381 是非も無し
目の前に現れた、と思った瞬間にはもう女神は掌打のモーションに入っていた。ただでさえ動作を目で追うのがやっとなくらいに──それだってわざとギリギリ私の反応が追いつく程度に調整しているんだろうけど──女神の攻めは素早いっていうのに、それが「いつの間にか」傍にいて「既に」攻撃が始まっているとなればどうしようもない。回避やら気の利いた防御手段なんて選びようもなく、私は咄嗟にまだ伸ばしたままにしていた四本の糸を即席の壁糸にして掌打を受ける盾にすることしかできなかった。
神弾に消し飛ばされないよう強靭に作ったとはいえ誘導用の操糸であり、しかもたったの四本だ。本来の壁糸とは使用本数(というか長さ)も形も求めるべき硬度も違い過ぎてもはや壁糸とは呼べない代物ではあったものの、何もしない、できないよりは全然いい。そう思いつつも、糸越しに腹を打たれながら悶絶する覚悟をきめていた私だったが──そんなに痛くない。
いや、もちろん痛いは痛い。吐きそうなくらいの衝撃が腹部でぐるぐるして苦しいことは苦しい。けど、想像していたような背中までぶち抜かれるような激痛とはかなり差がある。はっきりいってこの程度なら余裕で耐えられる、ってくらいには思ったよりも掌打の破壊力が乏しい。
言うまでもなく女神が力加減をしたとか、そういうのではない。打撃そのものの勢いも込められた神力も入りから着弾までそのままだった。そこから導かれた私の覚悟は正しいもので、仮に何もできないままに腹に食らっていたら実際に想像した通りの激痛に苛まれて否応なしに地に伏せっていたことだろう。そうならなかったのは……咄嗟の守りとして差し込んだ操糸による壁が、私の期待した以上の効果を発揮してくれたからだ。
操糸の強度は作成者である私の予想を超えていた。掌打が当たってから後追いで行った糸の性質変更による硬度の引き上げも影響したこととは思うが、それでもそちらは後追いでしかなかったからにはやはり、操糸自体の出来が良かったのだと──私が思うよりもずっと、今の私の糸繰りのレベルは上がっているのだと。そう思うべきだろう。
「そのようです。体質と格闘技を除けばあなたの唯一と言っていい武器も随分と立派になりました。糸繰りは充分に神の域にあります。無論、今はまだ『神のしもべ』の、更に足元ではありますが」
もはや当たり前に思考を読まれていても何も感じない、どころか、癪なことに素直に褒められて私は嬉しさなんてものを感じてしまっている。や、素直と言うには余計な一言もくっ付いていたけれど、そこも含めて女神らしいというかなんというか、だからこそ掛け値なしの褒め言葉なんだろうとまで思えてしまったものだから。
「重奏糸ならぬ真奏糸──いや。いっそ神奏糸とでも名前を付けちゃおうかな」
「神の名を冠しますか。人の身から逸脱した技とはいえ自らそう謳い上げるには些か足りていないようにも思えますが」
「わかんないかな。これから足りさせるっつってんの」
「ならば是非も無し。その様をわたくしに見せてください、はるこ」
う、と声を漏らしてしまう。気付けば女神の背後にまた神弾がいくつも浮かんでいたからだ。しかも、周りを見てみればもっとマズい。女神の傍にあるのとは別に、数え切れないだけの神弾が縦横無尽に空間を飛び回っていて皆を追いかけ回しているではないか。
ナゴミちゃんは動き回りながら打撃で神弾に抗っていて、シズキちゃんはほとんどその場から動かず防御を選んでいる。カザリちゃんとコマレちゃんはどちらかの術で自分たちを移動させながら対抗の魔弾をばら撒くことでどうにか凌いでいる。皆すごい。神弾に殴る蹴るで対応できるナゴミちゃんは言うまでもなく、私の場合は絶対に食らっちゃいけないと本能が囁くあれらを何発も受けてへっちゃらなシズキちゃんも、そして術には術で対抗できてしまう火力コンビも、なんとも頼もしいことだ。
けど、ダメだ。皆してやっていることと言えばその場凌ぎでしかなく、打開のために何ができているかと言えば何もできていない。それでは憂いた通りのジリ貧で追い詰められていく未来しか待っていない。こりゃ一旦、役割分担だなんだと言っていないで全員で固まるしかない。そう思って引こうとしたところを、咎めるように女神が逆に間を詰めてきた。
「っ!」
「容易くはさせませんよ。もうその段階にあなた方はないのですから」
来ると確信しての回避、を見越されていたんだろう。避けたその先に置かれていた手が私の頭部を掴み、そして力みなんて一切感じさせない所作でくるりと回転させられる。あまりにも自然に足が床から離れて逆さまに宙に浮いた私へ、五発の神弾が襲いかかってきた。
「操糸!」
反射的に繰り出した新技は、なんとか成功。私の体よりも先に神弾へ触れた糸がその進路を曲げてくれたおかげて直撃とはならなかった。目標から逸れてまたも床にぶつかって散っていく神力の中でなんとか体勢を入れ替えて足から着地したが、そこでなんだか猛烈にイヤな予感がした。
そうだ、あの不可解な現象。急に自分の位置が変わってナゴミちゃんと正面衝突しそうになったり女神が眼前にいたりしたアレは、どちらも今みたいな。神弾を誤着弾させたあとに──それで散った神力を浴びたあとに起きていなかったか?
「正解です」
着地後、すぐに「皆との合流」という目的のために走り出した私だったが、予感は的確だった。それこそイヤになるくらいに正確だった。くそっ、いっそ的外れであってほしかったよ! と、後ろに置き去りにしたはずの女神がまたしても眼前にいて、しかも皆との距離は縮まるどころか遠ざかってさえいるんだから内心でそう悪態をつかずにはいられない。
「なるほどね……ただ避けるだけじゃ避け切れてないってか。誤爆して散る神力を浴びちゃってる時点であんたの手に掴まれているも同然ってわけだ?」
女神が微笑を携えた無言でそれを肯定する。対する私も口元に笑みを作ってはいるが、情けなくもこっちは完全に強がり。意地以外の何物でもなかった。
「私の体に留まった神力を使って引き寄せてる。って理解でいいのかな」
「いいえ──対照的な視点でなら間違っていませんがより厳密に言うなら正しくありませんね。あなたは引き寄せられたのではなく空間を越えて運ばれたのです。そこに移動の過程は含まれません」
「!」
超高速で動かされたんじゃなく、まったくのゼロ時間で別の地点へと飛ばされた。つまりはワープさせられたってことか……! おいおい、そんなのまでありなんかい。とっくに女神はいくらでもヤバいことをやっているけど、いよいよもってギアの上がり方が半端じゃなくなってきたな。まったく前兆なしのワープ。それも事細かに位置もタイミングも女神の任意で決められるとなったら私たちに打つ手はないじゃないか。
「打つ手なし、と思うのは今のあなた。成長し続けるのでしょう? 見つけ出しなさい、取れる手立てを。そしてわたくしに見せてください──あなた方の新たなる兆しを」
「軽く言ってくれんね!」
一斉に向かってくる神弾を操糸で逸らす。そうやって直撃だけは避けるが、これじゃさっきまでと変わらない。私の周辺で散っていく神弾に内包されていた神力は完全に消える前に霧のように大きく広がって私に付着し、持続する。意識してみれば自分の身に微かに、だけど確実にそれが残っているのがわかる。
ああもう、これじゃあ!
「それでは、繰り返しにしかなりませんね」
最後の神弾を躱したと同時、私の顔面に女神の掌が翳されていた。




