351 休憩は?
死ぬほど、本当に憤死しかねないほど癪なことに、女神の見立ては正しかったのだろう。初めはどう考えたって上手くいきっこない無茶な訓練だったものが、けれど何度も繰り返し、試行錯誤を重ねていく内に、少しずつ手応えが生まれていく。無茶の具合が目減りしていき、段々と、順々と進んでいく。壊せないし越えられもしない大きな壁だったはずのそれが気付けば押し開くことのできる扉に変わっている。その感覚は確かな成長の充足も合わさって非常に小気味よく、だからこそ気持ちが悪くもあった。
淀みなく、つつがなく。まるで望む未来への道筋を指でなぞるくらいの気軽さで辿っているような女神の順調に過ぎる導き。それに満足感さえ覚えてしまう自分に対して若干どころではない怖気を感じさせられたが──その生理的と言っていい嫌悪さえ除いてしまえば。私たちの成長、灰らしい灰へ至るための試練の進捗だけで見るなら、やはり順調に越したことはなくて。
「おめでとうございます。はるこ、あなたがチャプター2最初の合格者ですよ」
五体を投げ出して寝転がる私へ、傍に立つ女神がわざわざ覗き込むようにしながら祝福の言葉をかけてくる。最初の合格者。確かにあちら側ではナゴミちゃん&カザリちゃんペアが、こちら側ではコマレちゃん&シズキちゃんペアがまだ競争を頑張っている。気配と声でその白熱ぶりと、クリアまでそう遠くなさそうな熟達ぶりが私にも伝わってくる。きっと今にも四人とも、女神からの課題を成し遂げることだろう。
「推察尤も。あなたも正しい見立てができている。大変に素晴らしいことです」
微笑を少しだけ大きくさせた女神に視線を返す。何がそんなに嬉しいのかと目だけで問えば、案の定に一言一句違わず彼女は文言を解し。
「嬉しくもなりましょう、仲間の兆しを見通せることは即ち感覚の拡張を意味しており、灰らしい灰への接近。翻ってはわたくしへの接近を顕すものなのですから」
などと言いながらも、女神は今も想起と静清の早撃ちゲームに競り負けた者への罰である追加想起を欠かさない。もちろん、さっきまでは私に付きっ切りで刑を執行しながら──おほん、訓練を見ながら同じことをやっていた。目と脳みそがいくつあるのかって所業だけど、まあ神だもんな。一と二と二を同時に面倒見るくらいのことは朝飯前にやってのけるでしょうよ。これくらいのことはもう驚くにも値しない。
教え子の実力が自分に近づくのが嬉しい、なんて指導者の鑑みたいなことを言いながら拷問まがいの苦痛を与えるのに余念がないっていう、人ならサイコパス認定を受けること間違いなしの非人道っぷりには言ってやりたいことも多々あるけれど……これも人じゃない相手にいくら言おうが、なんなら思おうが無意味だからね。私は口にチャック、思考に蓋をして大人しく休息に努める。
疲労に埋没することしばらく、このままだと眠っちゃいそうだなと思い始めたところでパンと音が響く。女神が手と手を打ち鳴らした音だ、と確かめるまでもなく発生源を察した瞬間にはもう、私たちは整列させられていた。
寝転んでいたはずなのに気付けば起立状態で、皆と一緒に横一列。なんだなんだとざわつく私たちに女神は言う。
「おめでとうございます。全員クリアです。チャプター2はこれにて完了──続いてチャプター3へ進みましょう」
「えっと……休憩は?」
「ありません。各々の疲労を引き継いだままで挑戦してもらいます」
流れからしてダメ元ではあったけどやっぱりダメだった。今回も次のチャプターには万全の体調じゃ挑ませてもらえないようだ。ちらりと皆の疲れぶりを確かめてみると、当たり前だけど誰の顔色も良くない。鬼ムズのチャプター2をやっとこさクリアまでこぎつけた直後なんだからそりゃあ疲労なんて溜まりに溜まっているに決まっている。それはちょいとばかし早めにクリアできた私にしたって同じで、つまりは全員揃って最悪と言っていいコンディションにいる。
