449 神示大陸魔法陣
それからしばらく。コマレちゃんの各国に対する働きかけが功を奏し、防衛体制の大幅な見直しがなされた。具体的には国同士の連携及び魔族兵の運用方法の改善、そして連合国を守る大陸魔法陣の拡張がその中身となる。
これまでは連合国の主要都市とそこを代表する個人が要点となって描かれていた魔法陣を、人類圏である三つの大陸全てに跨るものへと書き換えたのだ。巨大なものがさらに巨大になったってわけだね。要点を務めるのも都市と代表者レベルから国家とその首相・主席レベルにスケールアップ。そこに魔族が移り住んだ通称「魔族領」も含まれているからにはコマレちゃんも元からそれを目当てに移住に先んじて各国への説得に向かったんだろう。
かつてない規模の人数と儀式によって成り立つ大魔法での大陸魔法陣。新呼称として私たち灰という神の使いもその発足と運用に関わっているということで──つまりは伝承でそう伝わっている、のではなくれっきとした事実として「神の力」が加わっているために──神示大陸魔法陣と名付けられたこれは、以前ルールスさんが語った通りにかつての対魔族用のそれから対強魔物用のそれへと切り替わっている。強力化させた上でその対象も次なる戦いに特化させているんだから効力は確かで、さすがに強魔物もそう簡単には攻め込めない……となればいいんだけどねぇ。こればっかりは実際に事が起きてからでないとどれだけ通用してくれるかもわからないので、今のところはなんとも言えない。
というのも、幸いなことに私たちは未だ第三大陸以内の人類圏に強魔物の侵入を許していないのだ。ヘルヒッグスという先触れとでも言うべき波の起こりからこっち、警戒していた「直後から大挙として押し寄せてくる」事態にはなっておらず、今のところはヘルヒッグスと大差ない強魔物が個別でちらほらと海越えを行う程度。それくらいなら第四大陸を前線基地として待ち構える私たちだけでも充分に手が回る。
この調子ならお取り潰しよろしく第四大陸を消さずにそのまま基地として使ってもいいんじゃないか、っていう気持ちにもなるけどそれはやっぱりダメなのよな。これでどうにかなっているのはあくまでもやってくる強魔物の数が少なく、レベルも低いからだ。以前にも言ったようにヘルヒッグスなんてのは第五大陸内でのヒエラルキーでは最下層のしょぼくれた存在でしかなく、それに類するような強魔物しかまだ人類圏を目指していない現状は引き続き先触れの範疇でしかないのだ。本格的にヤバい種族がヤバい数で第五大陸を飛び出して好き勝手に人類圏へ侵入しようとすれば、連中にとっても前線基地になり得るこの第四大陸を残しておくのはデメリットのほうが大きくなる。
なのでここも既定路線のままで行く。神示大陸魔法陣が完成した今、いよいよ旧魔境こと魔族の棲み処であった第四大陸は消滅する。その様をアイリスたちが目にすることがなかったのは良いのか悪いのか。いくら魔族にとっては檻のような場所だったとしても、人類圏から移り住んだ始まりの魔族たちはともかくとして今を生きる彼らからすれば生まれ故郷であり育ってきたところでもある。そこの終わる瞬間っていうのは……どうなんだろう、見たかったのかどうか。見ておくべきだったのか、どうか。
もちろん大陸が沈むってときにまさかその傍で魔族の全員を並ばせておくわけにもいかないので、見るべきか否かに関わらずそもそも見せる選択肢がなかったんだけども。アイリスとかもいつもの澄ました態度で「そんなことはわかっています」と特に惜しい様子も何もなかったけれど、なんだろうな。どうしても女神と一緒に第四大陸の破棄を決めた一員としてそこに責任は感じちゃうよね。それは私が勝手に感じているだけの言わば一人相撲なのかもしれないが。そうでなくともこういう決断を軽いものだとは思わないようにしたいってのも、ある。
ひとつの大陸を消滅させるって案を話し合っているときはなんとも思わなかったもんなー……あとからそれに気付いてけっこうゾッとしたんだよ。あ、私ってば順調に染まっちゃってんじゃんって。灰になって三年経ってもまだ「自分」のままでいられている。それは当初に怯えていた変化の度合いで言えば決して間違いではないけど、でも変化が起きていないわけじゃない。私はやっぱり変わったし、今も変わっていっているんだろう。
女神よろしくの情を排した合理的な判断、とまではいかないかもだけど、それに近づいているのは確かだ。うっかりするとアイリスたちはもちろん、連合国の人々さえもただの戦力や資源として考えてしまいそうになるときもある。これを視座が上がったと言うに違いない。同じ人のままなら間違っても私はこんな考え方をしなかったからね。
影響はそれだけじゃなく、戦いにおいてもそうだ。前よりも命の奪い合いが怖くなくなった。私はそれをまったく特別なことだと思えなくなっていた。殺し殺されが日常の一幕であり、そして殺す側が私であると。自然にそう感じているのも灰という人外になったからだ。……世界を守るという使命。そのために魔族よりもずっと厄介な強魔物と戦っていくのを思えばこの物騒な変化も合理的なそれというか、むしろそうならなくちゃ精神的に参ってしまいそうなので助かるものではあるのだが。でもやっぱり、そういう自分にふと気付いたときの恐怖と言ったらないよ。
この変化はおそらく不可逆のものだ。人間に戻れたなら全部リセットできるのかもしれないが、そうでもない限りは進めば進んだだけもう後戻りができない。そしていつの間にか一歩、また一歩と進んで私は変わっていく。変わり果てていこうとしているのだから恐ろしい。
全部灰になる前に女神から聞き及んでいたことではあるし、それを踏まえて灰への昇格を受け入れたものの、いざ変化に──いや、変貌に直面すると足の震える思いがする。だけどこの恐れはそう忌避するものでもない。今こうして抱いている恐怖は事前の覚悟が足りなかったからでもなければ想像力が足りなかったわけでもない。私が人であるからこそ。人のままの感性を残したままでいるからこそ持てる大事な基準。それが変わっていくことへの恐怖心として表れているんだから、この感情を失くしてしまわない内は大丈夫。と、信じたい今日この頃だった。
あと、なんと言っても私は一人じゃないからね。カザリちゃんがいて、コマレちゃんがいて、ナゴミちゃんがいて、シズキちゃんがいる。皆で同じ立場で、同じ悩みを持っているっていうのがすごくデカい。精神的にめっちゃ楽なのよ。これでもしも私だけがこの世界に残って灰になって孤独に戦っていたとしたら……考えたくもないね、その先の未来は。そもそも私だけじゃ各国を主導しての新防衛体制の構築云々なんて絶対にできっこなかったし。そういう意味でも、下手をしなくてもお先は真っ暗になっていた可能性がバリ高だ。
仲間がいてくれることのありがたさをちゃんと味わっておかないと。そしてそれだけじゃなくて──。
「どうかなされましたか? ハルコ様」
と、考え事をして黙っていた私を心配してくれたか、ひょっこりと顔を覗き込んでくるミリアちゃん。そのくりくりとした紫色の綺麗な瞳に私は「なんでもないよ」と笑い返す。
こうやって、同じ立場じゃなくても寄り添ってくれる人々がいるってこと。そのありがたさだって、常日頃に感じておかないとだね。




