426 エピローグ
◇◇◇
「ふう」
小さく息をつく。出番はもう少し先だけど、どうにも体が強張ってる。手足に余計な力が入っちゃってる感じだ。
どうも私はけっこー緊張してるっぽいな……うむむ、情けないことだ。でも仕方ない、いよいよ実戦で試すときが来たとなったらそりゃどうしたって緊張のひとつやふたつくらいはするわな。
三年だ。灰になってからもう三年が経っている。つまり試練に合格して女神の道具として活動を始めてからそれだけの期間が経過しているってことでもある。活動と言ってもその間にやったのは、連合国の防衛体制の見直しを手伝ったり、その流れで国の各地を改めて訪れたり、それと並行して皆で鍛えて灰の力を使いこなせるように頑張ったりと、まあ実践的なことは何もなくてひたすらに準備ばっかりだったんだけども。
そういう時間を過ごしてきて、いよいよというかようやくというか。それらの成果が試される本番を迎えようとしているのだから自然と私も張り切っちゃうってなもので。
試練の最終段階で至った「あれ」は、女神が言ったように奇跡の産物。いつでも引き出せる力ではないのだからあまり頼りにしないのが吉だと承った通り、今日までずっと安定したままに出し得る出力をできるだけ高めてきた。個人的な手応えとしてはバッチリなんだけど、それが本当にこれからの戦いで通用してくれるか否か。その明暗が出ようとしているわけだ。……だからって余分な力が入っていいことなんてないので、手をぐーぱーさせたり足をぷらぷらと振ったりしてなるべくのリラックスを心掛ける。
「にしても、三年か……」
長かったような短かったような。実際に戦う敵の姿もないままとにかく備えるために修行を続けるのは、なんともジリジリとした時間の過ぎ方だったけれど、今になって振り返ってみればすごくあっという間だった気もするから不思議だ。
こっちの世界に連れてこられたあの日も、アンラマリーゼを倒したあの瞬間も、ついさっきのことみたいに鮮明に思い出せるっていうのに、遠い思い出のひとつみたいにも感じる。灰になった影響がそういう風にさせているんだろうか。成長はすれども老化が止まっているよくわからない状態に今の私たちはあるので、その線は濃厚だった。純粋な人だった頃とは体感時間からして異なっているんだろう。
それでもこっちの世界に来てから過ごした濃密な時間は決して軽く扱えるものではない。三年間の修行はとても大変だった。だけど、その間は平和だったとも言える。おかげで私たちもそうだけど、連合国も第一・第二大陸にある四人種それぞれの国から支援を受け直して万全とも言える準備ができた。なんて言っても、それでどれだけ抵抗できるかはそちらも始まってみなければわからない。それだけ大いなる波は──第五大陸からやってくる強魔物は危険で厄介で、魔族を超える脅威だってことだ。
そんなものと戦うまでの時間としては……というか、魔王を未来永劫に討って獲得した時間としては、やっぱり三年は短か過ぎたな。これじゃ連合国の皆が可哀想だ。まあ、だからって期間が三十年とか開いちゃったりしたら私からすると困ってたけどさ。や、万全以上に備えるって意味じゃ三年よりは良かったかもしれないけど、それだけ修行の日々が続くなんてちょっと想像もしたくないっていうか。魔王期と平和期が交互に訪れていたせいでこっちの世界の人々にはそんなのないかもだけど、私の場合は待つのが長過ぎると絶対に中弛みしてたはずなので……これくらいの期間で結局はベストだったんじゃないかな。そう思っておくことにしよう、うん。
「お?」