のだけど、女神的にはそれでこそ試練が試練足り得るのだと言ってどれだけ私たちが休憩を欲そうと聞いちゃくれないのだからどうしようもない。……逆に言えば、ここで私たちの訴えるままに休息を与えてコンディションを万全にしてしまえば拷問か処刑かってレベルのこの試練が、なのに「試練ではない」ものになる。それくらいに私たちがなった灰っていうのは……神のしもべっていう立場はとんでもないってことの証明でもあるのかもしれない。
チャプター2の当初があれだけ理不尽な高難度に感じたのも、前の訓練の疲れが尾を引いていて体力も集中力も満足になかったからでもあるしね。しかもその状態からでも何回も挑戦していく内に疲労を抱えたままだろうとコツを掴めていって、最終的にはちゃんと全員が課題を成し遂げているわけで。確かにチャプターそのものの難しさこそ変わらずとも私たちが本調子であるか否かでその達成難度は大きく変わってきそうだ。
「承服いただけましたので、早速に説明を行います」
私だけじゃなく、皆の中にもそういう考えが浮かんでいたんだろう。強引なまでのやり方に苦しめられている身だけど、納得がある。一理があると認めてしまう。チャプターを進めていく間に私たちの思考というか感性というか、とにかく受け取り方も変わってきている気がする。灰としての成長は神力への馴染み方だけじゃなく、それが向上するに伴って私たちの意識まで灰らしいものへ向上させているような……ああ、ここでそれを「引っ張り上げられている」のだと解釈してしまうあたりもいかにもって感じだ。
変化は顕著、になってきている。女神が出す課題をクリアするたびに、一歩ずつ灰として前へ進むたびに、確実に。だからどんなに大変な思いをしたってこうして、次の試練へ挑むための覚悟を自ずと決めちゃうんだ。
「チャプター3では想起と静清の維持に努めてもらいます。それぞれまずは十分。それができたら三十分を目標といたしましょう。ええ、勿論今回も失敗には罰を与えます。先のはるこの痴態は皆も見ましたね?」
痴態言うなや。人が全身千切れ飛んでは元に戻っての死の反復横跳びをさせられていたのをそんな言い草があるか。
「そう、次に下される罰ははるこが何百と受けたそれと同等のものとなります。味わいたいとは、思いませんでしょう? であるならば一層の奮闘を以て試練に臨むことをお勧めしますよ」
激痛どころじゃなく死の実感があるレベルの罰。難度の克服に見合った苦労を授けるというのを指導方針としている女神なので、それだけの罰を与えなくちゃならないほどチャプター3は難しいってことなんだろう。一見、いや一聞すると想起と静清の維持、そしてそれだけに努められるとなると内容的には今までで一番簡単というか、緩い試練に思えなくもないんだけど……。
課題自体の難度がそこまででもないから過剰な罰によって失敗のリスクを跳ね上げることで私たちの緊張と集中を促しているんじゃないか、ともこの訓練始めたての頃なら思ったかもしれない。
だけど今はもうそんな都合のいい妄想なんてしない。できっこない。罰のヤバさが上がったなら、それに比例して課題の難度だって上がっている。そこには少しの疑う余地もないのだ。ということは、既にそれなりの腕前になっているはずの想起と静清も「長く維持する」となると今の私たちには及ばない、何かしら別の技術が必要になってくると想定したほうがいい。
つまり、またそのためのコツを死に物狂いで掴まないことには──女神風に言うなら新たな兆しを見出さないことには、本当に死に続けるのだと。
女神の笑み。順繰りに向けられたそれは考えるまでもなく肯定を意味していた。
重たいため息が五つ重なった。




