364 なんでも食らう
打点は外した。芯を捉えられたわけではない。とはいえ、空振りでさえも「空気を殴りつける」ような拳だ。それに当たってしまったからにはライネも涼しい顔ではいられない。ズキリと響く腹部の痛みを感じながら、捕まえた腕を捻り上げて投げる。反撃というより密着を嫌ってのそれは案の定にハルコの受け身によって攻撃としては成立しなかったが、立て直しの時間を得られた。ふぅ、とライネの発色のいい唇から息が漏れる。今度のは目潰しのためのものではなく、純粋なため息として。
(うん、大丈夫。傷は浅いよ。それよりも気になるのは──)
あまりに不可解なのは、目元に命中したはずの氷礫がまったくハルコの視力を奪ってくれなかったこと……だけでなく。その後の一打が更に鋭さを増していたこともまた、目測を狂わされライネの捌きが決まらなかった原因である。
勘違いや思い込みでは、ない。そういったものに惑わされる程ライネの観察眼は出来の悪い代物ではない──今の短い間でハルコの力量がまたしても上がった、これは間違いのない事実だ。目潰しをまともに食らいながら動きが鈍るどころか精度も速度も増すなど通常ならあり得ない。そのあり得ないことが起こったからには、起こるだけの理由が。「何か」がハルコにはあるのだ。
(吸われた? まさか、そういうことなのか?)
浮かび上がった仮定は、先入観を捨てているつもりの彼であっても容易くは信じられないものだったが。しかし辻褄が合う。もしもそうだとすれば多量のダメージを負いながらハルコの動きが一向に落ちてこないのにも、その反対にむしろキレが向上したことにも説明がつく。
冷気をなんらかの方法で無効化することに成功した。というのは、不正解でこそないが正解でもなかった。より正しくは無効化ではなく「吸収」。即ち、ライネが武器としている彼の神力に伴う付随効果であるそれそのものからハルコが力を得ている、という仮定だった。
(低体温でも普段通りに動けている、のではなくて。そもそも僕の冷気は彼女にとって下降ではなく上昇になっている──となれば)
引き上がったこの素早さにも納得がいく。三連の拳打、からの蹴り。いずれも鋭利なそれらを今度は不足なく、また発生する衝撃も考慮に入れて大きく弾きながら躱していくライネ。そこから続くコンビネーションにも冷静に対応しながら、しかしその間にも徐々に、けれど着実にハルコの一挙一動の速度が上がっていっていることに、突拍子もない仮定がもはや彼の中での確定的な事実のひとつとなった。
──吸われている。こちらの神力の効力が、あちらの力にすげ代わっている!
「おらおらおらぁッ!!」
何度空振ろうが打ち漏らそうがまるでめげず、疲れ知らずに吠えるハルコ。ライネの推察正しく、痛めつけられて尚も勢いを増すばかりの意気軒昂ぶりはあからさまなまでに促進されたもの。ライネの冷気を利用した戦闘法、本来ならばダメージや悪影響にしかならないはずのそれの全てが彼女の活力の源になっている。
無効化ではなく吸収、それは正しい。ただ惜しむらくはその特性が「新たに身に着けたもの」ではなく、ハルコが元より持つ祝福。『全てを受け入れる体質』が神力の域へ追いついたことで開花し直した、つまるところライネの神力から漏れ出す冷気に同じ、手法ではなく生態であることまでは如何に彼の観察力が優れていても気付きようがない点だろうか。
ハルコの意志で以て意識的に吸収が行われている、そう推定したのはライネが器用にも特性としての冷気を自在に操れるだけの技量を既に習得しているが故。だが実際のハルコは限りなく無意識的である。無論彼女とて急に冷気が自分を害さなくなったことには自覚的であるし、それが自身の才能由来の変化であることにも薄々と察しもついている。ただし運用法まではまるでピンと来ておらず、全ては成り行き任せ。なるようになる、なればいいという本当の意味での勢い任せで攻め立てているだけに過ぎない。
神力由来の特性だろうとそれが術理を介さないものであれば「受け入れる」ことができる──その特性がどこまで持続するか、あるいは上限がどこにあるのか。今この瞬間にもいきなり限界を迎えて急にそれがストップしてしまえばその時点で敗色濃厚、いやさ確定になる。それでもいい、とハルコはその万が一以上に起こり得て不思議ではない事態への恐れを捨て置いている。竹を割ったような清々しいまでの彼女の割り切りが、ライネの目には妙錬の戦士の戦い方に移った。
だからこそ彼は崩しようもあるはずだと考える。得たばかりの力を十全に操って戦うその巧みさ、見事。そこは素直に称賛しつつも綻びを探す。氷礫を続け様にぶつけてみてはどうか。接触した状態でそこへ重点的に冷気を流してみればどうか。体表から吸われているのだとすれば呼吸器を介して体内へ冷気を送り込んでみるのはどうか──どこまでハルコの意識と技量がカバーしきれるかを試す案がいくつもライネの頭に浮かぶ。
ハルコの真実は前述通りに無意識の能力頼り。どんな手段を試そうがそれで彼女のリソースが削れて神力の特性が落ち込んだり体術のほうが疎かになることはないのだが、これもまた前述通りにライネにそれを知る術などない。パズルを解くような気持ちでどこか嬉々として彼がハルコに挑むのは打倒というよりもそこを目指すための前準備としての謎解きである。
ハルコとは打って変わって速度と勢いよりも発想と柔軟さで対抗する彼の選んだ戦い方は、同じような向き合い方をされるよりもずっとハルコを助けた。彼女からすれば正面切って足を止めた格闘戦に入られるほうが余程に厄介で、間を置かずに負けていた可能性が高い。そうならなかったのは紛れもなく彼女の幸運。しかしてただ偶然が引き寄せたものではなく、どれだけ劣勢に立たされようと痛みを味わおうと攻める意志をまるで挫けさせなかった、その強い姿勢が生んだ必然の幸運でもある。
勢い任せもここまで突き抜ければ立派な武器になる。「なんでも食らう」才能が神力の特性に開花する前からハルコはとっくに武器を振りかざして戦っていたということだった──そしてそれは結果となって花開く。
「がはッ……!」
「うっしゃあ!」
あらゆる手を有効的なタイミングで切ろうと画策するライネは必然的にハルコの出方をじっくりと見なければならず、言い換えるなら引き気味な戦い方になる。そして彼が慎重になればなるだけハルコは更に勢い付く。それは取りも直さず彼女が目覚めさせた神力の特性と相性抜群の相乗効果を生んでいくもので。ついに、危なげなく捌けていたはずの一打がライネの防御技術を擦り抜けて彼を打ち抜いた。
万全に体重の乗った拳でこそないが、初めてハルコが打ち合いに勝った貴重なその一発はまさに値千金。与えたダメージ以上に価値のあるものであることは間違いなく。
力量差が縮まっている──少なくとも明確な差と呼べるだけの開いたそれではなくなっている。それもまた、この闘争に刻まれた新たな事実で。両者にとっての転機であり契機となる出来事であった。
行ける、と少女の瞳が物語ればそうはさせないと少年の眼差しが受けて返す。それでもお構いなしにハルコは追撃の一打をくれてやらんとしたが、その打撃の横を掠めるように発射される貫き手。本物の刀身にも見紛うばかりの速さと鋭さで突き出されたそれがハルコの喉元を打つ、その直前に強引に打撃ごと体勢を引き戻した彼女が仰け反ることで事なきを得る。けれど体が殺されたことは否めず。
「ハッ!」
「ガぅッ、」
即座に振り下ろされた鉄槌打ちによってハルコは地に沈むのを余儀なくされた。




