322 白昼夢ってわけじゃ
気付けば私の前には舞い散る仄暗い塵があった。私はそれに手を伸ばしていた。けど、掴めるはずもないそれはただ指の間から零れ落ちていくばかり。そうして風に流されて消えていくばかりだった。
これは、アンラマリーゼだ。私が殺し、その肉体が崩れ、塵となってこの世界から去っていく。ここではないどこかへその魂が旅立っていく。引き留めることはできない。その一部だってこの手に残すことは、できっこないんだ。そんなのはわかりきっていて、だから伸ばしたこの手はただの感傷。最後に攻撃以外の方法で彼女に触れたいと思ってしまった私の弱さでしかなかった。
だいじょうぶ、大丈夫だ。私の言葉は、想いはちゃんと届いている。アンラマリーゼの想いだって私に届いたんだ。無理解のままに、ただ「世界の敵」として彼女を殺したわけじゃない。結果としては同じことかもしれないけど……でも別れ際のあの瞬間、確かにアンラマリーゼは笑っていた。それまでの彼女が見せなかった笑みを見せてくれた。あれが見られただけでも、最期にあの表情をさせてあげられただけでも、救いにはなったはずだ。
アンラマリーゼにとっても、私にとっても。だから違う。結果だけじゃわからない明確な差がそこにはあった。
「……!」
ハッとする。そうだ、私は帰ってきたんだ。真っ白な女神空間から精神が、現実の肉体へと。精神だけがあそこへ移動していたっていう根拠らしい根拠はないけど、なんとなくそう感じている。そういうことも女神なら簡単にできてしまうだろうとも思うしね。
つまりあれは精神世界、というか、精神だけの世界での長話だったんだ。女神が言った通りに時間の経過なく、魔王を倒したあの一瞬からの地続きで頭の中にこれまでなかった知識や情報がめいっぱいに増えた。それがうっとさせる。なんか、酔ってるような感覚だ。知らなかった、急激に知識を詰め込まれると人って三半規管に異常を来たすのか。単純に移動の負荷もかかっているのかもしれないけど……とにかく気持ちのいいものじゃないから、今後はもうやらないでほしい。なんて言ってもあの女神のことだ、やったほうが効率的と自分が思えばバンバンと遠慮容赦なしに何度だってやるんだろうけど。そこはもう期待もしていない。
って、それよりもだ。私は一秒とかからず……いや、本当に一切の時間経過もなく女神との対話を行なった。私が直接アンラマリーゼへトドメを刺したってことで一番に呼ばれたようだけど、でもその順番には大した意味がない。だって他の皆だって対話時間はゼロ秒であるはずだから。ということは、私が戻ってきている今は、皆もおそらく──。
視線を巡らす。
「ハルっち……も?」
「ナゴミちゃん……うん」
どこか呆けたようにしていたナゴミちゃんが、私の視線に気付いて目を合わせて、そう訊ねてきた。普通なら要領を得ない謎の質問、だけどもちろん私にはその意味がよくよく理解できているために、肯定を返した。すると彼女は驚きと納得を器用に混在させた表情になって、そして頷いた。
「そっか。ウチの白昼夢ってわけじゃ、なかったんだね」
「あはは。その線は考えなかったな……もしそうだったら私も良かったんだけど」
渇いた笑い声を出してしまう。ナゴミちゃんの様子からして女神に呼ばれたのは間違いないし、そこで聞かされた話も一緒と見て間違いないだろう。何番目に呼ばれたのかは知らないが、彼女がもう対話を終えているからには残りの三人も同じのはず。
「あ、あの……」
「! シズキちゃん」
周囲にいたショーちゃんたちが形をなくし、いつの間にか傍に来ていたシズキちゃんの足元へと戻っていく。そうやって回収を行ないつつもシズキちゃんの顔色は優れなかった。単に疲労が濃いっていうのもあるけど、それだけじゃないとわかる。これは私と同様に情報をお腹いっぱいならぬ頭いっぱいに食べさせられてパンク寸前になっている顔だ。
