、一人前になれ。このバカ者!」
「そもそも4分の3人前ってなんっすか!聞いたことねぇよそんな言葉!……そもそも。俺、子育てとかマジで経験ないし。未婚なんで、手伝ってくれる人も……」
「家族がいるだろう。貴様の両親は、常々娘がほしいと言っていたぞ。たしか、例の赤ん坊も女だ」
「なら、うちの両親が引き取れば良いんじゃ……?」
「黙れ!これは隊長命令だ!『はい』以外の答えはいらんぞ、このごく潰しが!」
「……もしかして、俺のこと気遣ってくれてます?」
少し照れたような、同時に申し訳なさそうな顔でジェラルド卿が隊長を見上げる。
しかし、鼻で笑われた。
「誰が貴様のようなバカで間抜けな意気地なしを気遣うか。俺に『真実の愛』の趣味はない。そんな理由でこんな盆暗に預けられては、赤子が可哀そう過ぎて涙が出てしまいそうだ」
「言い過ぎっす、隊長……」
「コープランドの遺言だ」
「は?」
驚きに目を見開くジェラルド卿に、隊長は小さく肩をすくめた。
「自分に何かあったら、妻と子を貴様に託すと言っていたのだ。不真面目に見えて誠実な男だから、きっと真摯に力を貸してくれる……とな」
「……なんすか、それ。あのバカ真面目。節穴にも程があるでしょ」
ジェラルド卿が、額に手を当てて天を仰ぐ。
「俺はあんたが思う程、立派な騎士じゃねぇってのに……なんなんだよ、あの人」
「知らん。俺も貴様が適格とは思えんが、コープランドは間抜けではない。信じてやっても良いだろう」
「……まあ、そうっすね」
身長に見合った大きな掌が、ジェラルド卿の目元を覆っている為、隊長から彼の瞳は見えない。
しかし、もう十分涙は流したという言葉に嘘はなかったのか。指の隙間から雫が垂れることはなかった。
「……俺、心配されてんのか。それとも褒められてんのか。どっちなんすかね」
「俺にわかるわけないだろう。貴様が思いたいように思っておけ」
「……っすねー」
手をどかし、もう一度ため息をついた後。
「うっす。頑張って、みます」
ほんの少し光を取り戻した瞳で、彼はそう言った。
隊長はその言葉に頷くと、手早く自身の頭に布を巻く。そして、花瓶の横に置いてあった兜をかっぽりと被った。
「では、仕事の時間だ。ジェラルド」
「えっ」
「言ったはずだぞ。『今日この時まで』とな。休みは終わりだ。働け、ごく潰し」
「いや、俺病み上がり」
「何を言っている。貴様の傷はどこにもないだろう。たっぷり休暇を満喫した分、体を動かせ。書類の山が机で待っているぞ。その前に外で騒いでいるバカ共への対処だがな」
「待って!せめてもうひと眠り!いやふた眠り!」
「良いから立て!そもそも、貴様が勝手に持ち出した押収品の件について、後で話がある!」
「そ、それはジャッジという謎のイケメン傭兵がっすねぇ」
「押収品を傭兵に盗まれたあげく使われるとは、よほど仕置きがほしいようだな。ジェラルドぉ……」
「嘘ん。逃げ場がないじゃん」
首根っこを掴まれたジェラルド卿が、ずりずりと引きずられていく。
それを目撃した帝都守備隊の面々が、特にこれといって驚く様子はない。
誰も彼もが、『ああ、いつものことだな』と。互いに顔を見合わせて笑ったのである。
なお。
この17年後。軽薄そうな騎士からちょい悪な騎士にジョブチェンジした人物が、義理の娘に紹介された少年にショットガンを突きつけて、周囲から跳び蹴りをくらうことになるのだが。
それはまた、別のお話。
* * *
「はぁ……はぁ……!」
とある老人が、森の中を走っていた。
白かった衣服は泥で黒く汚れ、所どこに赤い染みまでついている。それを気にする余裕などない様子で、彼はひたすらに足を動かしていた。
月すら雲に隠れる夜に、老人は息も絶え絶えになりながら、『なにか』から必死に逃げている。
「あうっ!」
だが、暗闇の中で走っていれば当然のことで。彼は木の根に足をとられて、転んでしまった。
よろよろと立ち上がるが、いつの間にか靴が脱げてしまったらしい。剥き出しの足裏に、石が突き刺さっている。
痛みを堪え、彼は応急手当をしようとした。だがそのタイミングで、偶然にも雲の裂け目から月明かりが覗く。
そして、森の中に洞窟を発見した。
彼は、神に感謝しながらそこに逃げ込む。痛めた足を引きずりながら、穴の中に入っていった。
大人が入るには小さな洞窟で、腰を屈めなければならない。その中で座り込み、老人は足裏の傷を見ようとした。
その時。
『────、─────!─────ッ!』
「ひっ……!」
讃美歌が、聞こえだす。
勇者教における、唯一神を称え、祝福を求める歌。それが、夜の森に響いているのだ。
