413 なんで
──かに、思えたが。
「……?」
勝利したはずの女神は訝しむ。何かが聞こえたのだ。
声だろうか? それとも物音だったか。自身に判別がつかないという異常を彼女は楽観視しなかった。足元に倒れるナゴミを今一度よく確かめる。落としたという手応えとは異なり、実はまだ意識があるのではないか。さんざと瀬戸際でこそ覚醒を果たしてきた少女たちだ、トドメを打ち込まれるあの瞬間にまた奇跡が起きていたとしても不思議ではない。そう考えたが、違う。ナゴミはまったく動かないし、完全に気を失っている。つまり声だろうと物音だろうとそれを立てたのは彼女ではないということだ。
「…………」
振り返る。では他の四人の誰かが意識を取り戻したのか。ナゴミの直前に倒れたばかりのカザリとコマレは考えにくいとしても、先に落としたハルコやシズキならまだ考えられなくもない──勿論、多少の前後があったとてこんなにもすぐに起き上がれるような倒し方を女神はしていないが、それもまた「絶対に」起こり得ないことではない。自らの目の観測はそれを否定しているが、しかし先読みは既に何度も覆されている。予測から外れた予測として女神はハルコを見て、シズキを見る。
……違う。この二人も意識を取り戻してはいない。ではまさかカザリとコマレのどちらかを仕留め損ねたか? ……これも違う。二人共に気絶したまま、いずれも起きる気配もなし。
異常は起きていない。それが結論。それこそが何よりも異常だった。人であれば単なる聞き間違いとでも納得していただろうが、女神にそれはない。神に聞き間違いなどないのだから、何かが聞こえたのならそれには元凶があって然るべきなのだ。
「!」
まただ。また、聞こえた。それも今度はさっきよりもハッキリと、しかして出所はわからないままに──声、のようなものが。呼びかけるような、歌いかけるような、明瞭な言葉にはなっていない、だが確かな意思を感じさせる声。まるで周囲で渦を巻くように奏でられるその音に女神の眉根が寄り、ひとつの可能性に思い至る。
(これは、彼女たちの想いが──?)
意識を奪われ、肉体の操作権を手放し、ただ倒れ伏すだけの少女たちが、けれどそれでも抗わんと見せる意思。強い意志が、見えない声に、形無き力となって、立ち上がろうとしているのではないか。
自身が支配する空間内において自らの関与しない妙なものが広がり、何かを為そうとしている。それを感じ取った女神の思考が確かな答えを出す前に状況は刻々と変化していく。
結集しようとしている。朧気で不確かだった声が、力が、集うことで形を得ようとしている。結果を求めている。それはやはり道半ばで倒れた少女たちの想いがそうさせているのだろう。全員が打ち負けたこの時をそれでもまだ「完全敗北」とは捉えていない少女たちの、どこまでも諦観を知らない心がそうしているのだろう。
(灰同士の同調効果。それに……人の繋がり、ですか)
これもまたひとつの果てか。今の彼女たちで行きつける最奥の扉が開かれた。そうでないとこのようなことは起こるはずもない。いくら彼女たちの結びつきが強固なものだったとしても一人の意識もないままに、以心伝心もないままに行動を取り、行為を成すなどと。戦えないままに戦おうとするなどと、そんなのは灰の領分だって超えてしまっている。それはたとえ彼女たちが「灰らしい灰」になったとしても変わらない、彼女たちだからこそ実現できる境地である。
そうと認め、目を細める。結実していく繋がる心の力がどこに集まろうとしているのか、女神には明確に示される前にわかった。何故それを予測できたのか。何を以てして根拠としたのかは女神本人にもわからない。先読みとは違う、神の感覚とも違う、単なる直感の当てずっぽう。だがそれを確信とした女神の推測は見事に的中。力の結集先は──ハルコ。
「ふ……まったく、本当にあなたたちは」
今の今までぐったりと伏して復活の予兆などまったく感じさせなかったその体が、ぴくりと反応して。そして手足に力が戻り、ゆっくりとだが起き上がろうとする。その肉体の下に集まった力に引っ張り上げられるように、一体となろうとするそれに持ち上げられるように、ハルコが立つ。面を上げる。
「……女神」
静かに呼ぶその声音のなんと弱々しいことか。吹けば飛び曝せば崩れる砂の城を思わせる疲れ果てたその顔、その瞳、その出で立ち。けれどそのどれにも「諦め」だけは見えないのだから大したものだろう。女神は自分の機嫌が頗る良いことを自覚しながら言った。
「体は動かずとも心を動かし、全員でひとつとして震わし、現象としてあなた一人に集った。もう立ち上がれないはずの肉体を立ち上がらせた、ということですね。素晴らしい。斯様な真似をしてくるとは……これもわたくしの見る未来にはなかった光景です。ええ本当に、この上なく素晴らしい。わたくしは感動を覚えています」
「……、」
「ですが」
気遣うような、どこか憐れみを感じさせる眼差しで女神はハルコの上から下までを眺めて。
「それでまだ戦うことに意義はあるのですか?」
そう問うた。
回復したわけではない。特別な力を授かったわけでもない。動かない体を五人分の「負けん気」で無理くりに動くようにしただけ。それも、辛うじて動くというだけで十二分ではない。戦闘に耐え得るようにはなっていない。そんな有り様で戦おうとすることに何かしら生まれるものはあるのか。まだしも勝負を継続させる──それも持って数秒としかならない延長に、得るものがあるのか。
意志の力は認めよう。心の強さも、可能性の未来も大いに讃えよう。しかし流石にこれ以上続けることに賛同はしかねる。詰まるところ無意味な行為に終わるのなら合理性を重視する女神には我慢がならない。また、なんら意味などないのにこれ以上少女たちを痛めつけるのに女神自身が耐えかねる。
もういいだろう。もう充分だろう。もうやりきっただろう。
もしもまだ合格の不安視をしているのならそれは杞憂だと教えてやるし、完敗してなお合格と言われることに恥辱を覚えるというのなら説得しよう。ナゴミにも言った通り、それはなんら恥じるものではないのだと。とうに基準は過ぎており、女神が思い描いた最善以上の結末に辿り着いている。結果も女神もこれより上を望もうとはしていない。不満を抱いているのは少女たちだけで、それも単に少女たちの理想が高過ぎるが故のことでしかない。
引き上げる立場の神よりも見据える先が高いとはなんとも天晴れな志ではあるが。それも讃えつつ、しかし現実だって見せなければならない。どうにもならない事実だって認めさせねばならない。それが彼女らの主たる自分の、この試練における最後にして最重要の務めだと。
「──、」
そう考えて教え諭すべくハルコへ近づかんとした女神の足が、一歩目で止まる。
そこで止まれとハルコの目が訴えていた。拒絶していた。勝負の終わりを、優しく上から諭されるのを、ご免であると。まだ終わっていないのだと語っていた。
ふう、と小さく鼻息を零して。そしてハルコは言った。
「節穴じゃんか」
「……!」
「見え過ぎているから、何も見えちゃいないんだ。意義だ意味だの、下らないことに捕らわれるんだ」
「下らない……」
「そうだよ、下らないしアガりもしない。……逆に訊くけど、女神はさ。私たちがこれだけ必死こいてるのはなんでだと思ってんの?」
なんで──なんで? そこで女神は口を閉ざした。




