438 生きていくことを選んだ
なのでアイリスの言う通り、気紛れでこそないが我儘ではあった。私の身勝手な我儘だ。これがこの先、それこそ千年単位で時間が経った遥かな未来で世界をどのように変えているか。生かしたことでより良くなっているのか、それとも悪くなっているのか。私には知りようもないけれど……でも、どうなろうと今においてはこれが正しい選択だったと、信じている。私はそう信じなくちゃいけない。
一応、女神もそこは私たちの自由にしていいと灰の裁量権内に認めてくれたんだからこの左右が致命的な分かれ道ということもないと思うけど。それくらい重要な決定なら女神自身がするだろうからね。だとしても、意見を押し通したからには責任がある。魔族がどうにか四人種への協力者として再出発を切れるように力を貸していくという責任が、私にはあるんだ。
だから礼を欠かしてはいけない。自分が生かしてやった掌の命。などと、ついついそんな見方をしてしまいそうになる「灰の思考」は追いやって、私は私として彼らを見ていくのだ。
「生きていくことは罰じゃない。だからバツの悪さを感じる必要もないよ。そういうのに縛られたら……たぶんいつまでも馴染めないんじゃないかな」
そう言葉を返せば、少し考えるような沈黙を挟んでからアイリスはややぶっきらぼうに聞こえる口調で言った。
「元々馴染めるとも思っていませんよ。生き残っているのは魔王様のお眼鏡に叶わない、言うなれば魔族としては失格と言っていい闘争本能に薄い者たちですが。それでも根付いたモノの否定はできません。人様とは違うと理解しています」
「それは……」
なんと言っていいものか迷う。私だって一時は魔族との共生なんて絶対に無理だと、可能性を見限っていた。長きに渡って魔族の侵攻に脅かされてきた人々にはもっと深くその意識が根付いているだろうし、それは魔族たち自身も変わらないってことだ。
彼らが破壊と殺傷に向ける欲望は魔人から魔族へ作り変えられる際に元々持っていた性質が強調されることで生まれたものだ。その度合いは、生まれついての戦士でありその強さの発揮を求めると言われる獣人と比べても異常の一言。あくまで戦うことそのものを目的とする獣人と違い魔族のそれは「何かを壊したい」という圧倒的に危険な欲求であり──ここにいる生き残りの魔族にだってそれがないわけじゃ、ない。
魔王軍に取り立てられなかった程度には魔族らしさに欠けているとは言っても、アイリスもそう述べている通り、彼らが魔族であるという事実に変わりはない。
「危険な生物を隣に置くことに諸手を上げて賛成する者がいるとは思えません。あなた方の采配に人々が従っているだけ。ですよね?」
その采配に、そしてそれに逆らいたがらない人の意思によって生かされているだけ。その立場はいつ終わりを迎えてもおかしくないほどに危ういものだとアイリスは──魔族たちは思っている。自分らが魔族であることも、過去に起きたことも変えられない以上それはどうしようもないのだと、諦めの中にいる。
「だけど生きていくことを選んだ」
「……はい。苦しい道程になるとしても、新しい生き方ができたらと。皆でそのように決めました」
「うん。なら、私はそれを手伝うよ。精一杯に。あなたたちからすれば信用ならない気紛れに聞こえるだろうけど、神と私自身に誓ってこれを曲げることはしない。絶対にね」
「…………」
真意を確かめようとするみたいに覗き込んでくるアイリスの目を、私も見つめ返す。発端が気紛れだろうが我儘だろうが私も私のすべきことを決めている。そしてそれは誰に恥じることもない真っ直ぐな気持ちからくるものだ。不確かな未来を見え透いた確かなものにするためではなく、不確かなままでも常により良くしていくために選んだ現在だ。私はいつかこの世界を去って元の日常へ帰るが、それまでには実現させてみせよう。
