444 雷華
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合計十本の糸がこちらの進路を閉ざすように迫ってくる。その合間を駆け抜けながらアイリスは考える。鞭のように、あるいは刃のように振るわれるこれは強力。玉座の間の床を打ち付ける硬質な音からしてもまともに食らえば小さくない傷を負わされるのは間違いない──が。
縦横無尽に軌道を変える糸の群れ。アイリスからすれば非常に厄介な、被弾を避けるために慎重にならざるを得ないそれも、ハルコにとっては「お遊び」の範疇を出ないのだろう。操り方に必死さがない。こちらを見る目に懸命さがない。今のところ一度も糸は目標を捉えていない、というのに彼女には余裕しかない。
測っているだけ、そして図っているだけだ。アイリスにはわかっている。自分という存在を測り、その成長を図るために、詳しく見定めながら成長を促そうとしている。糸繰りなる魔術を使い出したのもあくまでその一環。決してアイリスに脅威を覚えて武器を取り出したわけでは、ないのだ。
(ありがたい)
純粋にそう思う。侮られているだとか下に見られているだとか、そんなことは思わないし気にしない。そもそもハルコは魔王さえも討伐してみせた勇者。本物の強者なのだ。そんな彼女からすれば命懸けの戦いを経験したこともない魔族の小娘など下に見て当然──というより、実際に遥か格下なのだからそれは事実として認める他にない。
侮りに対し跳ねっ返ろうとは思わない。そもそもこうして我儘を聞いてもらっている立場だ。上位者への不遜は既に十二分。この状況で対等な目線を望むのはもはや我儘ではなく単なる愚図にしかならない。アイリスは賢明だった。賢明に彼我の差を読み取り、それをどうやって覆すか。感情ではなく思考によって解答を探している。その賢しらが彼女の立ち回りを生んでいた。
「よく躱すね!」
ハルコの称賛。十本それぞれを意のままに操りつつも速度の調整を行っている彼女はギリギリでアイリスが躱せるかどうかという瀬戸際のラインで攻め続けていた。不意に糸が加速や減速をするのもその範囲内での緩急。過度に追い詰めたりはしないがいつかは捕まってもおかしくない、そういった包囲網を糸で組んでいる──なのに一向にその時は訪れない。アイリスはその身に一度たりとも糸を掠らせずに未だ無事のままでいる。経過時間はとうにハルコが予想した限界を過ぎていた。
目の良さは本物。そして避け方も上手い。四方八方から押し寄せる糸を掻い潜る体運びは勿論のこと、その場凌ぎではなく先を見据えた移動の仕方ができている。そうでなければ今頃は体中のあちこちに鞭糸による打撲痕を浮かばせていたことだろう。
戦闘経験をほとんど持たずにこれとは、なんとも末恐ろしい。アンラマリーゼが魔王軍の外にいる者から選び取った才能はそれに相応しい輝きを放っている。いったいアイリスがどこまで伸びるのかはハルコにも不明で、だからこそ楽しみでいる。
「その調子なら避けるだけじゃなく攻められもするんじゃない? ほら、さっき私がやってみせた要領で」
「……、」
心なしか糸の攻めが苛烈になったと感じながらもアイリスは素直にハルコのアドバイスを受け入れる。思い返すは先の攻防。こちらの連撃をいとも容易く捌き、それだけでなくするりと踏み入ってきたあの動き。あれを自分もやるためにはどうすればいいか? もっと読むのだ。読み切るのだ。糸の来る方向、過ぎる方向、戻る速度に留まる時間。複雑に入り組みながらも絡み合うことのない十本は全てハルコの手元から伸びている。ハルコの意思によって攻めてくる。まったく無秩序の群れではなくあくまでもそう見せかけているだけ。そしてハルコはきちんと活路を残している。あとはそれを、自分が見つけられるか否か。
