309 白と黒
さっき女神が謝ったのは、魔王期を終わらせるつもりでイレギュラーを女神自身が促進させたことで、私たちに普段通りの魔王期であれば本来なかったはずの苦労を強いたことに対してだ。翻って、その根っこにあるのは魔王期を終わらせてもいいという判断。つまりは魔王と勇者システムに代わる新しいシステムを導入するために生じた「皺寄せ」への謝罪とも言えるわけだ。
女神は謝ったあとにこうも言った──私たちが取り戻した平和はすごく短い、と。最初は何が何やらわからなかったけどこうして順序良く説明されたあとだとその言葉の意味も見えてきた。魔王期の周期は百年から二百年。平均するならおおよそ百五十年といったところ。今回はアンラマリーゼという抗体の誕生のせいか百年足らずという過去に例のない短さだったようだけど、おそらく新システムの導入と稼働はそれよりもさらに短くなる。五十年くらいか、それ以下か。ともすればたった数年、いやさ数日単位での本当の束の間しかないかもしれない。
そうでもなければ神様が、人の心なんて読めはしても理解はできないような上位の存在が、わざわざ進んで頭を下げるなんてことしないだろうから──。
「その切り替えのために私たちにはまだ何かやらなくちゃいけないことがある。それとも、この世界の人たちが大変な思いをする……とか?」
思い付くのはそのあたり。最悪なのはどっちもだっていう答えだけど、違ってたらいいなぁなんて淡い期待を抱いて女神の返答を待つ……けど、その目を見てもうわかっちゃった。よくおわかりですねとでも言うような、大人が小さな子どもを褒めそやすような圧倒的な上から目線での称賛の眼差しに、私の疑念がそのものずばり全て的中しているということを察してしまった。
追い打ちに女神の首肯。
「まさしく、はるこ。あなたの想像する通りに新システムの導入は喫緊の課題となります。魔王期の周期が百五十年前後であったのはわたくしの調整によるもの。長過ぎても短過ぎても人類種の団結の維持にはよろしくないと設定した平和期ですが、それをある程度任意にできたのもシステムありきのこと。魔王の復活のために胎動し続ける魔王城と、その魔王城によって掌握されている第四大陸の存在こそが平和期を保っていたのです。アンラマリーゼの手によって魔王城が機能を失い、ただの古城に過ぎなくなってしまった今となってはそれも望めません」
復活のない完全な魔王の打倒。それが成されたことで「百日の猶予」ならぬ「百五十年の平和」がなくなってしまったのだと女神は言っている。が、これまた私には理解の難しい理屈だった。
だって平和な期間に対しての争いの期間とは即ち魔王期のことだ。魔王が復活して魔王期が始まるからこそ平和が終わりを告げるわけで。その魔王の復活がなくなったっていうのに、それがかえって平和の確保をなくしてしまったと言われても首を捻るしかない。生き残りもいるとはいえ魔族侵攻の脅威がほぼなくなった今、いったい何が平和を脅かすというのか。
「人種間による闘争を何故、終結させなければならなかったのか。その理由がおわかりですか?」
「はい?」
話が飛んだ。すごい勢いで振り出しのほうへ戻された。と戸惑いを覚えたけど、いやまさかこの場面で無意味に女神がそんな真似をするはずもない。ってことは平和が続かないことと何かしら関係のある問いかけ、なんだよな? そう思うことにしてとりあえず考えてみる。というかぶっちゃけ考えるまでもない問いでもある。
「そりゃ、無意味な争いだからでしょ? あんたが管理しなくちゃいけないのは白と黒のバランスなんだから、白同士での内輪揉めばかり盛んでもなんにもならない……なんにもならないどころか、度が過ぎたら黒にいいようにやられちゃうピンチですらもある──って、ん?」
自分で言っていてものすごい引っ掛かりを覚えた。そういえば、人種間闘争が起きていた時代における「黒」について女神は何も言及していなかった。カルメラというアンラマリーゼ以前のイレギュラー、世界が作り出す抗体の誕生を切っ掛けに魔王と勇者システムを始めるよりも以前から、女神はあの手この手で人種間闘争を収めようとしていた。けれどそのどれもがいまいち上手くいっていなかった、とのことだったけど。女神の仕事、つまり管理者がやるべきなのは今言ったように白と黒のバランス取り。ということは、人種間闘争をやめさせようとしていたのだってそれに類する行為に間違いなくて。
こんな言い方をするのはあれかもしれないけど、もしも当時のまま、それこそ今でも五人種がいがみ合って争い合っているままだったとしても、バランスさえ取れているなら女神にとってはそれでよかったはず。人種間に対立があろうが頻繁にたくさんの人命が失われていようがそんな被害はどうでもよかったはずなのだ。そこまで露悪的に言わずとも、少なくとも「必要経費」として受け入れてそもそも干渉だって控えていたのは確かだろう。それが管理者として正しい在り方だっていうのは、私だってもうわかっている。
だけど女神は小さな干渉を何度も繰り返し、ついにはカルメラを利用しての大きな干渉にまで乗り出した。そうしなければならなかった。そうしないと白は取り返しの付かないことになり、世界は滅んでいたってことだ。
人種間闘争が行きつくところまで行きついて、それぞれの種族が存続困難になるくらいに数を減らして共倒れになる。そういう滅び方を回避するために世界が抗体を生み、それを女神がシステム構築のために使った。と、たった今までそう理解していた私だけど、これがそもそもの誤解なんじゃないかと気付いた。
だってよく考えてみれば、白の中で争いが起きていることを黒と表現するのは腑に落ちない。それが黒の勢力が行う離間工作で人類が混乱に陥っているせいだとかならまだわからなくもないけど、それすらもないマジもんの内輪揉めで勝手に白が落ちていくのを「黒に脅かされている」とは言えないだろう。でも当時からして女神は一所懸命に管理を行なっていた。その時代にもしっかりと「黒」は存在していたってことだ。
そこまで思い至ればもうひとつ、どうしても気になることも出てくる。
ではその「黒」は。魔族のように白の側から無理くりに捻出されて作られた脅威ではない、天然物である当時の「黒」は、現在どこで何をしているのか──?
「黒の勢力、という表現は適切でもあり不適切でもありますね」
「え?」
「白とは基本的に人類勢力を指しますが、それに対する黒は必ずしも対抗勢力とは限らないということです。流行病や災害といった特定の敵性存在を介さない黒もありますから。白を脅かす波の形は不定形かつ不特定。そして時には元より白に害のなかった存在が黒となる場合もあるのです」
「そんなことまで? ……いや」
それこそ元々は白の側だった魔人を黒に仕立て上げた女神が既に証明済みの事実でもある、か。その裏技チックなやり口からすれば白でも黒でもなかったものが何かの拍子で黒になるのなんてそこまで大したことじゃない気もしてくる。もちろんこれは理屈だけを耳にしている立場での感想であって、そんな事態に晒される現地民からすればとんでもないことだろうけど……でも人種間闘争時代のこの世界の人たちは、仮にそういうことが起きたとしても何も気付けず、いざ脅威を目の前にしても手を取り合うのが間に合わず、何がなんだかわからないままに滅んでいたんだろうな。
ようやく女神の言いたいこと、その時代に彼女が何をしたのか、それが正しく見えてきた気がする。要はそれこそが彼女の防ぎたかったものなんだ。
「ええ。蛇の如く鎌首をもたげんとする『大いなる波』。確実に白を根こそぎに浚うその脅威こそが、何を犠牲にも食い止めねばならないものでした」