第五大陸からの脅威に悩まされない、長く続く平穏。それから、その平穏の中で当たり前に人と共に生きる魔族。そういう光景を必ず現実のものにしてみせる──その決意が伝わってくれたのか、どうか。「はあ」とこれ見よがしなため息をひとつ零してからアイリスは言った。
「参りました。降参です。あなたを相手には強情になるだけ馬鹿らしくなります」
「え……そ、そう?」
「はい。何を言おうと、どれだけ腐ろうと呆れるくらい真っ直ぐにしか返してこないんですから。どうせあなたたちしか頼れる当てもないのに、これでは信じようとしないほうが愚かですよ」
ん、んん? これは、褒めてもらえていると単純に捉えていいものかはすごーく微妙なところではあるけど、一応は信用を勝ち取れたのだと思っていいのかな。だとしたら嬉しい……のだが、どこか険の取れた印象ながらにアイリスにはまだ何か言いたいことがありそうな、なんとも含みのある顔付きで私のことを流し見てくる。
「ああ、そうだ。実は、あなたにだけ折り入ってお話したいことがあったんです」
「私にだけ?」
「はい。相談と言いますかお願いと言いますか。とてもプライベートなことなので、できればハルコさんと私だけの場を設けたいのですが。構いませんか?」
「ダメです」
質問は私の後ろに控えているカザリちゃんとシズキちゃんに向けられたものだった。で、シズキちゃんがノータイムで拒否った。そのにべもない即答っぷりに、けれどアイリスは何も感じていないみたいに平然としていた。
「何故でしょう」
「ハルコさんを一人きりにするのは危ないと、経験で知っているからです」
「なるほど。勇者というのも存外に仲間内での信頼はないんですね。いや、今は灰というものへ立場を変えたんでしたか。どちらにせよですけど」
「……これは信じる、信じないの話じゃありません。わたしが、ハルコさんを危険な目に遭わせたくないだけです」
「それを信が置けないと言うのでは? 神のしもべともあろう者が私などに脅かされると本気で思っているのなら、尚更のことに」
「何が……言いたいんですか?」
「言いたいことは全て言っているつもりですけどね」
ゴゴゴゴゴゴゴ、と迫力ある音鳴りが聞こえてきそうな二人の様子に、挟まれたままの立ち位置なのに口のほうは一向に挟めない私としては慄いてしまう。いやあの、お二人とも? 私について話しているのに肝心の私を置いてけぼりにするのはどうかと思うんだけど。何故かどっちもえらくヒートアップしているし……声を荒げたりこそしちゃいないがシズキちゃんとアイリスの間では火花がバチバチ散っている。私にはそれが見えるのだ。目が眩みそうだよ。
「…………」
助け舟を期待して黙りこくったままのカザリちゃんに目をやったが、それに気付いても彼女は口を開こうとせず、挙句にはそっと視線を逸らす始末。こらこら、斜め上を見たってそこには何もないでしょうに。関わりたくないからってそれはちょっと冷たすぎ。というかそこは関わってきてちょうだいよ、仲間がこんなに困ってるってのにさぁ。
なんて言っても、私が自分でどうにかできたらそれが一番なのもわかってるわけで。仕方ないので説得に乗り出すことにする。その相手は、アイリスではなくシズキちゃんのほうだ。
「ハルコさん?」
アイリスの傍へ寄っていこうとするシズキちゃんの肩にそっと手を置いて制する。剣呑な目付きを一転、あどけない顔で見上げてくる彼女へ私は軽く咳払いをしてから。
「えっとね。できればここはアイリスのお願いを聞いてあげてほしい。私なら大丈夫だからさ」
「でも、それでもしも」
「もしもはないよ、そこも大丈夫。……実際ね、アイリスが何を言い出すかは大方の見当もついているんだ」
後半はこっそりと耳打ちをして、だからシズキちゃんも心配しなくていいと伝えれば。私の息がくすぐったかったのかぶるりと身を震わせた彼女は、やがて小さく頷いた。