その期待に応えられるか否かが、鍵。
「……!」
とん、と足が地に触れた瞬間にアイリスの動作性がキレた。俊敏、かつ、精確。その速度感に劣らない判断速度で以て安全地帯の連続を見抜き、そこを目指すというよりも身を置く感覚で次々と駆け抜けていく。すぐ後ろで加速した糸が空を切り裂いていくのがわかる。だが恐れることはない。直後ではあってもそれは周回遅れ。その地点を通り過ぎている自分にはもう何があっても届くことのない遥か彼方の残響でしかない。
糸の包囲から完全に脱し、ハルコの頭上を取ったアイリスの顔には自然と笑みが浮かび上がっていた。上気した頬は運動ではなく純然たる興奮によるもの。闘争の熱がもたらしたものだった。その熱意そのままにアイリスの身体は動く。
「落雷蹴り──」
「!」
「──ハァっ!!」
雷撃を纏って落ちる。重力を従えて放った直下飛び蹴りはまさしく雷もかくやという速度と鋭さを伴ってハルコを襲う。が、真上という死角からの攻撃であっても彼女の不意を取ることはできなかった。一歩その場から動き蹴りを躱したハルコと、蹴り足から着地をしたアイリスの視線が直近で交わる。
前へ出て攻め込まんとしたアイリスよりも先に後ろへ跳び下がったハルコは、挑戦的に口を開く。
「糸繰り──重奏糸」
「ッ!」
振るわれる糸。その数、片手に二十本ずつの合計四十本。一瞬の迷い。再び組まれるであろう包囲網を掻い潜るための備えをするか、もしくは、糸の包囲より早いと信じてこのまま前に出ていくか。リスクとリターンの概算。より正しいのはどちらなのか、考えれば正しい答えは出る。アイリスの明晰な頭脳は刹那の内にそれを成すだろう。だが。
(──前へ!)
アイリスはあえて考えるのをやめた。自ずと始まる計算を自ら踏み壊すように、進む。引いてじっくりと機を窺うのもそれはそれでいい、間違いではない。リスクを度外視してでもリターンを得ようとするほうがより危ういのは確かだ──けれど、そうだとしても。アイリスの思考ではなく感情がこれを「正しい」と訴えていた。
「雷華!」
紡がれ伸びる糸の籠が完成する前に突き破る。最短最速を答えとしたアイリスの拳がいくつものスパークを伴ってまるで開花のようにそこへ痕を刻み込んだ。糸を焼き切って突き出されたそれにハルコの体が宙に浮く。止め切れていない。その手応えを推進力として、もう一発。
「雷華!!」
反対の腕で再び打ち込めば、足が床から離れているハルコに受け止める術もなし。雷鳴を響かせながら吹き飛んだ彼女を追って玉座の間を横断。追い越す勢いで壁に迫ったところで、くるりと猫のような淀みなさで体勢を入れ替えたハルコの顔がこちらを向く。
「多層槍糸」
「ッぐ!?」
いつの間にか、本当にいつの間にかその手の内に作られていた新たな糸の技に迎撃される。動作も無しに高速度で撃ち出された槍の穂先を模した糸は真正面からアイリスを捉えており、なんとか反応を間に合わせて防御したが彼女もまた万全に受け切れはしなかった。
墜落と言っていい勢いで床に叩き落とされ、すぐさま起き上がって構え直しはしたものの、もう無策に飛び込もうとはしなかった。慌てる彼女とは違いハルコは悠々と壁際に降り立って、なんとも気軽に歩いて間を詰めてくる。その様を眺めながらアイリスは息をつく。
(撃ち落されたのは、かえって良かった。もっと近づいていたらもっと酷い落とされ方をしていたはず。勢い任せはダメだ……この熱は大切に、けれどちゃんと活かさないと)
「そうだね。悪くはないけど、アイリスらしさがあればなおイイ。って感じかな」
というわけで、と程近い距離間で足を止めてハルコはにこやかに言い放った。
「こっから本番ね」




