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第二十一話

「時折思うのです。陛下とシグナス殿はよく似ていらっしゃると」

「…何だ、いきなり」


 コルバスを迎えるべく別殿へと向かう途上、突如場違いな妄言を繰り出すルシャードにアルマは思わず眉を寄せぶっきらぼうに切り返す。


「大変珍しいことに陛下がどうにも緊張なさっているようですから、何か気の紛れる話題でもと思いまして」

「余計な真似を…別に緊張している訳ではない」


 ただ囚われたまま動けぬだけだ。三日前の、あの夜に。


 …人はなぜ過ぎし日を悔やむのか。人はなぜ去りしものに手を伸ばすのか。


 幼い頃、母の温もりは永遠に消えぬものだと思っていた。父の背は決して折れぬものだと信じていた。永遠も絶対も、所詮子供が思い描く幻想に過ぎぬというのに。一度失えば二度と還らぬものがあると分かっていた筈なのに。


 心のどこかであの眩い微笑みが消え去ることはないと、そう思い込んでいた。あの陽だまりのような眼差しはいつだって己に注がれるものと信じ切っていた。甘えていた。シグナスの優しさに。


 男が抱く影に気付きながら──目を背けていた。


「……! …ぃか、陛下! 聞こえておりますか、陛下?」

「ん…ああ」


 途端意識が思考の海より舞い戻る。


 振り向けば呆れたようにこちらを見つめるルシャードと、その横でどこ吹く風とばかりに外を見やるレオンの姿があった。


 思えばシグナスと初めて顔を合わせたあの日も、二人を引き連れこの歩廊を渡りそして──目を奪われた。


 今でもはっきりと覚えている。あの男が浮かべたひたすらに優しくあたたかな微笑みを。胸を衝き上げるどうしようもない焦燥を。


 あれからまだひと月と経っていないのに、今はその全てが恋しくてたまらなかった。


 …。


 ……。


 湧き上がる未練を吐息に込めてはき出すとアルマは再び前を見据えた。先程よりやや足早に歩を進める。あの夜を、男の声を振り払いたくて。


「それで、なんだったか…我とシグナスが似ていると?」


 場を和ませるにしろもう少しまともな冗談が言えぬものかとついつい文句が口をつき。

  

「その眼鏡は飾りか? ちゃんと度が入っているのか? 一度作り直すといい。お前もそう思うだろう、レオン」

「そうか? 頭の中でぐちゃぐちゃ余計なことばかり考えてるくせに、それを口には出そうとしない面倒な所はよく似てると思うが」

「……」


 …なぜ自分はこの男に同調を求めてしまったのか。こちらの思い通りに動く男ではないと端から分かっていただろうに。シグナスに気を取られ判断力が鈍っているに違いない。コルバスとの会談を間近に控えているのだ、気を引き締めねば。


「ほう、あなたのように粗野でガサツで無神経な人間がこうもまともな意見を口にするとは、これまた随分珍しい。まさかあなたに賛同する日が来るとは思いもよりませんでした」

「なに他人事みたいに言ってるんだ? お前だって同じようなもんだろう。なんだって頭のいい奴は皆して、自分のやる事にいちいち理屈をつけたがるんだ?」

「「……」」


 まったく、よりにもよってレオンにすり寄るとは。この男も大概緊張しているのではなかろうか。


 そう揶揄おうとして──やめた。分かっている。ルシャードが何を言わんとしているか。それくらい、ちゃんと分かっている。昔から何だかんだ過保護な男であるからして。


「ふん。心配なら素直にそう言えばよいものを」

「…オホン。それで、一体どうなさったのです。シグナス殿と喧嘩でもなさいましたか」

「……」


 図星をつかれ暫し押し黙っていると、背後からあからさまな溜め息が聞こえ。頭の中でその無駄に長い足を思いっきり蹴っ飛ばしながら、アルマはむすりと口を開く。


「…なぜそこであ奴の名前が出てくるのだ。我はともかく、シグナスは相も変わらずにこにことしておるように見えるが」


 言葉にしながら、いつも通りにいつも通りを装う男の姿が目に浮かび。気づけば視線は地面を捉え己の影を追っていた。


 自分はあんな心を伴わぬ空虚な笑みが欲しかった訳ではないのだ。自分は、ただ──ただ何を求めていたのか。それさえも定かではないのに。


 あの男の全てを知りたい、そう願ってしまった。今更その身勝手さを悔いたとて時を逆巻く術はなく、ただ悔恨だけが胸を焼く。


「確かに陛下の仰る通り、シグナス殿は心に憂いを抱えていようと決してそれを表に出すことはなさいません。恐らくは長きにわたり厳しく己を律してこられたのでしょう。いやはや、陛下にも見習っていただきたいものです。ただ…」

「ただ?」

「あの方が本当にい(・)つ(・)も(・)通(・)り(・)のシグナス殿であれば、こうも様子のおかしい陛下を放ってはおきませんよ」


 …ぐうの音も出ぬ正論にアルマは舌を巻くほかなかった。


「それで陛下はどうなさるおつもりです。このままでよろしいと?」

「…分からん。あれからずっと考えているが、本当に…分からぬのだ」


 非礼を詫び何も心配することはない、安心するがいい。そんな慰めを口にすればあの男は満たされるのか? 安らぎを取り戻すのか? そんな単純な話であればどれ程よかったことか。己が何を言ったところでその場しのぎの気休めにしかなるまい。


 そもそもまずもって自分は何をしたいのか。何を求め何を望んでいるのか。


 あの男をどうしたいのか。どう扱いどう接するべきなのか。


 いくら思考を巡らせど心は定まるどころか輪郭さえおぼつかず、容易く指の間をすり抜ける。


 自分は何をこんなにも悩んでいるのか?


 なぜこんなにも胸が騒ぐ?


 なぜ、なぜ──。




「考えるからいけないんだろう」




 なんてことないその声が、頭蓋をまっすぐ貫いて耳の奥で轟いた。

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