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401 先も後もなく

 どれだけ清閑が神業であったとしても攻撃の威力を引き出すには心身の意を沈めたままとはいかないだろう。ほんの軽い一撃ならば──それが女神の繰り出す一撃となれば受ける側からすれば「軽い」では済まされないけれども──清閑を維持したまま、攻撃を受けたその後にしか張本人が気付かない。つまりはまったく対処のしようがない一撃にもできるかもしれない……いや、女神なら当然にそれくらいはやってのけてしまうのだろうが。


 背中から強烈に地へ打ち付けられた痛みと酸欠に悶えながらハルコの脳内は疑問で尽きない。この威力。途方もない勢いで投げられたこの技には、明らかに神力が用いられている。それも神力光同様、現在の女神が自身に使っていいと許可した水準としては最高峰の質と量、どちらも揃った神力が。それだけの意を、威を、異を振り撒いておきながら何故そこまで隠し通せるのか。何故そこまで静けさの中にあるのか。


 苦痛を与えられてようやく攻撃を受けたのだと悟ったくらいだ。本来なら手を置かれたあの瞬間に本能が叫んでいなければおかしかった。掴み投げられるその一瞬に対応せんと体が動いていなければおかしなかった──なのに何もできなかった。ただ大人しく投げられただけ。人形がそうされるようにまるで無抵抗に、まるで意思なきが如くに。


「そう、意を消すことの究極は敵対者の意さえ消し去ることにあります。当然の理屈でしょう? 自身が消え去ればそこには敵対という関係性さえも消え去るのですから──無為の攻撃は攻撃に非ず。無垢なる害意は害意に非ず。ただそうなるだけのものに過ぎないのです」


 ただし、と女神は今になって何が起きたかを悟って向かってくるナゴミとシズキへ視線を移しながら尚も続けて。


「今し方あなたが受けたのは合一。清閑に並ぶ神たる技能のひとつ……類することを既にあなた方も魔力で行っていますが、言わずもがな極致には程遠い。もう一度よく見せましょう」


 女神は消えなかった。清閑を用いれば、ハルコに対してそうしたようにナゴミとシズキの視界から逃れて一方的な優位を取れるだろうに、今度はそうせずに真正面から二人を迎え撃つつもりのようだ。そうと知ったハルコはだったらと少しでも二人の助けになるべく糸を伸ばそうとするが、女神がそこを織り込んでいないはずもなかった。糸が出ない。痛みだけでなく付与された神力の作用がまだ色濃く残り、ハルコの意識を邪魔している。集中を乱される。これでは糸繰りどころか体を動かすことさえままならない。その事実に強く歯を噛み締めるハルコの傍らで攻防が始まった。


「我を抑制する清閑と反対に合一とは言わば我の完全なる操作。心身と神力の駆動を限りなく合致させる。その意義は、ご覧の通りです」


 身の内に宿した神力が女神の動きと共に流れる。流れているはずだ、が、そうは感じない。まるで彼女の体そのものが神力であるかのようだった。緩やかな動作が力強さを阻んでいく。懸命に今持ち得る全てを攻めに捧げているナゴミとシズキが軽く弄ばれる。その有り様にハルコは目を見開く。


 これが合一。女神は初めからやっていた。手本を見せていた。その行き着いたものが、これ。自身を構成する要素の全てを完璧に合致させる。ひとつにさせるとは、こんなにも凄まじいことである。同じような状態になった経験はハルコにもある。過集中によってゾーンに入り、一挙一動の隅々にまで意識が張り巡らされたような感覚。魔力の一滴までもスムーズに操れる万能感、全能感。それを得て戦ったことはある。


 女神は常になのだ。状況と精神と肉体が噛み合い、偶然でしか自分が入れないその世界へ、女神は常に。否、入っているのではなく招いている。世界のほうからやってくるように仕向けている。それを当たり前にやる技術が合一。あたかも清閑と対をなすようでいてその根っこにあるものは同じ。神業とは要するに神力も含めた「自己の理解」。自分の全身と全霊の完全なるコントロールで成り立つものであり、それそのものであると。


「正しい。清閑は合一に至る道。合一は清閑に至る道。どちらに先も後もなく、それは神域への道も同じ。全てが通じ、繋がり、満ちていく。取りこぼしてはならない。意も威も異も、そこになければ消せもしないのです。我とは己が全にして一。深く沈めるも高く昇らせるも自在でなければならない。灰らしい灰へなるためには。わたくしから合格の言葉を得たければ、あなた方が真に試されるのはここからとなりましょう」


「……!」


 和やかですらある口調で語りながら捌き、時折打ち返しまでする女神。隙を教えるだけの触れただけに過ぎないその一打にすらナゴミとシズキは苦しみ、息を吐き、血を飲む。試されるのはここから。耳を疑いながらもその言葉に疑問の余地はない。女神が本番だと口にしてから何度となく攻撃を積み重ねてきたが、しかしそれ以降まだクリーンヒットはなく、段階も停滞している。その現実に目を背ける余地はどこにもないのだ。


「さあ。どうしました。次なる段階が待っていますよ。ここで止まるつもりはないのでしょう?」


 早く昇ろうじゃないかと女神が誘う。思わず手を止めてしまった二人にも、今度こそ決めとなる一射を当てるために備えている二人も、ようやく起き上がろうとしている一人にも、彼女は限界を見出していない。なんなら今し方あるべき上限を取り払ったばかりでさえある。


 見せられるものなら見せてほしい。見果てぬ先までをこの目に、先読みもできない素晴らしい未来をここに映し出してほしい。神でありながらまるで人のようにそう願い、期待するからこそ女神は今一度少女たちを打ちのめす。絶望と呼ぶに相応しい実力差と暗雲をその目に映す。それを必ずや晴らしてくれると信じることにしたから、だから──。


「あたぼうよ」


 だから、その想いを受けてハルコが立ち上がらないわけもなく。


「よーくわかった……そしてようやく見えてきた。あんたが設定した私たちの果て。この試練で辿り着けばいいはずだったそこが、思ったよりもクソ手前にあったってことが。それで満足してちゃあんた、どうせガッカリするんでしょ? 思った通りの成長を遂げてくれた、なんて言いながら見えたままの結果に落胆するんでしょ。そんなことはしないって顔してるけど、あんたこそわかってんの? 私たちはあんたの鏡なんだってこと」


 口元を拭う。ハルコの汗も息も血も涎も痛みも何もかも、絞り出された全部を拭い去ったそこには笑み。微笑があった。控え目な主張の、けれど女神が人に対する時に張り付けているアルカイックな微笑みとは色味の異なる──随分と獰猛なそれを携えた唇が、動く。


「完全な自己支配コントロール。まだできないって思ってるね。だからそんなに丁寧に手解きしてるんだ。でも、どうかな。こういうやり方も私にはあるって、あんたの目には見えてた?」

「はるこ──あなたは」


 ハルコが消える。と同時に女神も清閑の域へ。互いに意を消し合えばそこにはそよ風さえも吹かない。無為無拍の中でどちらが最低限度の己が意を頼りに他が意を拾えるか。その掴み合いになる。


 我武者羅になれば不利になるばかり。かと言って消極的になり過ぎてはそれもまた意の発露。どこまで自然体でいられるか。その度合いを決めるのは、やはり清閑の境地においてはどこまで心を深く沈められるかで決定づけられる。


 その分野で女神が劣る道理はなかった。しかし。


(これは──!)



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