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小田原攻めは一筋縄ではいきそうにないな

 さて、今回の出兵前に俺は木下藤吉郎、藤次郎兄弟には武蔵などでの米の買い占めを行わせている。


「お前たちがうまく米を買い占められればそれだけ北条が降参するのも早くなるだろう。

 無論参戦する者たちが飢えに苦しむこともなくなるであろう。

 お前たちの働きは重要だから頼むぞ」


 木下兄弟は頭を下げていう。


「はい、俺たちにお任せください」


「戦のない世の中に出来るようにがんばりますよ」


 うむ頼もしいな。


「うむ、戦火に巻き込まれ家財や食料、人を奪われて悲しむ者がいない世の中に近づいているのだ。

 ここで失敗するわけには行かないのでな」


 戦争は軍事行為ではあるが経済行為でもあるし生活も関係する。


 食べ物を十分得られるかどうかは兵士たちのやる気にも大きく関わるので地味だが重要だ。


 木下兄弟は直接のやり働きをさせず行政や商業の励行などを行わせてきたが武力を持たせなければ謀反を起こそうともおもうまい。


 史実における豊臣政権の石田三成的ポジションではあるが実に良く働いてくれてるとは思う。


 ただ権力を握ると性格が変わる可能性はあるので信用もあまりできないのだな。


 後北条討伐の軍編成だが、まずは、越後を中心とする北方軍は総大将が上杉家久・目付役が上杉謙信、従うのは謙信配下であった本庄実乃、直江景綱、本多正信、北条高広、柿崎景家、甘粕 景持らの越後の国人衆に加えその他上野からは長野業盛、長尾景総、長尾憲景、出羽からは大宝寺義増、北信濃から高梨政頼、村上義清、越中から神保長職などおよそ2万が上野から川越を落とすべく南進する。


 北方軍とは言うものの伊達の動向がさだかでないため葦名や最上などは伊達の動きを抑えさせるためにも小田原攻めには加わらせていない。


「まあ、しかし、同数もしくは倍の数相手でも野戦であればそうそう負けはせんだろうな北方軍は」


 角隈石宗が深くうなずく。


「全く以て敵でなくてよかったですわい」


 東海中部畿内方面の主力軍は一条歳久を総大将に駿河の今川、甲斐の武田、信濃の諏訪、芦田、真田、小笠原、木曽、望月などの有力国人、三河の吉良と松平、尾張の柴田や丹羽、美濃は森や稲葉、安藤、氏家、日根野など、近江は浅井、伊勢は北畠、播磨の黒田や丹波の赤井などで合わせて10万ほど。


 今上陛下から賜った錦の御旗を掲げて戦うのはここだ。


「歳久なら錦の御旗を用いてうまくまとめてくれるだろうな」


「まったくもって大変な役目ではございますがな」


 水軍は俺が総大将で長宗我部・熊野の堀内・九鬼・雑賀などを合わせて2万ほど。


 ただし高い戦闘力を持つのは俺の直轄水軍で、ほかは主に兵糧弾薬の輸送にあたる。


 その他関東で恭順した佐竹・小田・大掾・結城・宇都宮・那須・千葉・里見などの関東勢が3万ほどで江戸を経由で東海道経由で相模に攻め入ることになってるがここは総大将がいないのでいまいちまとまりがない。


「関東の諸将は牽制だけやってくれればいい、下手に戦果を大きくあげてその報奨として武蔵がほしいなどと言われても困る」


「たしかにそうですな」


「そして、もはや北条からの交渉・講和は氏康氏政親子が自ら頭を丸め鷹司陣へ来ぬ限りは、一切認めぬ」


「今更そうするくらいであれば素直に上洛しておけばよかったですからな」


 基本的戦略としては、北方軍には武蔵北西部の鉢形城や川越城、関東連合には鎌倉の玉縄城を攻めさせ、甲斐からは八王子城を攻めさせることで武蔵北西部や相模東部に対して牽制をかけながら主力は富士川で集合し小田原への道を阻む山中城、韮山城、足柄城の三城を突破し、同時に水軍で伊豆南部の下田を確保して支城でのネットワークをつぶし小田原を包囲して降伏を迫る。


 一方の後北条は4万ほどの精鋭部隊を小田原城に集めており、支城として東海道の要所にある山中城には松田康長、韮山城には北条氏規、足柄城には北条氏光、東の守りの要の鎌倉の玉縄城には北条綱成と氏繁、八王子城には北条氏照、鉢形城は北条氏邦に川越城には大道寺政繁を配置しているようだ。


 しかしそれぞれの城の兵数は多くてもせいぜい5000程度。


 もともと山城は大軍が立てこもるように作られていないというのもあるが大軍に対して対抗できるように改修もされていない上にそもそもの兵力も兵糧弾薬も何もかもが足りない。


「しかし北条は一族が多いな」


「それでもって家督の相続で御家騒動がおこらないというのは驚きでありますな」


 そして小田原攻めが開始された。


 富士川流域に集まった一条歳久を総大将とする主力軍がまずは東海道の守りの要である山中城をあっさり陥落させて城主松田康長は降伏。


 それを聞いた足柄城の北条氏光は城を放棄して小田原に撤退し、伊豆の韮山城は元々非開戦派であった守将の氏規が降伏に応じてやはり開城したことで小田原の西の守りの支城はあっさり陥落した。


 しかし落城の夜に北条氏康の直属の部隊による夜襲をうけ、小さくない被害が出たとの報告も入った。


 一方の北方軍だが北条氏康の四男・北条氏邦の籠る鉢形城を攻めたものの、その強固な防備に阻まれ、北国連合軍は城攻めに手こずっているらしい。


 そして鎌倉の玉縄城でも先走った里見義堯が北条綱成による夜襲で討ち取られたらしい。


「なかなかやるじゃないか北条も」


 そういう俺は下田沖で北条水軍と交戦しそれを壊滅させて、そのまま下田城を攻撃した。


 下田城の守備軍は600人ほどであったこともあり城を守っていた清水康英しみずやすひでは北条氏康の傅役でもあり、さらに母または祖母が氏康の乳母であったため信頼はされていたのだろうが、兵数差はいかんともしがたくあっさり降伏した。


 その後伊豆半島沿岸の水軍拠点となる諸城をも落とし、小田原沖にはいると小田原市街の海上を封鎖しつつ主力軍が小田原を包囲するのを俺は待ったのだった。

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