317 帰還か残留か
「えっと。私たちへのご褒美は、あんたが義務として絶対に与えなくちゃダメなものなの?」
「はい。それが魔王討伐へ旅立たせる対価として設定されたものですから」
「で、その対価としてなら、追加で私たちに新しく祝福を授けるっていうのも通る。無理筋じゃなくなると」
「はい。そこには神の手を下すことへの正当性がある。過剰干渉による歪みは現れず、世界にも影響はない。実に真っ当な手段と言えるでしょう」
……そりゃ、魔人を魔族に変えたりするよりは真っ当かもしれないけど。そんな荒業と比べたらどんなやり方だって真っ当な部類に入っちゃいそうだけども、けれどそれでいいようにされる側からすると気持ちのいい話じゃない。
「祝福ひとつだけ与えて私たちを放り出したのは……ううん、それだけじゃない。アンラマリーゼを唆して魔王期を積極的に終わらせようとしたのも、それに合わせる形で勇者を五人にしたのも。全部が全部、今の形でシステムの最期を迎えさせるため。あんたの望む状況で次代へ移るためだったってことだね」
「それも、まさしくですね。五人の勇者という各時代を遡っても破格の戦力が白に存在している、まさに『今』こそが避けられなくなった大いなる波を迎えるに相応しい時。この時を逃して最善はない。わたくしに誓ってこれは不変の真実です」
「…………、」
なんてこった、だな。それ以外に浮かぶ感想もない。
女神は最初の最初から私たちに二連続で使命を課すつもりで、それを前提にして干渉したりしなかったりを選んでいたんだ。魔王期の始まりからの話の流れを思えば当たり前のことだったかもしれないが、言われるまでまったく想像だにしていなかったよ。魔王討伐のご褒美にこんな罠が用意してあるだなんて……しかも何が嫌らしいって、それでも元の世界に帰ることを願えば私たちは否応なしに全てを忘れさせられるってところだ。
一見すれば善意にも思える、実際に女神からすれば本心でこれがアフターケアになっていると思っているかもしれない措置だけど。そのおかげで帰還を選択したとしても私たちはこの世界が待つ過酷な運命を忘れられる。助けることを選択しなかったっていう事実から逃げられるんだから、心のケアっていう意味では確かに効力があるけれど。
でも「まだ選択していない今」においてはこのサービスは楔と同じだ。忘却するというのがより強く、それが世界を見捨てる選択だっていうことを突き付けてくる。それを選べば極悪人。ではない、そうじゃないってのは、わかってるんだけど。でもこれも理屈の上であって感情が出す答えはまた別だ。
それに……こっちの世界でのありとあらゆる出来事を、何もかも忘れてしまうのだって私は普通にイヤだ。
「お嫌ですか? あなた方は自らの世界では到底体験し得ないことを様々に体験してきました。その中にはあなた方の精神的な成長を促すものも多くあり、実りがあったことでしょう。ですがそれと共に、不必要な成長も多くありました。特に生死にまつわる部分はおよそ自らの世界を生きる上でまったくそぐわない感覚をあなた方に植え付けたはず。経験は武器にもなれば枷にもなる。わたくしは枷としての側面の方が大きいと判断しましたが……はるこ、あなたの意見は違うのですか?」
「……あんたの言うことにも一理あるってのは認めるよ。確かにこっちで経験したそのほとんどは、元の世界ではなんの役にも立たないだろうね」
メリットになるのなんて精々、壮絶な殺し合いをしたことでクソ度胸が付いたって部分くらいか。今更私がちょっとやそっとのピンチで、それも元の世界で遭遇するような出来事で大慌てすることはもうないだろう。
でもそのクソ度胸のせいで何かしらトラブルを自分から起こしてしまわないとも限らないし、そうじゃなくても殺し殺されを受け入れて続けてきた旅で培われた感覚は、女神の言う通り元の世界だとちっとも適さないもの。現代社会の日本を生きていくための武器とするにはあまりに物騒過ぎて、そういうズレの弊害を味わうことになるっていうのは目に見えてもいる。
だからここでの体験を全部忘れ、得た経験値をリセットするのもひとつの手ではある。そうすれば少なくともこっちへ連れ去られる前と何も変わらない、以前と同じ自分で同じ生活を送れるのが確実なんだから──でも。
「でもやっぱり私の意見は違う。コマレちゃんたちのことはもちろん、こっちの世界で出会った全員。バーミンちゃんとかバロッサさんみたいな一緒に戦ってきた人たちのことを、私は忘れたくない。敵のことだって忘れたくない。お互いに真剣に命を懸けて、そしてこの手で殺した命のことを……忘れて何もなかったことにするなんて、そんなのご免だ。それこそ心に良くないものを残すやり方だよ。私にとってはね」
「全て忘れるのですから、忘れたことさえあなたは忘れるのですよ?」
「それでもきっと引っ掛かるよ。こっちで得たものは多過ぎるしそのひとつひとつが強烈過ぎる。その全部が丸っとなくなったとすれば、そこにあったはずの何かにずっと足りない感覚を覚え続けると思う」
「根拠はなくともあなたはそう信じているのですね──では、どうしますか? 忘却は既に帰還条件に組み込まれた不動の作用です。それがどうしても気に入らないと言うのであれば、残る選択肢はひとつ」
「こっちに残って第五大陸の強魔物と戦う……ってことでしょ。あんたから追加の祝福を貰ってパワーアップしてさ」
「その通りです。無論のこと残留を選ぶ場合であっても、必ずしも願いが追加祝福でなければならないという制約はありません。使い切れないほどの大金でも、理想のパートナーとの出会いでも、なんでも構いませんよ」
選択肢はあくまで帰還か残留かの二択であって、残留におけるご褒美の内容は別に限定されていない。そこはどこまでも私たちの自由である。と女神としては言いたいっていうか主張しているつもりなんだろうけど、馬鹿げた話だ。
こっちに残ればどうしたって大きい波に襲われるんだ。第五大陸からやってくるヤバすぎる強魔物の脅威に晒されるのがわかっていて、戦うための力以外を望むわけがないじゃないか。いや、望めるわけがないと言うほうが正しいか。とにかく自由があるように見えてこっちだって実質の一択。選択肢なんて端からないのと同じだよ。ホント馬鹿馬鹿しい。
「……この話、皆にもするんだよね」
「勿論です。あなたとの会話を終え次第、そうですね。次はこまれあたりを呼ぶとしましょうか」
ちなみにこちらでの時間は現実世界とはリンクしておりませんのでご安心を、と女神は付け足すように言った。一瞬なんのことやらわからなかったが、どうやらここでどんなに女神と長話をしようとも現実で時間が経つことはないらしい。
つまり、現実の私はアンラマリーゼを倒したその瞬間のままで止まっているって感じなのかな。それはまあ、助かるっちゃ助かるね。もしも白目剥いてぶっ倒れたまま動かなくなってたりしたら、アンラマリーゼと相打ちに私まで死んだと思われかねないからな。そんな心配をかけたらまたシズキちゃんを泣かせちゃうことになっちゃう。
「で、私と同じ流れで説明して、選択を迫るわけね」
「勿論です。あなたへ与えたのと同じ情報を与え、同じ質問をわたくしはします。皆の返答が如何様なものになるか、管理者としてドキドキですね」
などと、ちっともドキドキしているようには見えない涼やかな微笑のままに女神はそんなことを言った。冗談のつもりなのかなんなのか、私はひたすら判断に困った。