シズキちゃんのほうでも接触したか。じゃ、私んとこにもそろそろ来るな。……しっかし便利だね、この同調での意思伝達。人のままだったらこうして離れて戦うとなるとお互いの状況確認のために通話アイテムが必須だったけど──具体例としては試練の旅でテッソ退治のために地下水道に潜ったときだ。なんだか妙に懐かしいな──今となってはお互いの思考・感情が距離関係なしになんとなくで理解できるためアイテムなしでもぜんぜん問題なし。言葉で伝えるほど事細かにとはいかないのが短所っちゃ短所だけど、その代わり、口で説明するよりもずっと早く相互間で意思を確かめられるという利便性も込み込みなんでメリットのほうがずっと大きいと言えるはずだ。
そんなことを考えながら軽ーく伸びをして待っていると──はいはい、来たね。空の向こうに浮かんだ点が少しずつ大きくなってくる。目を凝らしてみればこちらに向かって飛んでくるそれの正体が明らかとなる。明らかっつっても、説明するのはちょいムズイけれども。なんと言ってもそいつ、私の知っている魔物のどれとも雰囲気からしてぜんぜん違っているもんだからさ。
「これが、強魔物」
第五大陸っていう自然形成された本物の魔境で生きる超生物。の、一体。どす黒い肌に何本もの腕を持った、鳥と飛竜と悪魔を混ぜ合わせたようなそいつも、こちらを見ている。進行方向にでんと立ち塞がる私が敵だってことはちゃんと認識できているようだ。その目から──いや、目だけでなく全身から敵意が。強烈な殺意ってものが私に向けられている。
「へん。そんなんで怯むと思うなよ」
負けじと殺気を叩き返す。が、強魔物は咆哮ひとつでそれを打ち払った。自分で言うのもなんだけど今の私からは相当なプレッシャーが放たれているはずだ。仮にも神のしもべとなった身なんだからね。それを物ともしないとはさすがっていうかなんていうか。やっぱ半端じゃなさそうだね、第五大陸の強者は。その不気味な見かけ倒しではないってことがこの時点でよくわかる。
「強者って言っても最下層だけどね──うっし」
気合を入れて構える。強魔物の飛翔速度はかなりのもので、点でしかなかったのがもうすぐそこまで迫ってきている。進路を変えるつもりはないらしい。私という障害を排して真っ直ぐ第三大陸を、あるいはそのもっと奥の第一か第二の大陸を目指そうとしている。それができない可能性なんてほんの少しも考えちゃいない。というか私を食う気満々だな、こいつ。大口開けて涎を撒き散らすその獰猛な顔からは、同調なんてしてなくたってよーく気持ちが伝わってくる。
こんなんでもヒエラルキーじゃ下っ端もいいとこなのな……ますます信じられない魔境だよ、第五大陸。こいつでさえもこっち側の基準で言えば充分に特級か、それに準ずる危険度を設定されるべき強さを持っているのは確実。これで実はこのレベルが最上層です、ってんならまだ良かったんだけどね。女神の目測が誤るとも思えないし、こいつはやっぱり最下層の住人で間違いないんだろう。
つまり、この程度の奴はサクッと倒せなくちゃならないってことだ。下っ端にすら後れを取っているようじゃ先が思いやられるからね。
てなわけで。
「糸繰り──神奏糸」
空中に糸を張り巡らせる。修行の開始から一年くらい経った頃かな。危なげなく自分自身を神力で運べるようになったとき、糸も床や壁という従来の設置点を必要とせずにどこにでも仕掛けられるようになったのだ。おかげで、空中も主戦場のひとつになった今も糸の仕込みは可能。どころか空のほうが自由度が増して地上よりいいまである。糸そのものの性能の向上も合わさって今の私の糸繰りは敵からしたらとんでもない脅威になるはずだ。
その証明が、これ。
「空中壁糸、プラス斬糸」
なるべく見えにくく作った切れ味抜群の斬糸で、わざと隙間を広げた壁糸もどきにして目の前の空間に設置。すると何もわからずにそこへ飛び込んできた強魔物は顔面をズタズタにされて叫び声を上げた。それはさっきの勇ましい咆哮とは違う、明確な悲鳴だった。




