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第十九話

 一方その頃執務室では。アルマとシグナスが未だ相手の出方を窺うように落ち着きなく視線を彷徨わせていた。


 気まずい、というにはあまりに温すぎる沈黙の中。アルマは意を決し先程から胸につかえていた疑問を口にする。


「…ところで、ずっと気になっておったのだが」

「はっ、はい、何でしょう」

「そなたはいつの間にレオンと親しくなったのだ」

「…へっ?」


 弾かれたように顔を上げたシグナスはそのままぴしりと固まった。まさか今この状況でそんな質問をされるとは思いも寄らなかった、と言わんばかりに。


「え、ええと、そうですね、確かあれは…二日前のことでしたか。庭を散策していたところ、偶然レオンとお会いしまして。装飾品やレオンがご覧になっていた本について語らううち──」

「待て、本? あ奴が本を読んでいたのか?」

「え、ええ」

「どんな本だ。兵法書か、それとも児童書の類いか?」

「その、ええと…大変難解な内容でして…あえて表現するのであれば、恋愛小説、と申しましょうか」

「恋愛小説!? あ奴が!!?? あのレオンが!!!???」


 思わず本の題名を尋ねかけるもアルマはかろうじて踏みとどまった。人から貰った恋文を果たし状と解釈する男が余暇に難解な恋愛小説を読んでいるなど俄かに信じがたい話であるが、今そんな事はどうでもいいのだ。あまりの衝撃に危うく会話の主題を忘れるところであった。   


「オホン! んんっ! …その、なんだ。間もない付き合いの割にあ奴を呼び捨てにしたりと随分親し気に見えたがな」

「ふふっ…陛下もルシャード殿もそう呼ぶのだから形式ばる必要はないとレオンが仰ってくださいまして」

「…ふん、あ奴の言いそうなことだ」


 庭園でのやり取りを明かすシグナスはいつになく楽し気に見えて。それがどうにも気に食わず、アルマは目を背けたい衝動に駆られ。けれど。


 次の瞬間、何かを察したかのように男はふと顔を曇らせる。


「…陛下は、もしや」


 私とレオンの仲を快く思われていないのでしょうか。


 シグナスがあまりにか細い声でそう尋ねるものだから、アルマはたまらず身を乗り出した。


「いや待て、そうとは…」

「よくよく考えてみますと、私のような新参者が近衛騎士団長を務める国の要人と親しくしてはいらぬ誤解を招くというもの。申し訳ありません、以後慎みますので…」

「違う! そうではない!」

「しかし…」

「そなたがこの国で友を得られたこと、我は心から喜ばしいと思うておる! ただ、その…」

「その…?」


 アルマは自分の体面を優先すべきか、シグナスの不安を払拭すべきか、しばし迷い思い悩んだ末に。


「その…そなたは我よりも、レオンと話す時の方がよほど楽しそうだ、と…そう、思っただけだ」


 王の威厳も面目も、保身も体裁もかなぐり捨て恥を晒すことを選んだ。


「それは…」

「ふ、ふん、別に気にしておる訳ではない。我のように無愛想で融通の利かぬひねくれた人間の傍に居てはそなたもさぞ息苦しいであろう。それくらい、分かっておる」


 アルマは矢継ぎ早にそう捲し立てたが、結局のところ。いくら平静を装ったとて、それはお気に入りのおもちゃを取られた子供の癇癪に他ならなかった。


「…確かに、陛下との会話は『楽しい』ものではないかもしれません」


 …散々強がっておいてなんだが。人間誰しも面と向かってお前はつまらん奴だと言われては、多少なりとも傷つくもので。それとも何か? この男はガルド王を身も心も鋼で出来た彫像だとでも思っているのだろうか。


 アルマはふと、二人が初めて顔を合わせた日のことを思い出す。そういえばあの時自分は小娘と侮られぬよう鎧姿で出向いたのだった。そんな礼儀知らずに遠慮は不要ということか。ふっ、ふふっ…。


 などとアルマが心中ぼやいていると。


「楽しいというよりも、むしろ──」


 星明かりの如く澄んだ瞳は優しく瞬きながらもこちらを見つめ。




「──嬉しいと感じる事の方が、ずっと多いものですから」




 …。


 ……。


 …………は?


 突如流星の如く放たれた一言にアルマの思考は盛大に吹っ飛んだ。足から力が抜けよろめくように崩れ落ちる。革張りの椅子がアルマの身体を優しく受け止めた。


 言葉も無くただ呆然と男を見上げれば、そこには含みも打算もないひたすらに優しく真摯な微笑みがあった。


「陛下と言葉を交わすたび、さりげなく私を気に掛けてくださるような、そんな気がして。それがとても、嬉しくてたまらないのです」


 …。


 ……。


 …………◎△$♪×¥○&%#!?!?!?