異様なその歌声の中に、人々の悲鳴が混じっている。
白かった衣服を炭化させ、皮膚に張り付かせながら。老人と似たような恰好の者達が、生きたまま燃やされているのだ。
ぼう、と。森の中で明かりが動いている。彼らを燃やした炎を手に、武器を持った者達がそこら中で歩き回っているのだ。
逃げ出した老人を、探す為に。
「主よ……主よ……!」
老人は治療の手を止め、懐から取り出したネックレスを握りしめる。
銀でできた、勇者教のシンボルである聖剣を象ったもの。それを額に押し付け、彼はひたすらに祈りを捧げた。
「どうかこの哀れな子羊をお救いください……!悪鬼どもの手から逃れる術をお教えください……!」
そんな祈りを捧げる彼の耳に、讃美歌や悲鳴とは違うものが聞こえた。
不思議に思った老人が聴覚に意識を向ければ、それが寝息だとわかった。恐る恐る音のする方を見て、彼は硬直する。
入口から入ってくる月光に照らされたのは、毛深く大きな前足と、鋭く長い爪。そこにいたのは、クマだった。冬眠中のクマが、洞窟の奥で深くで浅く短い呼吸を繰り返している。
老人は自分の口に手を当て、ゆっくりと外に出ようとした。洞窟の天井が低い為、彼は四つん這いの姿勢で動く。
洞窟から無事に出た途端、雲の隙間が消え月明かりもなくなった。
真っ暗闇の中、彼の足に激痛が走る。
「ぎゃっ!」
短い悲鳴を上げ、老人は足に食い込んでいるものに手を伸ばす。
それは、爪のような形をしていた。クマが起きたのかと思ったが、爪の付け根には縄が巻かれている。その奥には、硬い木の感触があった。
木の棒に、鉄の鉤爪をつけた物。それに気づき、老人の顔から血の気が引く。
「い、いやだ!助けて!誰か!誰か!」
もはや、クマを起こしてしまうかもという思考は彼の中になかった。何故なら、それ以上に恐ろしい者に捕まってしまったのだから。
「ヒヒ……ヒヒヒヒ……!」
彼の耳に、悪魔のような笑い声が聞こえてくる。
老人は目に涙を湛え、乙女のように助けを呼んだ。
「コーネリアス様!コーネリアス様!どうか、どうかお助けください!コーネリアス様ぁ!」
「どうした?どぉうした?それは死人の名前だぞ?」
逃げようとする老人だが、鉤爪が強い力で引っ張られる。
骨の隙間をガッチリと捉えた鋼の爪に、彼は痛みで悲鳴を上げた。
「大丈夫。大丈夫。すぐに会わせてやるからな。死人と会えるぞ。喜べ。喜べよ……!」
「いやぁ……!誰かぁぁ……!」
馬の嘶きがし、老人が引きずられていく。
ずりずりと地面とこすれ、彼の衣服が千切れていき、皮膚が裂けて血が流れた。
「脳だけは!脳だけは、許して!転生を!私にも転生を!」
必死に叫ぶ老人に、鉤爪の主は嗤う。
「お前の頭蓋骨を抜き出してな?燭台にしようと思うんだ。骨は金で塗って、脳みそには蝋燭を突き刺そう。いつまで燃えるか、楽しみだ」
「いぃやぁだぁあああ!」
もはや幼子のように泣き叫ぶ、白い服だった物を纏う老人。
その姿を見て、彼が教会領を一時的にでも支配していた神官であったと思う者は、もはや誰もいないだろう。
鉤爪の、主以外は。
「ヒャハハハハハハハハハ!!集え、我が兵達よ!薪だ!新たな薪が手に入ったぞ!燃やせ!燃やし尽くせ!」
「おおおおおおおおお!」
彼の声に、森の中で動いていた松明が一斉に掲げられる。
雲の隙間が再び、月の明かりで地上を照らした。
そこには、森から引きずられて出てくるジョン大司祭と。
「炎だ!炎を寄こせ!この穢された大地を浄化する、炎を!!」
後世にて、信じられないことに聖人認定されることとなる、カール・フォン・ストラトスが馬に乗って駆けていた。
あの戦いから、僅か3日後。
彼は、教会領にある『とある研究資料』とその中身を知る者達を、全て燃やし尽くした。
「ヒヒ!ヒヒヒヒ!正しき信仰を取り戻せ!悪しき異端者に鉄槌を!浄化の炎をぉ!」
念のため、ここに記そう。彼は正気である。ちょっと子供達の結婚や腐敗した宗教によって溜まっていたストレスが、限界値から片足はみ出ちゃっただけなのだ。
夜の教会領に、悲鳴と讃美歌、そして高笑いが木霊する。
この後、彼は数十年かけて大陸中の腐敗した勇者教の神官達を火炙りにするか、事故死させていくわけだが。
そもまた、別のお話である。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。励みになっております。どうか最後まで、よろしくお願いいたします。
また、『コミュ障高校生、ダンジョンに行く』の外伝を投稿させて頂きました。そちらも見て頂けると幸いです。




