419 熱を与えて
最初で最後の遊び。先の見えない、先を見据えずとも構わない、純然たる遊戯。自らのしもべである灰を相手にするからこそ可能となる神なる身でも行える余興として、女神はその生涯において初となる「ごっこ遊び」に夢中になっていた。
本当の意味での本気ではない。全力ではない。しもべが相手だろうと、神として間違ってもそれだけはできない。だから「ごっこ遊び」。それ以上にはなれないし、なってほしいとも思わない。──ただ、この心の内にこの感情があればそれでいい。それ以上は何も、どうだって。今はひたすらに味わいたい。ハルコという一個が見せるもの、魅せてくれるものを、たっぷりと。何ひとつ漏らさずにこの身に受け止めたい。それを最後に未来永劫に自身は神となろう。いつまでも世界を守り続けよう。それに相応しい自己から決してはみ出さない、飛び出さない。
だからせめて、今だけは。
「ねえ、はるこ!」
「何がねえだかわかんないけど──応とも、女神!」
空中で翻った女神の下段突きを、ハルコの背刀打ちが迎える。雷鳴のような激突の響きを生じさせた両者の眼差しが交差する。
「あんたの灰になるんだから。あんただってもう一人じゃない──一人には、させてやんないからさ。そっちの覚悟もしときなよ!」
治天法で神力を昂らせたハルコの神効が女神も飲み込む。「もどき」の術に女神は目を見開くばかりでまともな抵抗もなくハルコの下へと組みしかれ、そのまま下段突きをやり返されて勢いよく地面へと落ちていく。
「ふ──ふっふふ!!」
が、落ちる寸前に急停止。まるで空間そのものを掴んだかのように落下速度をゼロとした女神は、その体勢のままに落ちた以上の速度で打ち上がった。
「!」
「そうもわたくしに熱を与えて! どうしようというのです!?」
体当たり。腕も脚も使わない、その身そのままでただ通り過ぎる。途上にあったハルコを撥ね飛ばしたのはもののついでと言わんばかりに再び上空でくるくると回って身を翻す女神は、太陽のように笑っている。やはりどこまでも無垢で無邪気で、だからこそ恐ろしい。改めてその脅威を遥かに見上げながらハルコもまた回転して我が身の勢いを殺し、そして斜め下方の軌道で降ってくる女神へ拳を構えて備えた。
「どうもこうも──っらァ!!」
カウンターで打ち込むナックルアロー。またもや無策としか思えない突っ込み方をしてきた女神の顔面を打ち据えたことで軌道が変わる。女神は痛みと予期せぬ方向へ吹き飛ばされて目を回しているが、それもどこまで真に受けられたものか。ハルコは油断なく治天法を全開に自分自身を神力によって打ち飛ばし、女神の進路へ先回りする。
力の集約。
「認めてもらうんだ、よッと!!」
組んだ両手でのアームハンマーを女神の背中へと叩きつける。素の体でやっては自分の指を損壊させてしまう実用性の低いこの技も、灰の肉体で神力を纏ってやるなら問題なし。手が保護されているのは勿論のこと生まれる破壊力はハンマーどころではない。それも神力を込めて無防備な部位へぶつけたこの一撃は特段に重くもある。好き好んで非効率的な戦い方をしているとしか思えない女神が何を考えていようとも、あるいは何も考えておらずただ遊んでいるだけだろうと、それの代償は大きかった──と、思いたいところだったが。
「……それが私らの戦ってるそもそもの理由でしょうが。勝ち負けなんて私もどうでもいいから気にしてくれなくたっていいけど、そこだけは忘れないでよね。ふつーに腹立つし」
「ふふ、そうでしたね。わたくしに認めさせる。それがあなたたちの意地と矜持を熾す理由。ふ、ふふふ。面白いです」
面白い? とハルコが怪訝に返す前に女神が飛び上がる。跳ねたというよりもまさしく飛んでいる、自由自在に飛翔している彼女が空に不規則な軌道を描くのを油断なく見据えながらハルコは口をへの字にする。あれだけのものをぶち込んでやっても大して効いていないようだ。痛がる素振りもなければ動きが悪くなっている様子もない。ばっちりとあった手応えに反するこの結果に少々、考えの甘さを実感させられる。
想定し得る最大限の強敵と見做して戦っているつもりだったが、それでもまだ見立てが足りていなかった。本当にダメージがないにせよ、ダメージがありつつも平気の平左に笑っているにせよ、どちらにしたってハルコが痛恨のつもりで与えた一撃がまったく意にも介されていない。いやむしろ女神の喜びを更に募らせているとしか思えないこの現状は、つまり。
(もっと上がってかなきゃってことだ──私も! あんたくらいにぶっ飛んでかなきゃいけないってことだ!)
