412 三人目・四人目・五人目
顎を伝い落ちる血と汗を拭いながら吐かれた想い。熱量がそのまま言葉になったようなそれをぶつけられて、しかし女神の表情は少しも動かず。
「ふむ。相も変わらず、意気込み見事。されども、厳しいことを言わせてもらうなら。その威勢に対して実が伴っているとは評せませんね」
「……うん」
首肯するナゴミの顔は女神と打って変わり、どこか物悲しげだった。本当の意味で通じ合えることはないのだと、多少どちらがどちらに感化されたとしてもそれだけは変わらないのだと、女神の態度に教えられたからだ。
けれどそれは、少しだけ寂しくも思うものの、悲しむようなことではないのかもしれない。人に容易く染まっては神は神でなく、またナゴミとしても人らしさを失わないためには神の思想に染まってはいけない。そこに確かな違いが壁のように横たわっている間は、まだ恐れる心配もない。変質はあくまで灰としての力を得るだけに留まり、自我の裡から変わり果てていく兆しもやってこない。
女神に認められるくらいの「灰らしい灰」に成ってしまえばそれもどうなるかはわからないが……今この時、この場面において自分たちは自分たちのまま。人間の気持ちのままで戦えている。それが大切なことだとナゴミには感じられた。
女神が見極めんとしているのは力だけでなく、そういう部分も含めてであると。そのために彼女は突き放すばかりで歩み寄るような甘えに等しい優しさは見せないのだと。
「あなたを沈ませるに最も相応しい一手が何か。──防げますか?」
だから、こういうこともしようとする。
ナゴミは即座に飛び出して攻勢に出る。女神が行動を起こす前に自身に釘付けとするために。だが、その神の目ならずとも見え見えの思惑に女神がしてやられるはずもない。仕掛けたはずのナゴミは、けれど仕掛けさせられたからには相応のしっぺ返しを食らう。
「ぐ、っう」
すれ違いざま顎に受けた掬い上げの掌底にガツンと脳を揺さぶられ、けれどカザリとコマレの魔力が揃って彼女を気付けする。その助けに感謝や感動を覚えるよりも先に反転しまだ背中を向けている女神に振り向きながらの回し蹴りを放つ。が、あえなく目標をロスト。マズいと思った時にはもう視界がブレていた。頭部を掴まれての投げ。足が床を離れる前に自ら跳んで落とされるのを防ごうとしたがそれさえ読まれていてはどうにもならない。文字通りに女神の掌の上で転がされたナゴミは受け身も作れずに肩から地面へと激突する。
「爆発反応はわたくしの神力に対象を絞ってのものですか。闇雲に魔力を消費しない工夫としてよく出来ていますね──しかしそれももう関係がなくなる。あなたはまた起き上がるのでしょうが、もはや手遅れ」
「……!」
ぐわんぐわんと撹拌されたように揺れ動く景色。それでもしっかりと聞こえる女神の台詞に急いで立ち上がろうとするが、そのために床へ手をつくのさえも一苦労。腕も脚も自分のものではないみたいに言うことを素直に聞いてくれない。
二人の魔力が少しでも平衡感覚を取り戻さんと重点的に頭部での働きを強めているのを感じる。きっと気休め程度の効果しかないだろうが──纏わせただけの魔力では治癒能力まで飛躍的に高めることはできないために──ナゴミは確かに回復が速まったのを実感し、なんとか体を起こすことができた。
「あ……」
そこで魔力が、ふっと消えた。自分を守ってくれていた、支えてくれていた魔力。カザリとコマレから貰った攻と防を担うふたつの術が、なくなってしまった。
何があったかなんて確かめるまでもない。わかり切っていることだ。女神が何をしたかなんて──今のナゴミを無力化させるために最も効率的な手段が「なんであるか」なんて、あまりにも自明なのだから。
だけどもナゴミは確かめずにはいられなかった。顔を上げて見ずにはいられなかった。見たくもないその有り様を、けれどしかとその目に焼き付けなくてはならなかった。──だが視界いっぱいに映ったのは女神の純白のローブ、その膝元だけで。
「お察しの通りにこまれも、かざりも、もう何もできません」
「う……、」
漏れ出たものは肉体ではなく精神の苦痛。認め難い現実を前になおも立ち上がろうとするナゴミを見下ろしながら、邪魔をするでもなくトドメを刺すでもなく女神は淡々と続けた。
「三人目と四人目。……残すところはなごみ、あなただけ。あなたが倒れれば初めての勇者一行全滅と相成るわけですが。どうです? まだ、あなたの覚悟は潰えませんか?」
無慈悲な問いかけへの応答はなかった。ただし遅々としながらもどうにかこうにか自身の足で立ち、正面を向き、腕を上げてファイティンポーズを取った、その姿こそが。彼女の出で立ちこそが何よりも雄弁に答えとなっていた。
「良哉」
短くも心からの称賛を口にしつつ、女神の掌がナゴミへと向けられる。その顔へと照準が定められる──三重魔力を合一させる爆発的な強化による下駄も脱がされ、もう誰の支援もなく、正真正銘に一人切りとなったナゴミは、それだけでも絶望的だというのに彼女自身ももうボロボロだ。これ以上抗うことは、時間を稼ぐことはできない。それを証明するように女神は最後の一撃をこれより見舞う。
段階が上がるというのは単に強度の向上や切る手札の増加だけを意味しない。先程までの女神がカザリとコマレを優先的に狙おうとしなかったのはナゴミに──その前にはハルコやシズキにも──それを阻止できるだけの力があったからだし、また五人揃っていてこそ発揮されるチームとしてのポテンシャルを最大限にまで引き出したかったからでもあった。
しかしここに至った女神はもはやそういった配慮もしない。それはその配慮を取り払うだけの強さを少女たちに認めたということでもあり、またチームとして見るべきものは見終わったという見切りでもある。故に躊躇なく落としにかかり、まずはハルコ。その次にシズキ。思わぬナゴミの決起に少々粘られはしたが彼女が弱ったからには、カザリとコマレ。落とせるところから確実に。着々と、実々と。
ナゴミが今の時点で更に上向くことがないと目が語り、またナゴミ自身の心境からも同様の声が聞こえてくるからには、三者分の合一を見守る意味もなくなった。だからこうして、ナゴミを孤軍奮闘へと追い込んでみたわけだが。あのまま粘らせるよりもいっそ決定的に追い込んだほうがまだしも跳ねる可能性があると見越したわけだが……こうなっても落ちない戦意は嘘偽りなく素晴らしくとも、やはり実は伴っていない。ナゴミはもう死に体である。その心にも、仲間を守れなかった失意が毒のように広がり出している。
心身の弱りは確定的だ。せめてどちらか一方だけでも生きているなら、活かせているならもう一方を奮い立たせられもしただろうが。両方が共に萎れていては奮い立つものも奮い立たない。所謂「火事場の馬鹿力」という底を突き破って現れる力に期待は持てやしない──ならば、もはや。
「終わりといたしましょう。五人目です」
ナゴミはそれでも立ち向かう意志を見せた。放たれる神効戟を躱しながら踏み込み、反撃の一打をぶつけようとした。そういう未来もあったと女神の目は彼女に教えた……が、実際には何も起こらなかった。その未来ごと女神の術が少女を叩き潰した。躱す間も踏み込む余裕もなく、一歩さえも動けずにナゴミは倒れる。無念を抱き、苦渋を味わいながら。そしてもう立ち上がる気配もなし。
これにて勝負は、試練は終了。その結末は少女たちの完全敗北となった──




