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417 もう試練じゃない

「ふふ」

「ッッ!!」


 苦悶しながらも空中で体勢を整えたハルコは倒れず、着地と同時に構えを取り直した。その眼前に女神の笑顔。晴天を連想させる程に澄み渡ったそれを見せつけられて無意識に頭を引きかけたそこでがっしりと両手で後頭部を掴まれて。


「えい」


 頭突き・・・。まさかのヘッドバッドを鼻っ柱に受けてハルコは「~~っ!」と二重の衝撃に悶絶する。それでも連続で放たれた二発目の頭突きは自ら膝の力を抜くことで女神の手から頭を擦り抜けさせて回避。そのまま身を沈めて水面蹴りを敢行。女神の足元を崩さんとしたが、ぴょんと可愛らしく跳ばれて回避される。そしてこれまた可愛らしくぴょこんと女神の足先が跳ねる。


「やっ」

「ッぎぃ!」


 軽く振り上げられただけにしか思えないその蹴りとも言えないような蹴りが、しかし込められた威力は凶悪無比。打たれたばかりの顔の中心へ頭突き以上の一撃を貰ってハルコの上体が傾ぐ──いや、食らいはしたが丸ごとではない。ハルコは打撃に逆らわず自分から倒れることで衝撃をいくらか逃がしていた。大袈裟な倒れ方はそのため。低い姿勢のまま開脚回転で天地を戻したハルコは起き上がり際に地を蹴りつけて後方へと退避。女神から距離を取った。


「おや、引きますか? ふふ、ならばそれも良し。わたくしが追いかけるとしましょう」

「ちっ……楽しそうにしてくれちゃって」


 無垢な少女のような表情でころころと笑う女神に、鼻から垂れ落ちる血を払ったハルコも笑う。悪態を吐くような態度とは裏腹に彼女も笑顔で、払った後にはもうそれ以上血も流れない。治っている。鼻腔内の粘膜という傷付きやすい部分とはいえ、裂傷をそこに負っていながら立ちどころに治癒が済んでいる。これを自己治癒への魔力の集中を行わずとも実現できているのだからつくづくにハルコの人間離れが著しい。昇格・・が、目まぐるしい。


 その事実を当人はどう受け止めているのか。そもそも自身の状態をどれだけ正しく把握できているのか。女神ばかりを強く見つめるその在りようからは想像もできない。女神をして内心を推し量り切れない──より正しくは。


 推し量りたくない。知ってしまいたくないと、まるで楽しい物語の終幕ネタバレを嫌う子どものように女神もハルコだけに、彼女の輝きだけに想いを向ける。それ以外のことは何もかも余計で、終わった後で事足りる取るに足らぬことであると。


「行きます」


 わざわざの事前予告。例の滑るような足運びではなく堂々たる一歩を誇示するかの如くに踏み出し、そこで清閑合一を発動。本気の踏み込みに加えて本域の神の技を以てハルコの目から逃れてみせた女神は、それをハルコが認識した瞬間にもうその横で足を振り抜かんとしていた。


「ッぐぅ!!」


 それでも咄嗟に腕を交差させて防御態勢を取れただけハルコの反応速度も桁違い。女神の蹴りはしっかりと受けられた──が、鉞のような軌道で叩きつけられた蹴り足をハルコは両腕を用いても完全に止め切れず、またしても大きく弾かれて宙を舞う結果となった。


 無造作な動作にとんでもない威力が内包されている。同じような蹴り方をしたって自分ではどれだけ脚力があろうとこうはならない。ここまで「高まって」尚も歴然と存在感を放つ彼我の差。その歴然と横たわるまるで渓谷のように大きな溝にハルコは──むしろ笑みを深めて。「ぅおっらァっ!!」と雄叫びと共に体にかかったGを利用しての空中横蹴りを放つ。