遊覧飛行をしていた女神が不意に迫ってくる。緩やかだった飛翔速度が一点して途方もない速さになった──一瞬で最高速に持っていくその加速の仕方はあたかもハルコの超速踏み込みのよう。ただし女神の場合はこれさえも最高速かは定かでない。否、確実にもっと上があると思っていたほうがいい。
ならば自分もこの程度には余裕で対応できなくてはならない。刹那の思考で意気を高めたハルコはそれに呼応して膨れ上がった神力を治天法で「練り上げて」加速。迫る女神と同等の速度で空中にいるままで自身を運んでいく。
「まだ逃げますか? 大いに結構、追いかけると言いましたからね」
「!」
同じ速度であれば今ある距離は縮まらず、追いかけっこが終わらない。はずだったが、ハルコが移動を始めた途端に女神の速度が上がった。やはりまだ最高速ではなかった。ぐんぐんと間を詰めてくる女神に対し移動をやめないまま向き直ったハルコは、次の瞬間にはもう突き込まれていた貫き手を腕の円運動で払いのけて凌ぎ、その腕で即座に反撃を仕掛けた。しかし女神も払われた腕を素早く返してハルコの打突を打ち払った。同時、空いているもう一方の腕が互いに肉迫しており、それらが擦り合わさるように交錯しながら双方共に腹部を打たれる。
「ッ、う」
「かふっ──ふふ!」
攻撃同士の接触があったことで威力が減衰し、打ったそのままを食らったわけではないが、しかしそれでもどちらの打撃も強力だった。内部にまで通ったそれがハルコの腹を焼けるように熱くし、女神もまた口から空気を絞り出して苦しんだ──が、笑う。彼女の笑みは消えない。超然とした神らしいアルカイックスマイルとはまるで異なるその剥き出しの笑みは、故に、浮かべ続ける理由もまたまるで異なっていて。それを向けられてハルコもまた、滾る。振り落とされて堪るかと一層に気力が湧いてくる。
「ぉおおォぉおッ!!」
空中を高速飛翔しながらの打撃戦が続く。打って打たれてを繰り返す度に白い空間の白い大空へ歪みという黒い異物を生み出しながら、それが消えようとする頃にはまったく違う場所でまたいくつもの歪みが生まれている。
当初は想定になかった「この領域」に立つ者同士での戦いが、女神が設定した空間に過度な負荷をかけている──しかし空間の向こうに第二の壁とでも言うべきセーフティーが張られているため、仮にこの戦いがどれだけ激しさを増そうとも空間そのものが壊れることはない。……はずだが、しかしここまでに何度となく想定外は起こっている。その保証だってどこまで当てになるものかは女神をしても不明だった。
「っしゃぉらあ!!」
一際に強い打撃が女神の頬を打ち抜く。その凄まじい打力に逆らわずくるりと回った女神はお返しとばかりにハルコを蹴りつける。痛みに耐えながらハルコがまた打ち返してくる──面白い。ああ、面白い……!
女神の笑みは消えない。いや、むしろ。




