414 結実
答えがわからなかった。なんと応じればいいのか、正解も、不正解さえも、何ひとつとしてわからず言葉が浮かばなかった。だから何も言えずにいる彼女へ、ハルコがそれがわかっていたかのように一人で続けた。
「目指しているのは……合格するためじゃない。あんたに勝ちたいってだけでもない。私たちは──『自分に負けない』ために頑張っている。なりたい自分になるために、そういう自分であり続けるために。膝を屈しちゃいけないし、心が折れるのなんてもっての外。ねえ女神。もう充分だってあんたは言うけど、それはあんたが思うだけのことでしょ。私たちには関係のないことでしょうが」
「関係──ない」
いや、そんなことはない。そんなはずがないだろう。試練は双方向のもの。課す側と課される側の双方がいて、双方が協力しているからこの長丁場で地続きのいくつもの試練は成り立っている。合格の判定を下す女神の意思や判断を「関係がない」と下されるほうが突っ撥ねてしまっては試練が試練でなくなってしまう。破綻してしまうではないか。
しかもわけがわからないのは、不合格の判定に不満を覚えて拒絶するというのならまだしも心情として理解できるというのに、そうではないこと。合格判定に対して「まだだ」と試練の続行を訴えてきているのだから事は複雑だ。その動機が自分に負けないため? 意味がわからない。女神には重ね重ねにわけがわからない。
人の機微。盤上を動かすための作為としての理解はあっても、こうまで強く、そして人の常識からも外れて一等に極まった想いとなると、もはや女神には理解不能。それは彼女の察しが悪いのではなく神という立場が強いる人との隔絶がその理由。だからこそ灰に選ばれた者は神格を宿し、それを増やしていくと同時に「神の視座」というものを得て思考回路が変わっていく。段々と神の領分へと染められていくわけだが──灰らしい灰への一歩目。それを既に踏み出していると言っていいハルコが、ナゴミが、シズキが、カザリが、コマレが。なのにまだ女神の理解が及ばない「人としての意志」を。執念や拘泥と言っていいそれを手放さず突き動かされていることは果たして奇跡の範疇か、ある種の異常事態なのか。
それさえも女神にはわからなかった。
「だとしても、じゃない?」
「……!」
「困惑が伝わってくる。あんたの気持ちがこんなにはっきりとわかったのは初めてで、正直笑っちゃいそうなんだけど、ぜんぜん笑いごとじゃあないんだよね。それだけ私たちとあんたはまだ離れていて、まだまだ歩み寄れてなくて、それでもって手を取り合わなくちゃいけないんだから……前途多難ってやつだ。試練こそ順調でもそこはちょっと問題アリだと思うんだけど」
「──確かに、今後の課題となるやもしれませんね」
ハルコたちが変わり果てる懸念を女神も持っていたとはいえ、それが少なくともこの灰としての最初の試練においては問題がなかったことに安心もあるとはいえ。しかしここまで「近寄らない」となればそれはそれで問題だった。最低限、もう少しばかり神と灰とで通じ合う部分が増えるはずだった。けれどそうはならず、若干ながらに感度こそ増したもののそれだけだ。それ以外の変化はなかった。起きるべき変調さえもなかったのだからそちらの面でもこの先の見通しが狂ったと言えるだろう。
それが悪いことかと言うとハルコたちのスタンスを思えば微妙なところだが、だからとて良いことだとも決して言い切れはしない。人らしさ、己らしさを残しつつも通じるべきは通じる。それができないままでは灰の機能と活動にいずれ差し障りが出るのは確定しているからだ。あるいはそれさえも彼女たちならば絆と可能性の力で乗り越えてしまえるかもしれないが、それはその時になってみなければわからない。そしていざその時になって「乗り越えられませんでした」ではお話にもならないのだから女神としては頭が痛い。
歓迎すべきことか否か。それがわからぬままに一応の終止符を打とうとしていた女神だが、それに待ったをかけるのが他ならぬ少女たち。全員を代表してハルコは問いかけるのだ。その困惑を困惑のままに終えてしまうのは試練の不備ではないのかと。
「だから、だとしても。私たちの今と先がどうであれ、『ここ』でやり切るだけをやり切らないのは怠慢だし敗北でしょ。それは私たちの負けでもあるし、女神。あんたの負けでもある。なあなあにしていいことじゃないと私は思う」
「やり切る、ですか。そうして完膚なきまでの決着を望むと。そうでなければあなた方はわたくしにではなく己に対して敗北を喫してしまうと──納得ができないと、そう言いたいのですね」
「あは……ようやく話が通じてきて嬉しいよ。少しだけどね」
笑い方にさえも力がない。揺れる足元には何もせずとも倒れてしまいそうな脆弱さしか感じられない。それだけハルコは疲れ切っているし弱り果てている……だが、その口振りはいくらでも戦える強き者のそれだった。
「お次はあんたが、かかってこい。こっからの私は私たちだ。──強いぜ」
「……!」
違う、と気付いた。勘違いを自覚した。ハルコは無理を通してなんとか立ち上がっただけ。回復したわけではない。特別な力を授かったわけでもない。……それ自体は間違いではなかったが、しかしそれは正しくもなかった。認識がそこで止まってはいけなかった。
回復も、力を授かるのも、これからだったのだ。
(結実は、今)
ハルコの背筋がピンと張る。脱力していた手足に力が籠る。力強く、けれど過度ではない自然体で、構えが取られる。いつもの構え。いつも通りのハルコの戦う佇まい。ただし、どこかいつもと違う。何かがいつも通りではない。それは女神の目には映らない、神の観察眼でも写し取れない、されど確かに女神をしてもしかと感じられる「人の力」の輝き。五人の少女たちの想いの輝きが、ハルコを包み込むように宿っていた。
「これは強化じゃない」
「ええ──魔力による強化とも神力による強化とも異なる」
「そう、これはただの」
「「錯覚」」
あたかも女神も知らぬ特異な術でも発動したかのようなこの現象も、しかし解きほぐしてみれば錯覚であり、錯誤であり、単なる気のせいでしかない。だが確実にそこにあって、ハルコに力を与えている。それを不可思議と取るか否か──ハルコ当人の認識は言わずもがな。
ならば再び見定めなければならない。
「段階は据え置きですよ、はるこ」
「もちろん、それでいい。そうでないとそれこそ意味がない」
皆の仇を討つ、なんていう気持ちを第一にしているわけではない。ただし「目に物を見せてやる」と決意してはいる。ここに至って俗っぽいと彼女自身思わなくもないが、それもまたハルコの原動力。仲間を想う絆の表れなのだから否定をしない。やられっ放しの怒りも昇華するのだ。今の自分にならできると、そう自ずと信じられているだけに。
だからハルコに迷いや惑いはなく、限りなく透き通っていた。それは神域の気。人の力の結集が、されど灰の身に起きたことで彼女は五人の内で最も奥へと歩を進めた──この奇妙を前に、女神は思わず笑みを浮かべる。
「真実、これが最後の攻防となるでしょう。あなたにはいっそうのことに苦と労が降りかかる。覚悟はできていますね?」
「望むところ」
「では……参ります」
そう誘われた通り、仕掛けたのは女神のほうからだった。