 言葉通りに追いかけてきていた女神を足刀が襲う。そうして動きが止まったところへ体躯に捻りを加えてもう一方の足で空中回し蹴りを叩き込む。激しい衝突音を立てて女神が地へ落ちていく。


「ちっ!」


 なのにハルコが再度の舌打ちを漏らしたのは、命中したかに思えた二発の蹴りが実質的に不発であったと感触で理解しているからだ。──てんで効いちゃいない。端的な感想はそれ。女神は防御こそしなかったが、打ち込んだ部位を神効が厚く保護していたのをハルコは見逃していない。それが鉛とゴムが混ざった不可思議な物体を蹴りつけたような手応えのない感触を生んだのだ。


 女神を遠ざけることで追撃を防げはしたが反撃として見るならなんの意味もなしていない。女神は防御ができなかったのではなくあえてやらなかったのだと悟りながら着地したハルコは間断なく超速踏み込みを行ない、女神の下へと突撃を決行する。戦い方を変えた女神に、だからこそ自由を与えるのは愚策。主導権を渡してはいけないと判断して彼女はより前のめりになることを選んだ。


(これまでずっと、やたら上品ぶってる感じだったのが急になんか──そう、になった! 良くも悪くも素朴で粗野。そのせいで今の女神がしそうなことをまったく予想できない……!)


 素朴で粗野。美しさすら感じさせる流麗な動きで翻弄し続けていたここまでの戦闘スタイルとは似ても似つかない、奔放な体の使い方。蹴りひとつ、移動の仕方ひとつ取ってもハルコの抱いた所見の通りに女神らしくないもので、故に。何かが剥き出しになったその戦い方は相対する者へ独特な危機感を募らせた。


もう試練じゃない・・・・・・・・のかもしれない。私たちが女神の想定を超えたステージに立っていることの証明としてこうなったのかも、しれない。それ自体は望むところ! だけど、やりづらいものはやりづらいって!)


 にこにこと己を待ち構える女神へ吶喊。飛び込み打ちを見舞うも、真正面から突き出された女神の拳がそれを迎え撃った。神効が特段に集ったそこから溢れ出す暴。威力を増した神効戟は加速力をそのまま打撃力に加えたハルコの一打に棒立ちのままで対抗、拮抗し、僅かに上を行きまでした。


「ッく……!」


 互いの拳が弾かれて後退。ハルコは苦痛に喘ぎ、女神も腕を振って調子を確かめているが、しかし負ったダメージで言えばこちらが大きい。それを認めながらハルコは止まらない。あくまで前のめりを止めない。仕掛けるは常にこちらであるべきだ。


 そのほうがもする。残像すら見せる切り返しの速さで女神の正面から側面、そして背後へと回り込んだハルコはその最中に清閑の深度をより深めた。今の女神相手に意を消したところで捕捉から完全に逃れることは不可能。だが、ほんの微かにでも自身の気配を「くゆらせ」さえできたならそれで充分。そのつもりで間を詰めたのは女神の視線の圧が僅かに薄れたのとまったく同時。


 遅れれば捕まる。けれど先んじてもそれは同じ。捕捉の薄れを感知してからでは手遅れだが山勘でタイミングを合わせるにはあまりに捉えるべき機が短くシビア──ハルコは前者の合わせ方を初めから考慮にすら入れず、後者の博打のような合わせ方をまったく当然に。博打などではなく「合わせられるのが自然なこと」だとでも言うように、なんの労も感じさせずにこなしてみせた。無論に合一と神効もどきもその動きに完璧に合わさっている。


 いくつもの要素を重ね合わせて成果を倍増させる。肉体ひとつでも至難となるそれを神域で行えば、それもまた神業。


「治天法……そこまで辿り着きますか」


 ビギリ、と衝撃に壊れかけた空間が即時に修正される。その狭間で、ハルコの殴打を受け止めた女神の腕──罅割れのような傷の付いたそこから血がポタリと垂れ落ちて。

 そして。



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