「シズキちゃんも女神と話したんだよね? 私たちもだよ」
そこを確認したかったんだろう、そう教えるとシズキちゃんは少しだけホッとしたように見えた。でも本当に少しだけだ。彼女はまだ他にも何か言いたそうにしていて、けれどなんと言えばいいのかわからずに言葉を探しているようだった。
その背後から、コマレちゃんとカザリちゃんがやってきた。二人とも重い足取りだけど、カザリちゃんのほうがまだいくらか余裕があるようでコマレちゃんを支えてあげている。や、これはカザリちゃんに余裕があるっていうよりコマレちゃんがよっぽどに疲弊しているのだと言ったほうが正しそうだ。
「その様子からして皆さん、そうだと思っていいんですね」
荒い息を吐き出しながらコマレちゃんが穏やかじゃない目で私たちを見渡す。カザリちゃんとの間での共有は済んでいるようで、彼女も静かにこちらを見つめている。それに対して私たちは三者三様にそれぞれ頷きを返していった。ナゴミちゃんは何かを噛み締めるようにゆっくりと、シズキちゃんは小さくおっかなびっくりと。私は……私はどんな風に皆から映っただろうか。わからないけど、できるだけ堂々とした姿に見えていてくれたらいいな。別に、そんなのに大した意味もないけどさ。
「……女神様の仰っていたことについてですが」
と、いつものようにコマレちゃんが主導して話が始まりかけたところ、それを遮る声が遠くから聞こえてきた。中庭に響くそれは本館のほうからのものだ。私がアンラマリーゼにぶん殴られて開けた穴から飛び出して私たちに呼びかけてくるのは、シュリトウさんだった。その後ろには……ああ、良かった。バロッサさんやゴドリスさんも見える。少なくとも彼らは無事だとわかって心から安心した。それに、まだしも「戦える」彼らがこうしてやってきたってことは、それを送り出した側もおそらくは無事だってことだから。きっとルーキン王やアザミスも、姿が見えないだけで存命に違いない。
……アンラマリーゼの奴、いくら最初に殺す命を私にしたいからって、あそこまでルーキン王を──世界を征服するために目下最大の障害である連合国のトップさえも殺さずに捨て置くなんて、改めて考えると本当にめちゃくちゃなことをしているよな。魔王なのにそういうことができちゃう奴だから特異点だったのか、特異点として生まれたからそんな行動に出たのかは知らないけど……まあ、おかげで連合国はここまで攻め入られていながら首の皮一枚で繋がったんだからその拘りにも一応、感謝くらいはしておいてやろう。
私たちが王都に辿り着くまでの三時間ほどの間にあいつが好き放題に暴れていたら、次の波を迎えるのがもっと大変になっていた。だって連合国は依然として前線基地の役割を果たし続けていくんだからさ。
私たちの無事と魔王がどうなったかを大声で訊ねながら駆け寄って来るシュリトウさんに手を振って応えていると、ぼそりとコマレちゃんが。
「今は話せそうにないので……また後程、コマレたちだけになったタイミングで」
その言葉に私たちは黙したまま、目だけで了承を返す。確かに、本当ならすぐにでも相談を始めたいところだけど、魔王を倒したという今の今でそんなことをしたらさしものシュリトウさんやバロッサさんだって混乱は必至だ。いずれは「新たな敵」について知らせるにしたって、せめて王都の被害の事後処理、その目途が立つくらいまでは待たなくちゃいけないだろう。
と言っても約二十四時間という時間制限が今このときも刻一刻と迫ってきているために、帰還を前提にするならそう悠長にもしていられないんだけど……やれやれ。
「せっかく目的を達成したってのにちっとも休まらないな。身も心も」
思わず漏れた愚痴にも、皆から無言の肯定が返ってきた。




