356 他の糸
意識が共有されている感覚に戸惑いもあって静清──想起で膨らませた神力を自然な留まり方に戻すのは、ちょっとだけ難しかった。けれどちょっとだけだ。これが同調の効果なのか、統一された神力へどうやって触れるべきかは手探りでやっている内に自ずと掴めてきた。誰が最初に、というのもなくて皆で一斉にそのコツを掴んだんだ。結果として時間はかかったが失敗することなく、静清には一度目のチャレンジで成功した。言うまでもないことだが一発成功なんてどのチャプターでもできなかった。これが試練が始まって以来初めてのことである。
やっていることそれ自体で言えば想起させながら同調するよりもこっちのほうが──何せこれまでの感覚との劇的な違いもあって──難度は高そうなものだけど、それがこんなにすんなりといったってことは……私が思う以上に私たちは同調を既にかなりの高水準で使いこなせている。あるいは、私たち自体の相性こそが思う以上にいいのかもしれない。
「両方とも、ですね。あなた方の性質の噛み合いは勿論、素地に裏打ちされた灰としての才もここに来て開花の時を迎えている。それがこの即座のクリアを導いた。実にお見事です。然程時間もかからないとは申しましたがこれ程までに早くチャプター9を終えてしまうとはわたくしにとっても予想外でした。嬉しい誤算ですね」
女神は過去一番と言っていいくらいに上機嫌だった。それは本当に彼女が自然体で喜んでいるっていうよりも、喜ぶべきことが起きたから喜んでいる。そうして私たちに満足感と達成感を覚えさせたいという、これも「必要だから」そうしているだけだっていうのが今の私たちには否応なしにわかってしまう。
そしてそんなシステマチックな女神に対して、もう何も思わない。人であった頃にこれが伝わってきたら生理的な嫌悪感、とまでは言わなくても恐怖に近いものはどうしたって抱いたはずだけど、今はそうじゃない。女神のこういうところを殊更に怖いだとかキモいだとかは感じないし、かと言ってすごいだとか流石だとか持ち上げるようなこともしない。
ただ彼女はそうであり、私たちは世界のために彼女を支え、働いていくのだと。そういうあるがままを受け入れるだけの穏やかな心があった。これが灰の意識、灰の見えるもの、なのか。
「それではチャプター10へと参りましょう。ここからは一人ずつになります」
え、と思う間もなく見えるものが変わる。どこを向いても何もない白い空間。っていう景観こそ変わらなくても、でも違う。さっきまで私がいた場所ではない。そして皆もいない。コマレちゃんもカザリちゃんもナゴミちゃんもシズキちゃんも、今の今まで傍にいたはずの皆が消えた。私はまばたきだってしちゃいないっていうのに。
「五名共に異層へと移ってもらいました」
「異層?」
耳馴染みのないワードだけど、これも灰になったが故か女神が何を言っているのかはなんとなくわかった。つまり、皆も私と同じくまだ真っ白空間にいるけれど、お互いの位置、階層がひとつずつズレているから認識はできずにいるってことだ。この説明がどこまで正確かはともかくニュアンス的には間違っていないはず。実際、皆の姿は見えもしないし声だって聞こえないけれど、気配らしきものは感じている。距離的には……近いけど遠い、遠いけど近い。というこちらも説明の難しい離され方をしているようだ。たぶん、同調を成功させていなかったらこの僅かな気配だって察知することはできなかったんだろうな。
これもたぶんだけど他の皆のところにもきっと「いる」に違いない女神が、真っ直ぐに私を見つめながら首肯する。
「ええ、概ねにおいて正しい理解ができています。灰として成長する前であれば解釈にずっと難儀していたことでしょう」
確かに。それを思うとこの程度のことでもなんだか感慨深くなってしまうな。だってここに来るまでめたくそに長かったんだもの。んでもってめったくそに死ぬ思いをさせられて頭がおかしくなりかけたもの。灰になっていなければとっくに廃人になってたよ……灰であっても廃人になりかけてたんだし。女神の神パワーをふんだんに活かした調整がなければ本当にそうなっていただろうね。とにもかくにもとんでもない苦労があったわけで、それを乗り越えたからこその今には我ながらすごいと思うし、感動まで覚えちゃう。
って、だからってここで浸っちゃダメだ。これから挑むのはチャプター10。試練最後の関門となる最終チャプターの一個手前でしかないんだから。しかもその内容だってまだ知らされてさえもいないんだから、呑気に今までの頑張りを振り返っている場合じゃない。
気を引き締め直してかからないとな、と軽く頬を叩いて気持ちに一旦のリセットを入れた私は、改めて女神に視線を返す。互いの瞳が真っ直ぐに交わり、そして女神は「良い心掛けです」と一言称賛を挟んでから言った。
「わたくしの分身との戦いから始まったこの試練ですが、今一度それを焼き直したく思います」
「じゃあ、また誰かと戦うってことね。そんで勝てと」
「その通り。ですがチュートリアルに過ぎなかったあの戦いとは異なり、此度はあなた一人。そして対戦相手もわたくしの分身ではありません」
チャプター10ともなれば同じような内容でも難度がまるで違うってことだろう。そりゃあ、最終チャプターも目前になって今更チュートリアルに毛が生えたような訓練をするはずもないってのは言われるまでもなくわかっちゃいる。なので私が気になるのは対戦相手ってのがどこの誰なのか。そして戦うルールがあるのかどうか、この二点だけだ。
ミニ女神とのバトルはとにかく死に物狂いの乱闘めいたものでしかなかったけど、あれはミニ女神含めた六人でわちゃわちゃやっていたからああならざるを得なかったわけで。これから行うバトルが一対一であるならシュリトウさんと模擬戦をしたときみたいに──シズキちゃんとのエオリグを賭けた模擬戦はちょっとルールでガチガチ過ぎたので例としては不適切だろう──最低限、戦闘上のやっちゃいけないことは設定されていてもおかしくない。
それとも今度もバーリトゥードよろしくの「なんでもあり」だけが唯一のルールであるバトルをさせられるのか?
「ルールに関しては、そうですね。あなたの場合は糸繰りの使用を禁じましょう」
「はいはい。神力だけを頼りに戦えってことね」
私の中の魔力はもう神力に置き換わっている。というか魔力に神力が混ざり合っているせいで区別がつかなくなっている。糸繰りという魔術もひょっとしたら神魔術(と呼ぶのかどうかは知らないが)にバージョンアップしているかもしれないが、ひとまずそちらは放って魔力操作や強化のような基本的な技能を再確認していけ。というのが糸繰り禁止の本意だ。……こまごまと話さずにすぐこういう意図が伝わるのはマジで便利だな。
「それ以外の禁止事項は? あと勝敗条件も教えて」
「他にはありません。相手を戦闘不能にすれば勝利、戦闘不能にされれば敗北となります。その判定はわたくしが下しましょう」
「ふーん、限りなく『なんでもあり』ってわけだ。それで、対戦相手は?」
「紹介しましょう」
す、と女神の手が示した方向へ向きなおれば。そこには空間の歪みとでも言うべき奇妙な門があって。それが門だと一目見た瞬間に理解できた自分に何を思う暇もなく、その直感が正しいことを証明するように向こう側から誰かが出てこようとしていた。
「他の糸。他の世界の、他の管理者に仕える灰。彼があなたの対戦相手です」




