397 兆至糸
糸繰りが解禁されたのはこの最終試練から。つまりこれまで使ってきた技同様に、これもまた神力を活用した初挑戦のもの。ぶっつけ本番に思い付きを試しているに過ぎず、その成否や効果のほどにもなんの保証だってないわけだが──でも、確信的だった。糸誘いや重鎧糸、強化された攻撃系の技もそうだったように、その取り扱いに関しての不安はまったくなかった。初めて試すのにまるで前から慣れ親しんだものであるかのように。成否はもちろん効果だってどの程度の水準であるか私にはハッキリとわかっていて、繰り出すそのときにはもう確かな手応えも得ていて。
それは以前から使っていた技の強化版だから、ある程度は元になる既存の技の延長線で操れる……っていうのも当然にあっただろうが、そうでなくてももっと根本的な部分で私は自分が「使えるようになった」技術をちゃんと掴めていた。
あたかも兆しを掴み、掴んだ途端にその新しい段階に慣れ親しむのと同じような感じで、それによって得られた技も最初から使いこなせる状態でそこにあった──みたいな? 言語化が難しくてあやふやな表現しかできないけどとにかく、そんな流れで私は神奏糸を手落ちなく扱えていて。だからこそ奥義にも辿り着けた。
これも初めから、試す前からわかっていた。わかりきっていた。まだ手探りで、発想したばかりで、上手くいく保証なんて何もない内から既に、これこそが進化した糸繰りの究極の技と呼ぶに相応しいものだと。確か過ぎるまでの手応えを掴んでいる。だから、それを誇示する意味も込めて奥義と口にした。兆の字を技名に付けた。
私たちがこれまでに手にしてきたもの、これから手にしなければならないもの。その全てをここに顕すように糸を作る。造る。創る。出来上がったものは一見して今にも形を失いそうなほどに不安定な、けれど紛れもなくそこが完成の淡く緩い糸。
女神の目が私を射貫く。さすが、と言っておくか。これが作られた途端に他の誰でもなく私へ一番の注意を払うその察しの良さ。そして、女神にそれだけの警戒を抱かせる私自身の糸繰りの腕と発想力も、なかなかのものだっていう自負にも。
加速しながらステップを繰り返す。最高速の機動力をもってしても今の女神の捕捉からは逃れられない。瞳が私を追いかけてくる。だけどそうやって私にばかり注目していちゃせっかくの目の良さも強みが半減だ。これ見よがしに新しい糸を見せつけているのはナゴミちゃんとシズキちゃんをなるべくフリーにする魂胆もあるのだ──って、もちろんそんなことは女神だって委細承知なのは間違いないんだけども。
だから女神の引く予測を踏み越えていけるかは、彼女たち次第だ。改めて言うまでもないことだけど、私はそれができないっていう可能性を初めから考慮なんかしちゃいない。
二人なら必ず。そう信じ、今はまだ仕掛けない。引き続きの陽動役として付かず離れずの位置を動き回って死角を目指す。ただそれだけをする。どれだけ縦横無尽に駆けようとやはり女神の目は振り切れないが、段々とこっちも見えてきたぞ。
求めるのは速さだけじゃない。ただ加速したってダメなんだ、それじゃ一生かかっても女神の捕捉を振り切ることはできない。あの目から逃れるためには、意を消すんだ。女神だって目だけで私を追っているわけじゃない。私がどこへどう動こうとしているか、発するともなく発している気配の予告を感じ取ることで今の位置だけでなく先の位置まで見据えている。
同じような読みは人間だって格闘技や武術を志す者ならやっているが、当然に女神がやるそれの精度は人の遥か上を行く。私たち用に落としていてもそのレベルは高い──が、あくまで私たち用だというのならやり方によってはいけるはずなんだ。女神に私を見失わせる。目でも読みでも神力の感知でも追いつかない移動の仕方。彼女の捕捉能力が届かない場所へ自らを運ぶことだって、不可能ではない。
女神とも少なからず通じ合っているのに読ませないなんてことができるか、否か。そんな理屈に捕らわれている内はいつまで経っても無理だろうが、そういう凝り固まった考え方から脱却したならば。こうして自然に体が動き始めている今ならば、私は──。
ふっ、と自我の発露が消えたのを自覚した。
それは過集中による視界と思考の明瞭さがさらに極端になって、もっと深くなって、そうすることで行き着いた先にある世界だった。
意の消失。攻撃にしろ防御にしろ移動にしろいたずらに自らの意思を敵に示さない静けさの中に、とぷりと沈んでいく。これだ。女神のあの身震いするほどの静謐。それもこういう世界にいるからこそのものなんだ。
だから私たちには女神の意が読めず、行動が見えず、何もかもが予想外で、全てが不意打ちのようになっていた。攻防移のどれもが「終わってから」対処に追われていた。ただでさえも常にこちらを上回るスペックを発揮している相手にそんな真似をされてはそりゃ追いつけるはずもない。並びたてられるはずもない──だが、同じ世界に足を踏み入れたならどうだ?
「清閑。またひとつ、成りましたね」
女神の目が私を追わない。私の動きの軌跡が途切れたように彼女からは見えているだろう。そうなるようにこの体は動いていた。死角に入ることができた。初めて女神の探知から外れた。しかしそれも一瞬のこと。改めて女神が周囲の全てをくまなく観察せんとすればどれだけ私が意を消そうが意味もない。全体を通して私も見つかってしまう。
猶予はない。そう理解しているからには視線を振り切ったと同時に攻め入る。糸繰りを維持したまま前へ。今も打ち込み続けているナゴミちゃんとシズキちゃんに混ざるように私も女神の懐へと入り込んでいく。
「──、」
そこで女神が私を捕捉し直した。一度は振り切ったその目にしかと見据えられる。観られる。何もかもを見透かされる──だがもう何を見られようが見抜かれようが関係ない。ここまで入り込んでしまえば、そして既に糸を伸ばすこともできているんだから、あとはもうひとつ。
「蝕め、兆至糸!!」
それでも女神の手捌きが間に合いそうになったのにはヒヤッとしたが、ほんの僅かな差で私のほうが早く一手を通すことができた。兆至糸が女神の身体へ打ち付けられ、そして絡みついていく。そうして女神が纏う神力光を吸い取るようにして剥がしていく。
「!!」
間違いなく今日一番の驚きを女神が露わにした。見開かれた目からも、そして彼女のしもべとしてのリンクからもその内心の大きな衝撃が伝わってくる。
驚いているのは神力光を剥がされている張本人のみならず、間近でそれを見ているナゴミちゃんやシズキちゃん、魔力渦でのサポートに専念している遠くのカザリちゃんやシズキちゃんからも同じような感情が同調によって流れ込んできた。皆して唖然としている──その気持ちは私もよくわかる。私だって他のメンバーが急に神力光を一人で無力化させたりしたら同じように、いや今の皆以上にたまげて口をあんぐりとさせちゃうことだろう。
神力光はそれだけ私たちからすれば厄介な技であり、それを「リソースを削る」以外の方法で打ち消すというのがどれだけ難しいかも灰として、神力を扱う者として理解できているからこその驚愕。私はそれを成し遂げたわけだが、ことさらに誇るつもりは毛頭ない。これは偶然と皆の助けに寄るところが大きい上に、そもそも成功の悦に浸っている暇なんてないからだ。
「畳みかける……!」
それは皆への号令であり、自分自身への喝だった。




