420 刻まねばならぬ
何より愉快なのは戦い続けているその理由だ。
ハルコたちは認められるために、女神は認めるためにこそ戦っている。これを可笑しがらずにはいられない。何故ならハルコたちはとっくに認められている。認めているのだ、女神だって。試練の目的は充分に果たされているというのに、尚も戦う。それはとっくのとうにゴールを通り過ぎているのに走り続けているようなもの。だからこそ愉快で、面白いと思う。こんな不合理で非合理な行いに自らを預けてしまえるハルコたちも、そしてそれに感化されている神にあるまじき己自身にも、心から笑いが止まらない。楽しいが溢れ出て止まない。
いくらハルコに食らいつかれようと、痛みを与えられようと、女神の笑みは消えない。
いや、むしろそれらを原料として彼女の昂りはますます神らしからぬものになっていく。
管理者失格だろうか? 悩むふりもまたそうだ、こんなの考えるまでもなく管理者に相応しくない。やるべきではないことを、自分はやっている。そうと認めないことも、認めてしまうことも、またどうにも開き直りにしか我ながら思えないことがまた女神を可笑しくさせた。今の彼女は箸が転げるだけで大笑いするだろう──それでいい、と彼女が自分を許せる内は。
故にハルコの目指すべきは単純明快。
女神を満足させればいい。不満の余地が一寸たりとも残らないくらいの大満足を与えてやればいい。ハルコはそれを迷っていない。何をすればいいかも、どうすればいいかも。まずもって満足を求めているのは他ならぬ彼女がそうであるからだ。
「悔いを、残さない……! そのためにありったけを! そうでしょ女神、あんたもそれだけなんでしょ!?」
宙を舞い踊りながらの打撃の応酬を繰り返し、血塗れの傷だらけになりながら、治癒の速度にも追いつかない程に新たな傷を負い続けながら、血反吐と共にそう叫ぶように問いかけるハルコに。
「ええ、そうです。そうですともはるこ……! あなた方のように、人らしく! 後先など知らずの今を、わたくしは──ここに刻みたい! 刻まねばならぬと、そう思うのです!」
白い夜空に黒い星々が瞬く。縦横無尽に空間を行き交った果てに掴み合いながら墜落した両者はそのダメージも厭わずに殴り合いを続行。もはや重力にすら構わない彼女らは地面のすぐ上にいようとも律義にそこに立とうとしない。そんなことをする暇があるなら少しでも殴る、蹴る、叩き込む。あまりに激しい攻防が二人を強風に吹かれる風車のようにグルグルと回転させ、ますます応酬の速度が増していき──。
「ガッ!?」
「っぐ!?」
噛み合いを見せたことで双方の重打が一切威力を落とすことなく同時に突き刺さり、互いを弾き合って再び地に落とされる。積み重なった負傷が故か今度は二人ともすぐに組み合おうとはせず、指し示したようにゆっくりと、息を整えながら立ち上がる。
「…………」
「…………」
見つめ合う無言の間。荒れていた息が僅かばかりに整い、傷も大方が塞がりかけたところで──どちらからともなく闘争を再開。どちらもがその場から消え去ったような加速を経て、そして互いの立ち位置の丁度中間地点で激突。ゴウンッ、と風を唸らせてからその衝撃が広がるよりも速く駆け上がっていく。空を、段階を、今この瞬間に抱くものを。一打ごとに高め合いながら急上昇を果たし、そして空も地上もわからない白一色の果てで殴打を止め合って睨み合う。
「見事──わたくしにも治天法を使わせ、尚も戦闘が成立している……! ふふ、ふふふふ! あなたはどこまで登り詰めようというのです!? たった『それだけ』のために!」
「わかってんよ意味なんてないってことぐらい! あんたが見たかったのはこんな強さじゃないってんでしょ……! 私だってこれからの戦いにこういう強さが必要だとは思っちゃいない──けど、だとしても! 全部が予定通りってわけにもいかないだろうからさッ!」
無駄な拘り。無駄な憤り。無駄な戦いをしているだけだとしても。世界を守るという課せられた使命を果たすためには、こんな不安定な強さに頼るわけにはいかないと。女神に直接指摘されるまでもなくわかっていたとしても──「それでも」と、そう思うからには。そう思わずにはいられないから。拘り、憤らずにはいられないから、やるしかない。とことんまで戦い抜くしかないのだ。
たった「それだけ」に今は女神も付き合ってくれている。予定調和しか好まないはずの管理者が目を瞑り、共に興じてくれているとなれば。あとはもうやりきるだけでいい。そのはずだろうと、ハルコは止められた拳に力を入れ直し、掌打を止めている腕に気合を入れ直す。
ぐっと押されて、しかし押し返しながら女神は頷く。
「一理あるかも、しれませんね。長く先延ばしにされた大いなる波、第五大陸の脅威との戦いにおいては、魔王期のように先が読めたものではありません。そこに理がどのような不確定を熾すかわたくしにも見通せているとは言い難い……であるならばこの試練、予定調和を通り過ぎても止まらないことは、良い試金石にもなり得るやもしれません──」
手ずから作り上げた魔王と勇者システムを元にして導入した魔王期という女神発祥の波は、それだけに御しやすく、白を脅かすイベントながらに不確定も極端に起こりにくい安定を見せていたが、その反面、どう取り繕っても繕いきれないイベントとしての破綻という理に沿った限界が出来に対して早く訪れてしまったわけだが。しかし次のイベントは良くも悪くもそうはならない。
いつ収まるのか、どこが終着となるのか、そして持続性は如何ほどか。全てはイベントが起きて、解決に向けて動き、その先でしか女神にも知り得ない。ある程度は世界の意向、あるいはその向かうところが望める管理者と言えども、まだ見ぬ波に関してはその大小や表面的な部分しか予測できないのだ。故に、第五大陸の魔物という長らく封じられてきた脅威についても女神はその強大さしか理解しておらず、いざ波としてそれが人の大陸へと押し寄せた時にどのような事態を引き起こすのか。単純に強力な魔物が襲い来るという「それだけ」に収まるのかは、そうだともそうでないともまったく判じられない。
だから意味がないとは言えないのかもしれない。無意味かつ無意義と言い切ることもできないのかもしれない。予定調和を越えて予測不能の領域にまで持ち込まれたこの試練を続けることにはそれなりの収穫もある……かもしれない。次なる波で予定外の事態に見舞われた際の予行演習として、その際にハルコたちがどのように戦えるかについてを知るための良い機会。
と、そう思いたいがためのこれもとんだ屁理屈なのかもしれないが。しかし一理あると感じたのに嘘はない。女神は今、自分でも考えがまとまらないからこそ本心を曝け出せているのだと、そこは理解できていた。
嘘だけはつかない。人にも、人以外にも、世界の全てに嘘だけは。ただし誤解はしてもらう──管理者として「似つかわしい」そんなスタンスも、今は。今だけは。この奇跡によって至り切った今のハルコにだけは、向けたくないと。そうとも心に感じているからには。
「認めましょう。あなた方は、灰としてわたくしの予想を超えた。それはわたくしの敗北だと。神が見誤った結果であると」
「……!」
「ただし」
突然の敗北宣言。それに驚く暇もなく、女神はニヤリと口角を上げた。そのいたずらな笑顔の意味をハルコはすぐに察した。




