短編1
「やあ透璃、久しぶりだな」
そう見覚えのない人物に言われ、透璃がキョトンと目を丸くさせた。
緑と青を交えたような深い色合いの瞳に短く切られた金の髪、その色合いはもちろん目鼻立ちも日本人とは思えず、爽やかに笑えばまるで海外のモデルや俳優のような美しさではないか。声も澄んでおり、高すぎず低すぎず名前を呼ばれると心地良いとさえ思えるまさに美声だ。
こんな良い男を忘れるものだろうか? だがいかに記憶を引っくり返しても覚えはなく、対して目の前の男はまるで旧知の仲のように朗らかに笑いながらよく来てくれたと労ってくる。
そもそも、よく来てくれたと言われるこの場所はどこだ?
目が覚めた時には既にこの部屋に居たが、まったくもって訪れた記憶はない。真っ白な壁で覆われた部屋は病室を彷彿とさせるが、ここには格子のついた窓どころか外界を覗けるものが一つも無い。ベッドと机とテレビ、広さこそ充分に取られているが生活感は無く、その簡素さはビジネスホテルの一室と同程度だろうか。
自室ではないことは間違いない。だが最後に記憶に残っているのは自室のベッドの感触……そこから家を出た記憶もなければベッドから起き上がった記憶もない。かといって頬を抓れば痛むのだから夢でもなさそうだ。
もしかして誘拐だろうか?
だが自分が誰かに浚われたとなれば彼が黙っているわけがない……と、そこまで考え、透璃が目の前の男性を見上げた。
「ディーさん?」
と、試しに呼んでみる。
深い色合いの瞳がパチンと一度瞬いた。
「なんだ透璃、俺のこと忘れてたのか?」
「忘れたもなにも私達は初対面ですよ」
そう告げて改めて透璃が「はじめまして」と頭を下げる。
それに対して返ってきた「そっか、見てたのは俺の方だけだもんな」という言葉については言及するまい。きっと彼は常に自分を見ていたのだ、それがどこからかは分からないが。
「そういうわけで、透璃にはしばらくここで生活してもらう」
「そういうわけがどういうわけなのか分かりません。教えてください、どうして私はここに居るんですか?」
「ヤンデレだから!」
割って入ってきた聞き慣れた声に、透璃が姿を確認する間もなく「レムさん」と名を呼びながら振り返った。
見れば案の定、老若男女問わず見惚れそうな麗しい見目のレムがドヤッと誇らしげに胸を張っている。その得意気な表情は見る者の胸を打ち、誰もが眩暈を覚えて熱い吐息をもらすだろう。そのうえディーもまたレムに負けじと見目が良いのだから二人が並べば尚のこと、互いに相乗効果で魅力が増し、見る者は吐息を漏らしすぎて呼吸困難に陥りかねない程だ。
だがあいにくと透璃は見惚れることもなく吐息を漏らすこともなく、至極冷静に「ヤンデレ?」と首を傾げた。
「レムさん、ヤンデレっていうのは突然ひとを浚うものなんですか?」
「ヤンデレっていうのは独占欲と保護欲を拗らせて相手を監禁するんだ。透璃を守るのは俺! 俺が守るために透璃は常にここにいる、閉じ込める。それがヤンデレ!」
「ここがどこか分かりませんが、そもそも守るって何から守ってくれるんですか?」
「ここなら地底人からかなぁ」
「地底かぁ」
なるほど、と透璃が頷き天井を見上げる。地底ということはきっとこの天上の遥か上に地表があるのだろう。白い天井と目に優しそうな淡い電灯しか視界には映り込まないが。
だがなんにせよ、どうやらヤンデレというのは独占欲と保護欲を拗らせて人を地底に連れていくものらしい。あいにくと透璃はヤンデレだったこともなければ地底に来たこともないので分からないが、きっとそういうものなのだろう。
ならばと透璃が納得し、それでも気がかりがあるとレムとディーに視線をやった。
「ここに居る間、私の仕事はどうするんですか?」
「第三者を透璃と思い込むようにちょっとばかし職場の人の意識を操作しておいた。今日も明日も君は普段通り出社して働くことになってる」
「そうですか、それは安心ですね。……でも」
「大丈夫だ透璃! ここはテレビも見られるし映画も見れる。毎週読んでる漫画も届くようになってるから!」
「なるほど、気がかりはなくなりました」
よかった、と透璃が安堵の息を吐く。
今二人に保証されたこと以外にいったい何を気がかりにしろというのか。惜しむような人は全てレムに出会う前に捨てたのだ。
なにより一緒に居たいと思う人は今目の前にいるし、会いたいと思う人は……と、そう考えて透璃がはたと顔を上げた。
彼等が自分を地底にまで連れて来た理由はただ一つ。だが記憶の限りではその知らせを医師から聞いて以降誰にも言わず、むしろ誰と合うことも無く家に帰って眠ってしまった。それから目を覚まして今に至るのだから、いったいどうして彼等がそれを知っているのかと疑問も湧く。……のだが、きっと聞いたところでヤンデレだからという返事が返ってくるのだろう。
多分ヤンデレというのはそういうものなのだ。――そう透璃は納得したが、後日試しにと尋ねたところ案の定レムからは「ヤンデレだから」という返事があった。ちなみにディーからは「君の体内の変化が始まったから」というものだった――
だがそれで生活面の納得は出来たが、それでもあともう一つ確認せねばならないと透璃が顔を上げた。
「レムさん、あと一つ何より大事なことを確認しなくちゃいけません」
「何だ?」
「地底に助産婦さんは居ますか?」
そう透璃が尋ねれば、レムが胸を張って「当然!」と答えた。
「星間中から集めてきたからな! どの星の何人だろうと揃ってる、まさに助産婦選り取り見取りだ! 」
「地球の日本人だけで良いんですが」
「地球の日本人は三十六人連れてきた!」
「多いんで大半帰っていただいて大丈夫ですよ」
透璃が淡々と答えれば、レムが「だって」と抱き付いてきた。
ムニムニと頬を摺り寄せて、次いでゆっくりと体をずらして腹部に抱き付いてくる。ヤンデレは抱擁が好きだと言うのは彼にうっかり籍を入れられたあの日に知った。
「俺はヤンデレだから!」
「ヤンデレっていうのは地球の日本人の助産婦さんを三十六人も連れてきちゃうものなんですか?」
ヤンデレにしても多すぎないですかね、と透璃が問えば、
「ヤンデレっていうのは妻子の為に何でもするんもんなんだ!」
とレムが誇らしげに答えた。
どうやらヤンデレというのはそういうものらしい。それは素敵ですね、と透璃が微笑みながら自らの腹部を撫でた。




