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362 精神的に堅牢

 なんとかなると思ったわけではない。悲観こそせずとも楽観などできるはずもなかった。神力の規模で追いつくという急成長。望むべくもない僥倖に助けられながら、それでも遠い。尚に及ばない。冷気を振り払いながらの渾身の一撃──それが万全の守りで受け切られたその時点で判り切っていたことではあったが、現実はそれよりもう一段厳しかった。


「が、っは」


 絞り出される吐息は苦悶の証。肺にまで這入り込んでくる冷気を神力に意識を向けることでなんとか押し出しながら、けれど酸素が足りずに身体は呼吸を求めている。その板挟みでフットワークに乱れが生じたそこへ差し込まれる打突。鋭く拳に刺されてハルコはもんどりうって転がり、起き上がって、発散する冷気に体勢を崩されてまたそこを刺される。


 体中が凍り付く最悪の事態は、どうにか避けられている。そうなれば本当に終わってしまうからハルコも必死だ。出力を増した神力によって全身凍結は未然に防いでいる──が、やれることと言ったらその程度。最悪から逃れようとそれ以外の一切から逃れられないのでは結局のところ、最悪に向かっていくのと何も変わらない。


「ぐそっ」


 血と霜とが邪魔になって発声も覚束ないままにハルコが悪態を吐く。強い、あまりに強過ぎる。神力でこそ並んでも元々の技術に差があり過ぎる。危なげなく神力を戦闘に適用させているライネと違ってハルコは出力任せだ。それでいて徒手空拳の出来でも劣っている。辛うじてハルコが勝っているのは勘の良さくらいのもの。それにだってライネに不足があるわけでなく、彼に欠点と呼べるものはなかった。反してこちらは欠点だらけだ、とハルコは自嘲する。


 パワーを上げたところで当たらないのなら意味がない。いや、当たったところで先のように上手に受け切られてしまうのならパワーそのものに意味がない。つまるところハルコに求められているのはライネに並ぶ格闘と神力の技量であり、共にどうしたって今すぐには手に入らないものだった。


 だからこうして弄ばれる。ライネにそんなつもりはないのだろうが、しかし圧倒的な強さを持ちながら一気呵成ではなくチクチクと、じわじわと確実に負い詰めていくその戦い方はハルコにとって強者の掌で転がされているのと同じ。七転八倒しながら大きな指先で少しずつ押し潰されていく己を血の赤と冷気の白の狭間に幻視していた。


 痛い、苦しい、寒い。しかしてまだハルコは終わらない。ライネだって何も加減しているわけじゃない。ただ慎重に立ち回り、万が一にもあのパワーをまともに受けてしまわないように注意を払いながら削いでいっているだけだ。終わらせられるなら終わらせている。それが未だ達成されていないということは要するに、ハルコがそうさせていない。本人の自嘲とは裏腹に彼女の抵抗が決して無意味ではないことを意味していた。


(硬いな。肉体的にというよりも──)


 精神的に堅牢タフだ、とライネは思う。勿論彼女の肉体強度だって十二分である。神力も手伝って物理的な打たれ強さも相当なものになっている。だが彼女をこうして立たせているのは、何度攻撃を受けようとも立ち向かわせているのは肉体以上に精神の助けが大きいはずだ。苦痛や劣勢に怯えない、竦まない。普通なら腰が引けて然るべきところでむしろ前に打って出る。そういう戦い方ができるからまだ勝負が続いている。これでハルコが弱気にでもなればライネはその分だけ更に果敢に攻め、もう決着していただろう。


 けれど、彼女の強い意志に基づく奮闘も虚しく、決着の時は確かに近づいてきている。神力の規模で追いついたことで冷気の被害を抑えられているハルコだったが、抑えられているだけであって無効化できているわけではない。霜が張る度に振り払って完全な凍結だけは辛うじて回避しているが、その身を蝕む氷点下の影響までは消し去れていないのだ。凍り付かずとも動きは鈍くなっていく。当然だ、生物には活動に適した気温というものがあって、ライネが振り撒く冷気は人が満足に行動できる範囲から著しく逸脱した環境を作り上げている。


 ハルコは人ではなく灰。適応できる気温だって人よりは遥かに広い、が。


 あるいは灰として何年も活動した後の彼女であれば寒さなど感じなかったかもしれない。凍えるような極寒の温度でも万全に戦い続けられたかもしれない……けれど今のハルコは灰に成りたての、本人も自認している通りの未熟者でしかない。まだ堂々と灰を名乗れる立場にないからこそこうして試練に臨んでいる。氷点下の環境を無視できる程の完成度にはなく、また単に環境が悪いだけならともかくライネの打撃が肉体へ直に冷気を打ち込んでくる。その骨の髄まで染み込むような寒さが着々とハルコを追い込んでいく。


 微かに、だが間違いなくハルコの反応が鈍った。目では追えているのに体がついてきていない。接近しながら正面から側面へするりと回り込んだライネはこれを好機と見做し、一気にケリを付ける決断をした。


「ハァッ!」


 隙と捉えても一撃、欲張っても二撃。先程まではそうして徹底したリスク管理を行なっていたライネの突如としての猛攻。合計七撃の連打がハルコを襲った。反応こそ遅れても持ち前の勘によっていくつかは芯を外すことに成功したが、残りはまともに受けてしまう。ヒットポイントをズラした打撃だってダメージがないわけではない。がふっ、と声にならない苦悶を漏らしてよろめく彼女の焦点の合わない目、力のない四肢。意識が飛びかけている。更に身体が冷えたこともあってこれに抗うことはできないだろう。


 しかし、それでもハルコなら持ち堪える可能性もある。ライネは油断をしないし、むざむざとそれを待つつもりもなかった。一応はこの半死半生の姿からでも──それこそ本能的な直感のみに突き動かされ、ろくに見えも動けもしないのに反撃を叶えてくるかもしれない。そう用心を忘れないようにしながら一歩を踏み込む。そしてトドメとなる一打を見舞おう、としたところで。


「!」


 異変を察知。よろめいて下がっていくその足に、不意に力が戻った。しっかりと己の体をそこに縫い留めたそれをライネは見逃さず、踏み込みを中止。打撃として送り込もうとしていた腕を引き戻しながら防御の姿勢を作った。そこに突き刺さる殴打。ハルコが繰り出した重い一発を取りこぼしなく守り受け止める。


 あえて自ら弾かれることで体勢を立て直しながらライネの目は観察を続けている。用心が活きた。今のをカウンターとして貰っていたらさしもの彼とて危うかった。進路は完璧に顔面を捉えていた。あのまま攻めていたらきっと防ぐことはできなかったろう──やはり持ち堪えて、勘任せに反撃してきた? いや、どうもそうではなさそうだ。拳を打ち放つ瞬間、ハルコの目には理性の光が宿っていた。焦点の合った眼差しで、本能ではなく計算でカウンターを狙ってきていた。


 けれどどうやってそんなことができる? 意識を飛ばしたまま本能で迎え撃つ、というのも信じられないことではあるがハルコならば──もはやライネの中でハルコとは少女の形をした野生動物であった──それくらいやっても不思議でないと思える。しかし、こちらが追撃するよりも早く意識を取り戻した上で完璧なカウンターを目論むなんて真似は、あの状態からだとどうやっても不可能。それはいくら相手がハルコ、別世界の代行者()だとしてもにわかには頷き難いことだった。


 ──何かある。彼女にはまだ、何かが。


 そう結論して一層の警戒を募らせるライネに、まるでそれが正しいと証明するような勢いでハルコが駆け、猛然と仕掛けていった。



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