朝廷・公家・武家に対する法度を正式に定めよう
さて、名目上の天下大元帥となっていた東宮様であるが、正式に立太子の礼を受けていただき元服の式を執り行い、元は二条家の邸宅であった「二条新御所」に入っていただいた。
「これで形式上は俺の言葉は東宮殿下のお言葉となった。
そうなればそうそう背くやつは出てこないはずだな」
島津の筆頭家老である伊集院忠棟がうなずく。
「左様でございますな、もっとも表立って背くようなものはおらぬと思いますが」
朝廷に関係することはそこで執り行い、天下大元帥として武家の式典に参加するときは大坂に来ていただいている。
元服に伴い東宮誠仁親王殿下の傅役としては我が祖父島津日新斎についてもらい統治者としての教育をしていただいている。
「お祖父様ならうまくやってくださるであろう」
もっとも天皇陛下は”君臨すれども統治せず”の立場でいてもらうので、あんまり実地的なことをたたき込まれても困るが。
また、皇室などに対しては”禁中法度”公家に対しては”公家諸法度”を、武家に対しては”武家諸法度”を制定して発布を行う。
禁中法度は第84代順徳天皇の記した禁秘抄を一部訂正したもの。
皇位継承について、宮中席次について、衣服について、改元についてなどの明文化や、女院・宮家・門跡に対する知行の確定を行ってそれぞれの生活の保護を行う。
公家諸法度は公家の私有地つまり荘園の領有の禁止と昇進について定めて、才能のない者が要職についてはならない、官位に対しての俸給や住宅の大きさの明示、地下官人の制度について再編成など。
そして武家諸法度だが。
大名は武芸や学問を嗜み統治者としてふさわしい行いに努めること。
領地での政務は清廉に行い、違法なことをせず、国郡を衰えさせてはならない。
謀反を企て、仲間を集め、誓約を交わすようなことは厳禁とする。
また犯罪を犯したものを領内にかくまった場合はそのものと同罪とする。
新たに城や砦を築城することは厳禁とする。
居城の堀、土塁、石塁などが壊れたときは、近い場所の奉行所に申し出てその指示を受けること。
櫓、塀、門などは元通りに修理すること。
諸国の藩主や領主は私闘をしてはならない。
もし争いが起きた場合は奉行所に届け出て、その指示を仰ぐこと。
もし軍事的行動を起こした場合は双方を改易とする。
大名小名は所領の大きさによって中央への一定の税を納めるか所定の軍役を行うこと。
軍役を選んだものは自分の領地と大坂、九州の場合は大宰府、関東の場合は江戸、奥羽の場合は仙台との交代勤務を定める。
毎年4月に参勤すること。
ただし供のものはふさわしい人数にすること。
大名は自分の領地以外で何か事件が起こったとしても、国元にいる者はそこを守り、幕府からの命令を待つこと。
藩主、城主、所領1万石以上のものは、幕府の許可無く勝手に結婚してはならない。
必ず報告して許可を得ること。
元の主人から問題のあるとされた者を家来として召し抱えてはならない。
もし反逆者・殺人者との知らせがあれば元の主人へ返すか、幕府へ報告すること。
藩内の街道、伝馬、渡し船や橋などを途絶えさせることはせず、往来を停滞させてはならない。
私的な関所を作ったり、新法を制定して港の流通を止めてはならない。
「まあこんなところだろう」
諸宗寺院法度と諸社禰宜神主法度にかんしては永禄6年(1563年)に制定してるから変える必要はないかな?
国内が落ち着いたら中国・満州・東南アジア・インド方面にも目を向けなければな。




