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321 そのときこそ

「繰り返しますがこの場で決断を下す必要は、ありません。他の四人とも相談の場を設けたくもあるでしょう。約一日の時間を有意義に使って、全員で結論を出すのがよろしい。無論のことそれは必ずしも全会一致でなければならないわけでもありません。仮に他四人が残留を選んだとしてもあなただけ帰還することだって可能ですから──いいえ、ただの物の喩えですよ。他意などないのでそのように物騒なことは思わないでください、はるこ。わたくしが言いたいのはつまるところ『悔いの残らない選択』をしてほしいということです。心に良くないものを残さないために。穢れも陰りもないあなたらしい道を進むために。その心根が示す方へと目を向けてほしいと、そう願っているのです」


 よく言うよ、と声には出さずに内心だけで告げる。こんなに露骨に人の心を揺さぶっておきながら、全貌を教える前から状況を作り上げておきながら、あたかも全ては私が決めること。その意思ひとつで何もかもを変えてしまえるような言い草が、よくもまあできたものだ。面の皮が厚いにもほどがある。実際には私に提示されたふたつの道なんてどちらも私が望んだものじゃなく、しかもどちらを選ぼうと茨の道だっていうのにさ。


 地獄への道は善意によって舗装されている……っていうのはどこの誰の言葉だったかな。あんまり好きな言葉じゃないけど、今ばかりは当たっているなと思わざるを得ない。女神は女神としての善意によってこんなことをしている。私を逃れようのないその掌の上に置いてぎゅっと握り締めている。間違ってもそれは悪意によるものじゃない。彼女は彼女なりにこの世界を守るために、人類という白を存続させるためにできる限りの最善を尽くしているだけなんだ。


 それがわかっているだけに……私にとってはあんまりな扱いでも、この世界の人々のためになっていると理解してしまっただけに、もはや怒りもわだかまりもぶつけようがない。ずっと持ち続けていて、活力代わりにしていた女神への恨み節さえも、もう行き場をなくしている。それは苦痛になって私の内部でぐるぐるするだけだ。どこにも行けない、吐き出せない。


 灰になったらこんな苦悩だって吹っ飛んでしまうんだろうか? そう思うと余計に怖い。人でなくなるというのが、恐ろしく感じられた。


「実際にどのような変化が内面に起こるのか、わたくしには説明ができません。存じないからです。わたくしは灰ではなく、灰を手元に置いたこともない。未知なのはわたくしにも同じこと。ですから断言は勿論、本来なら推測さえも口にできたものではないのですが──それでも信じることはできますでしょう? はるこ、あなたならばきっと良い灰になる。確証こそなくともわたくしはそれを疑ってはおりませんとも」


 良い灰。っていうのは、誰の目から見てのことなのか。女神が疑っていないのは私に起こるどんな変化のことなのか、それはわからない。きっと灰になってみなければ私には何もわからないままなんだ。だから、そうなる前に選ばなくちゃいけない。乗せられたからでも誘われたからでもなく、ちゃんと私自身の意思で、私自身の気持ちで。


「以上で教えなければならない全てを伝え終えました。わたくしからお話することはもうありません。あなたから訊ねたいことは、他には?」

「ない……ああ、いや。最後にひとつだけ」

「なんでしょう」


「灰になったとしても、灰から戻れなかったとしても、次の波から人類を守ることさえできたら……そのときこそ私たちは帰れるんだよね? 元の世界に」


「──ええ、はるこ。大いなる波が収まればその次の黒の対処はそう難しいものではない……ですので、あなた方を引き留める理由はなくなるということです。また大いなる波が起こるまでに数世紀から数十世紀程は猶予が生まれるはず。その間にわたくしは新システムや勇者に代わる白の御旗を立てることに尽力しましょう。ふふ、そう不安がらずとも。この千五百年を耐えて手段を講じたわたくしをどうかあなたも信じてください」


「そう。なら、いいや。もう確かめたいことはないよ」


 もしかしたら他にも聞いておくべき点はあるのかもしれないけど、もう疲れた。心も頭も疲れ果てている。元から決して処理能力の高くないこの脳みそに、しかもアンラマリーゼとの激闘の直後だってのにこんな情報量を詰め込まれたんだからへとへとにもなる。マジで頭が茹っているんじゃないかってくらいの知恵熱を感じてる。


 だからもういい。こんな擦り切れた思考回路じゃまともな質問なんてこれ以上思い付きようもないし、答えが返ってきてもちゃんと理解できるか不安が残る。どうせ女神は他の四人にも同じ話をして、同じ選択を突き付けるつもりでいる。皆ならそこでちゃんと過不足なく確認を取るだろう。私みたいに衝撃を受けはしてもそういうとこで躓いたりはしないはずだ……特に頭の回るコマレちゃんやカザリちゃんは心強い。私に不足があったとしても彼女たちが補ってくれるに違いない。


「そうですね。話し合いの場で相互の認識と共にそちらも確認するといいでしょう。試練の旅路の最中でもそうしてきたように、最後までよく話し合うことです。人の身にはそれこそが最も大切なことのひとつですから」

「言われなくてもそうする。……じゃ、いい加減に現実へ戻らせてもらえる? 疲れてきたら本格的にここの風景に滅入ってきちゃったよ」


 やっぱこの何もない、見渡す限りに真っ白しかない世界はあまりよろしくない。目に痛いというか、平衡感覚にも悪さをするというか。まっすぐ立っているはずなのにそんな気がしないんだよな。こことは正反対に真っ黒だったバルフレアの謎世界も大概に気味の悪さを感じさせられたけど、あれは明確に敵側が作り出した空間であり、そこに悪意が充満していたからってのもある。ここにはそれさえもない。本当の意味で何もなくて、だからこそ不気味で圧迫感がある。そういう意味ではバルフレアのそれよりも質の悪い空間だとも言える。


 少なくとも「人間のまま」ではここに居心地の良さを見出すのは絶対に無理だ。……まあ、真っ白空間の異質さだけじゃなくて、そこで女神とマンツーマンで顔を突き合わせているって部分も相当に私の気を滅入らせている原因なんだけど。


「随分と嫌われてしまいましたね。ですが、それでこそわたくしはあなたが灰として欲しい。あなただけでなく、全員が欠けることなくこの世界への残留を希望してくれたなら。人類種の行く末も盤石のものとなる──それをどうか忘れないでくださいね」


 これまでになく柔らかい語調で、けれど言っている中身は何重にも私を縛り付ける鎖のような硬さで。それを終わりの言葉として女神は満足したらしい。お互いに一歩も動かないままに互いの距離がどんどん遠ざかっていく。白い世界が急速に流れていき、そして段々と私の視界は暗くなっていく。夜の海に飲まれるように、引きずり込まれるようにして背後から黒く染まっていって、ついには何も見えなくなった。自分の手足さえもまったく。


 上下も左右もわからないままに流されていく感覚だけがある。でも不安はなかった。むしろ安心感を得ていた。それは今向かっているところが本来いるべき場所だと本能が教えてくれているからだった。神の世界。管理者の膝元ではなく、現実へ戻ろうとしているんだと。


 灰ではない私の居場所へ──灰になれば私の居場所ではなくなってしまうそこへ、私の意識は飛ばされていく。どこまでもどこまでも。


 どこまでも。



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