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遊郭を設置し大名に女遊びをさせて浪費と内密の情報収集を行うとしようか

 さて、朝廷・公家・武家に対する法度を正式に定め、陸軍に関しての方針も定めた。


 これは戦国時代を終わらせた江戸幕府の開祖である徳川家康がやったことを真似たものだ。


 家康は生前に秀忠に対して


「我がの命もあとわずか。この後、天下はどうなると思うか?」


 と問い、それに対して秀忠は


「乱れます」


 と答えた。


 それを聞いた家康は


「それさえ分かっていれば、問題なし」


 と言ったとされる。


 家康の説話は作り話が多いのではあるが家康の死後、秀忠とその子である家光は徳川一門を尾張・駿河・水戸・甲府・館林などの交通の要衝に配置し、西国や東北の大名が江戸へ攻めてくることを警戒していたのは事実だ。


 だが結局の所は島原の乱以外には大きな争乱は起こらなかったのだけどな。


 その結果として慶長20年・元和元年(1615年)の大坂夏の陣において徳川家康が豊臣を攻め滅ぼしたことにより、戦国時代が終了したと考えられているわけだが、秀吉が死んだあとで一時国内が乱れたように、家康の死後に騒乱が起こる可能性は十分あった。


 伊達政宗はスペインの後ろ盾で江戸幕府に対抗しようとした可能性があったりすると言われているしな。


 ただこれに関してはおれはむしろ鎌倉幕府や室町幕府式の鎮守府による分割統治方式を用いている。


 江戸幕府は長崎にも奉行所を置いていたが西国の大名に対して睨みを利かせるほど強い権限はなかったから、やはり日本全国に監視の目が届くようにできるようにするのも重要だと思う。


 また徳川秀忠の孫は明正天皇として即位し、天皇家の外戚となることでもその権威を確保しようとしたようだ。


 もっともその結果としてはむしろ公家、特に藤原に警戒されてその後は徳川家からの入内は行われなくなったのではあるが、豊臣や羽柴の姓や秀という字の偏諱も考え合わせると、秀忠という人物は家康と秀吉のハイブリットな人物であったとも言えるだろう。


 その秀忠には疎まれていたと言われる三代目の家光は祖父家康を崇拝していたと言われるが、旗本・御家人らの直轄軍の再編をおこなった。


 また明確に老中・若年寄・奉行・大目付・目付などを定めて幕府機構を確立したのも彼だなだ。


 対外貿易の管理と統制を行い日本人町でのキリスト教の布教や宣教師の密航も多かった朱印船貿易を禁止したのも彼だ。


 更に彼は日光参拝や上洛などで大名への支出を迫っているな。


 基本的に東アジアは海禁政策的な行動をとっていたので仕方ないところもあるが、これにより西洋から入ってくる情報がオランダ東インド会社経由のとても偏ったものとなり、船などの技術発展に大きく遅れを取り、軍事でも大きく遅れたのをわからないまま明治に至ってしまったのはやはり良いこととは言えなかったと思うから俺は逆にセイロン島まで航路をつなげて、要所を直接押さえているわけだがこれが後々にどう響くかはわからない。


 軍事指揮権については上が複数いては指揮権が明確にならないので困るが、平和な時代の政治は一人が何でも決めることの弊害が大きいだろうから、いずれは合議で話し合って決めるようにしていこうと思う。


 ただしこれをやると政策を行った結果で失敗しても、その責任の所在が不明確になって責任を誰も取らずに、結果無責任な政治運営をするようにもなるので、失敗した場合の責任を誰が取るのかなどは明確にしないといけないけどな。


 政治というのは難しいものだ。


 とはいえ現状ではまだまだ武断政治でいかざるを得ない。


 ということで大名への浪費をさせ、さらには大名がプライベートで考えていることを探らせるために、大名用の遊郭を大坂に作ろうと思う。


「遊郭を設置して遊女に大名の接待をさせ、大名の本音を探らせようと思うがどうだろうか?」


 毛利元就は俺の言葉にうなずく。


「うむ、それは良い考えでございましょう。

 男は美女には弱いもの、そして親しくなればポロッと本音を漏らしたりするものです」


「うむ、そうであろうな」


 古今東西ハニートラップというのはたいてい有効でそれ故に遊女たちも傾国やら傾城やらと呼ばれるわけだが、実は戦国時代の遊女は決まった場所で客を取るわけではなく流しのものも多い。


 そして武田の歩き巫女のような実は諜報員であるという場合もある。


 江戸幕府が私娼を禁じたり、吉原の遊女が客の家に行くのを禁じたりしたのも江戸幕府も当初は後北条の残党に悩まされていたようだし、旗本御家人などから情報が漏れたりするのは困るという理由だろう。


 最終的に旗本御家人は吉原への出入りを禁じられてるしな。


 というわけで俺も傾城局という遊郭担当の管理組織と大坂の公許遊郭の設置、従来行われていた遊女の町売り禁止を定めることにした。


 今までは遊女を自分の屋敷に呼び寄せて遊ぶことができたわけだが、それは一切禁止とした。


 そして、遊郭の中でも大名を相手するような見世の遊女の担当は毛利や宇喜多の配下のくのいちの中でも容姿や教養に優れた者や、京の都で公家を相手しているような遊女を引き抜いて据えることにする。


 そうすれば結婚相手を自分で決めることができないことなどもあって遊女にはまる大名も出るだろう。


 また武士は公家を馬鹿にする風潮もあるものの、なんだかんだで公家風の教養へのあこがれもあったりする。


 更に大名たちが遊郭で落とす金が俺の手元に入ってくれば俺の懐もあたたまる。


 細かい遊郭の運営方法とかは俺はわからないからそのあたりは任せることになるけどな。

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