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第二十二話

 振り向けば、そこにはいつもの如くぼんやりと気の抜けた締まりのないレオンの顔がある。


 けれど。


 その鈍く輝く両の目は確かにアルマを見つめていた。


「俺は考えるなんてことはしない。したいことがあればする。欲しいものがあれば言う。余計なことをあれこれ考えるから、自分が何をしたくて何が欲しいのか分からなくなるんだ」


 ………………ふっ。


「っ、ははっ…違いない」


 たまらずアルマは吹き出した。あまりにこの男らしい言葉で。零れた笑いが胸のつかえを押し流す。


「まったく…お前の言う通りだ、レオン」


 いつだって自由すぎる男に呆れながらアルマはそっと目を伏せた。思えば自分は心を置き去りに、問いばかりを追いかけていた。


 自分の心が今も叫んでいるのなら。聞いてみたい。その声を。


 深く息を吸い込み静けさに身を委ねる。今は。今この時だけは王でも妻でもなく、ただ一人の人間として。



 絶え間なく渦巻いていた思考が波のように引いていく。



 穏やかな静寂に花の香りがふわりと漂う。




 花


 あの男がくれた


 あたたかな温もりと共に




 ああ──────



   ────────好きだ。




 あの男の果てしない優しさが。


 あの男のほころぶような微笑みが。


 存外に寂しがり屋な性格も。


 聡明で、誠実で、時に臆病な一面も。


 シグナスという男の何もかもが愛しくて。


 その全てを求めてしまう。


 守りたいと願ってしまう。


 分かっている。


 己こそ、その身を蝕む影なのだと。


 分かっている。


 それでも自分は──光となりたい。


 闇を切り裂き夜を照らす曙光となりたい。


 ああきっと、自分は今も甘えているのだ。


 あの男なら償う機会を与えてくれると。



 逸る心そのままに気づけばアルマは駆け出していた。


 鬱陶しいドレスの裾を持ち上げてただひたすらに突き進む。


 初めて知ったこの愛を、今この瞬間手放せるほど大人ではいられない。


 夢見てしまう。踏み出せばまだ間に合うと。




********************



「追いかけなくていいのか」

「構いません。行き先は同じでしょうし、会談まで今しばらく時間があります。謝るくらいは出来るかと。それに…」

「それに?」


「あの方が後悔するところは見たくない──それだけです」



********************




「シグナス!」


 会談の場として設けられた別殿の一室。邪魔な扉を押し開き部屋の中に踏み入れば、準備に追われる文官たちが一様に振り返る。注がれる数多の視線の中央に求めていた男の姿はあった。


「…陛下?」


 儚く揺れる双眸がまっすぐアルマを映し出す。そんな当たり前の反応にどうしようもなく舞い上がる。


 母とは違い、父とは違い。この男はまだ傍にいる。声の届く距離にいる。


「どうなさいました、そのようにお急ぎで…」


 シグナスは脇目も振らず一目散にこちらへ駆け寄ると、気遣わしげにこちらを見やる。


 思いの全てを語るには時間はあまりに短くて。こみ上げる感情を押しとどめ、アルマはただ祈った。願わくば例えほんの僅かでも、己の心が伝わるように。


「この間はすまなかった。…そなたに、辛い思いをさせた」


 シグナスはその目を丸く見開き暫し困惑したようにアルマを見つめていたが、やがて静かに首を横に振り。


「いえ、そんな…私の方こそつい感情的になってしまい、申し訳ありませんでした」


 次いでふと微かな溜め息を漏らした。


「…いけませんね。私の方が六つも年上だというのに、このところ陛下にご心配をかけてばかりいるように思います」


 そう苦く笑う男の顔がひどく痛ましく見えて。


 強くなりたい。この男の不安も懸念も心配も、その全てを受け止められるほどに。

 

「そんな事はない。そなたはもっと人に甘えるべきだ。我は、その…頼りない人間と思うだろうが、それでもそなたを支えたいと、そう思うておる」


 分かっている。今更何を言ったってすぐには信じてもらえぬと。ならば態度で示し言葉を尽くすほかに道はなく。


「そなたともっと話がしたいのだ。ただの言い訳にしかならぬが、聞いてくれるか」


 思い切ってそう告げれば、シグナスは息を呑みせわしなく目を瞬く。期待と戸惑い、相反する二つの感情がせめぎ合うようにその瞳は水面の如く揺れていた。


「それは…はい、もちろん…」

「今は時間がない。また夜に、寝室で…そなたを待っておる。そなたが来るまで、ずっと」


 暫しの沈黙と躊躇いを経て。


「…はい」


 男は確かに頷いた。それがたまらず嬉しかった。


 だが──夜を迎えるその前に、今は成すべき事がある。


 王として。シグナスを愛し守る者として。


 立ち向かうべき者がいる。

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