374 神力の奥深さ
いつでもどうぞ、と女神は悠然と佇んだままに私たちを誘う。
これからバトるっていうのに直立不動、しかも両手をお上品に腰の前で組んでまでいるその姿は、どこからどう見たって戦おうとしている者の姿勢ではないけれど──でも、隙なんてものは見当たらない。目にはただ自然体で立っているだけにしか映らないのに、いざ攻め込む思考で観察してみればどこから攻めればいいのかまったくわからないのだ。
感じ取れる神格の差が二の足を踏ませているのか、それとも実際に女神が全周全方位を警戒しているのか。あの女神が手合わせとはいえ私たち相手にそこまでの警戒なんてするのか、とも思うし、あの女神なら手合わせとなればそこまで徹底してもおかしくないな、とも思う。いずれにしろ「どうぞ」なんて言われたって迂闊に仕掛けられはしないわけだけど、けれど尻込みしたままでは戦いにはならないのだから思い切りを見せるしかない場面。
そこでいの一番に動くのはやっぱり。
「えーい!」
ナゴミちゃんだった。明るくてお気楽、けれど思慮深い部分もある彼女なので、自分こそが戦端を切り拓く役に相応しいと考えるともなく考えて前に出たんだろう。一蹴りで跳ぶ、というよりもはや飛んでいるような軽やかさと素早さで一気に女神との距離を縮める。
その背中を追いかけるようにいくつかの魔弾が飛翔する。カザリちゃんの闇と光が一体になった合成魔弾だ。ナゴミちゃんが攻めるのを察した彼女が咄嗟に援護として放ったんだろう。それを間に合わせる技量も、そして今のナゴミちゃんの速度に振り落とされない弾速もすごい。
二人ともやはり各段に強くなっている。そんな二人が協力して仕掛けた一手目。打撃と魔弾のほぼ同時着弾はそのひとつひとつの威力も相まって恐ろしい攻撃に仕上がっている──はずなのに、止められている。緩やかに翳された右手。自分に迫る全てを拒絶するようなその手から放射された神力が壁となって、ナゴミちゃんの拳を受け止め、カザリちゃんの魔弾を散らしている。
「なんですか、あれは」
慄然としたコマレちゃんの呟き。その意味はよくわかる。私も、女神がその身から放っている多量の神力を活かしてナゴミちゃんたちの攻撃を無力化させたなら、舌打ちのひとつやふたつはしてもここまで心がざわつくこともなかったろう。格上の相手の力任せが強力なのは意外でもなんでもない、当たり前のことでしかないからだ。
だけど今の止め方。そのために女神が用いた神力は「大した量じゃなかった」。質においても女神が持つ神格そのままではなく、なんなら私たちレベルまで落とされていた。それもナゴミちゃんの速攻に合わせたからそうなったとかではなく明らかにわざと、あえて女神はそうしていて、その上でナゴミちゃんとカザリちゃんの連携をまとめて無に帰させたのだ。
だからザワリと嫌な感触に心が騒ぐ。あの程度の神力でどうやれば今の二人の攻撃を防げるっていうんだ。私たちレベルとは言ったけど同じことをしようとしたって私たちの誰にも再現は不可能だ。やる前からそれがわかりきっている程度には女神はさらっととんでもないことをした。まさしく神業、といったところか。ただ神力で遥か上を行くだけでなく、その優位に頼らなくても彼女は圧倒的な高みにいる。仮に神としての神格を失い、本当に私たち灰と横並びになったとしても──それでも勝てない。勝負にもならない。
と、たった一度の攻防で見せつけられた形だった。
「これも神力の奥深さ。魔力のように画一的でも体系的でもないので一律の教え方をできないのが難点ではありますが、けれどそれだけに見つけられさえすればよく伸び、よく馴染む。あなた方にも覚えのあることでしょう」
ナゴミちゃんの拳を塞き止めたままレクチャーするように女神が語る。確かに、覚えならある。別世界の灰であるライネが神力から醸し出していた冷気。そしてそれを食らう私の神力も、どちらもワンオフ品。例えば私の神力から冷気が生じることはないし、逆にライネが私の神力を食べちゃうこともない。どちらもライネだからこそ、私だからこその特色である。
生まれ持っての多寡という差こそあれど操作に関しては誰でも誰からでも習える魔力とは明確に性質の異なる、個人の色が強く出るのが神力だってことだ。それはライネみたいな得意な魔術から派生することもあれば、私みたいに体質(と言っていいのかどうかはちと怪しいが)が反映されることもあって、その発現の仕方もまた千差万別の十人十色。灰の数だけ種類があると思っていい。それだけ、魔力以上に密接なのが神力。魔力とさえも一体化しているそれはつまり自分自身と一体化しているという証でもあり、神格を有しているからには女神との繋がり同様に切っても切れない間柄にある。
そういうものだからこそ、魔力みたいに操ろうとしても簡単に操れるものではないと。そう思っていたし、実際にその理解は間違っていないはずだが。小手先の技術が反映されることはないはずだというのに──けれど女神が今やってみせたこれは、どう考えたって精緻な操作技術からなるもの。完璧に神力を小手先の道具として扱い、操っているからこそ可能となる技だった。
「うんむむ……えいやぁ!」
女神が話す間にも拳を押し込み続けていたナゴミちゃんだけど、ビクともしなかったんだろう。一打で破るのを諦めて連打に切り替えた。そのラッシュの速いこと速いこと、うっかりすれば両腕を見失いかねないほどの超絶怒涛の連続打撃が女神を襲う。しかもただ速いだけじゃない、数が多いだけでもない。ちゃんと重い。一発ごとに彼女の必殺技であるスペシャルパンチに匹敵する超威力が込められているのがその滑らかながらに力の入ったフォーム、励起する神力の猛々しさから私にはわかる。
けれど、届かない。引き続き展開され続けている神力の壁によってシャットアウトされて、ただの一打さえも女神には入ってくれない。馬鹿な。女神は新しく壁を張り直したわけでもなければ込める神力の量を増やしたわけでもない。壁は一枚のみのまま、感じられる神力も当初のまま。なのにあれだけの連打を、ナゴミちゃんの全身全霊を苦もなく止め続けられるなんて、いくらなんでもそんなのあり得ない。あり得ていいはずがない。
それがあり得るのなら、私たちはどうすればこの女神を相手に戦えるのか。
「ふふ」
破れない、とナゴミちゃん自身も感じているだろうにそれでも手を休めないのは女神の手と目を引き付けるためだったんだろう。その間に気配もなく発射されていたカザリちゃんの追加の魔弾が回り込んで女神の背後から迫ってきている。壁を迂回しての奇襲。上手い、けれど、見向きもしないままに女神が魔弾の接近に気付いているのはその口から漏れた小さな笑い声が明らかにしていた。
「っぐ!?」
「! ナゴミ!」
女神の背中に命中する、と思われた次の瞬間。カザリちゃんでも動揺を隠せない事態が起きた──魔弾の軌道が曲がった。本来の目標である女神の周囲を等間隔でぐるりと回った二発の魔弾は、その進路のままに女神の正面で壁破りに挑んでいるナゴミちゃんを襲ったのだ。それが術者であるカザリちゃんの意図した挙動でないことは考えるまでもなく、何が起きたのか意味不明ながらに事実だけは明白だった。
魔弾の操作に介入したんだ。人の術を自分の意のままに操った──って、女神のやつってばそんなことまでできんの……!?
戦慄と共に目に入る女神の微笑は、いつにも増してゾッとするほど冷ややかだった。