 ようやくその言葉の意味を理解した瞬間、アルマの心臓はたちまち跳ね上がり警鐘が脳内を揺さぶる。羞恥にも似た熱の奔流が絶え間なくこみ上げ、アルマはたまらず天を仰いだ。


 言いたい事は山のようにあるのに思考は形を成す前に喉を滑り落ちてゆく。というかそもそも、この状況で我は何と返せばよいのだ? 無難に「ありがとう」でよいのか? いや待て、それではシグナスの言い分を認めたも同然ではないか!


 とにもかくにもまずはこの男の誤解を正さねば! ガルド王がなにかと夫を甘やかす痴れ者などと勘違いされては沽券に関わる!


「こ、この我が、そなたをっ、気に掛けているなどと…そ、それは、そなたの勝手な思い込みであろう! 我は単に、その、妻として、だな…」


 よ、よし、これでこ奴も思い知ったろう! 確信と共にちらりと男の様子を窺えばシグナスはただ静かに、穏やかな目で優しくアルマを見つめ。


「…仰る通りです。陛下が私のような男を気に入ってくださればと、そんな事ばかり考えているせいで、陛下の何気ない一言にさえ舞い上がってしまうのでしょうね」


 !?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?


 屈託なく告げられる突拍子もない告白に、アルマはとうとう頭を抱えた。この男には羞恥心というものが無いのか!? どうりでレオンと気が合う筈だ! い、いや、待て、落ち着け。考えてもみろ。シグナスは元より、温厚で人当たりのいい男であるからして。誰にだって、それこそレオンにだって同じことを言っているに違いな──。




「──陛下」


 そっと己を呼ぶ声がぷつりと思考の糸を断つ。


「分かっております。陛下が私を気に掛けてくださるのはただ王として、妻としての責務ゆえだと。…それでも時折、期待してしまう。陛下が私の名を呼んでくださるたび、手を握ってくださるたび、どうしようもなく嬉しくて、幸せで…あなたを求めてしまうのです」


 夢のように儚い瞳は水面のように揺らめきながら、真っすぐこちらを見据え。


「陛下。私はただ一人の人間として陛下を──いえ、ア(・)ル(・)マ(・)。あなたを──」


 決定的に何かが変わろうとした、その瞬間。




 ──コンコンコン!




『陛下、ルシャードです。至急ご報告したいことがあり参りました』


 ぱちりと夢が覚めるように、意識は現実へと引き戻された。


 弛緩した空気にアルマはそっと胸を撫で下ろす。助かった。…助かった? 一体何を恐れることがある? 自分よりずっと弱く、健気で、誠実な男に、何故怯える必要がある?


「…入れ」


 目の前の男、湧き上がる疑問、胸を掠める落胆。その全てを投げ出しアルマは国王として臣下の来訪に応じた。夢に身を浸せば最後、超えてはならぬ一線を越えてしまいそうな、そんな気がして。


「失礼します」


 部屋の扉が開くや否や足早に進み出たルシャードは室内に漂う妙な雰囲気を感じ取ったのか「今度は何をしでかしたのです」と言わんばかりの視線を寄こす。くそっ、何でもかんでも我のせいにしおってからに。


 そういえばこの男、先程は用件も告げぬまま部屋を出て行ったのだったか。すぐさま戻ってきた辺り余程の大事らしい。


「至急と言ったな。一体何ごとだ、ルシャード」

「実は先程、ルナリアより使いの者が参りまして」


 思いも寄らぬ報せにアルマは耳を疑った。特段差し迫った懸案はない筈だが。


「ルナリアだと? 用件は?」


 大変珍しい事にルシャードは一瞬口籠もるとちらりとシグナスを見やった。だがその仕草を訝しむ間もなくルシャードは再びアルマへ視線を戻し事務的な口調で先を続ける。


「コルバス陛下が近日ハイマート(ガルドの隣国)へ表敬に訪れるそうで。その道中ガルドへ立ち寄りシグナス殿の近況を伺いたい、と」




 ──カタン。




 瞬間、シグナスの手から銀盆が滑り落ち。床へと墜落した円盤は軽やかな悲鳴と共に力なくひれ伏した。




=====================================




 久方ぶりにその名を聞いてシグナスは思い出す。


 不変に思えた愛も優しさも、容易く失われることを。


 それはあたかも警告のようで。


 驕るな。求めるな。欲しがるな。焦がれるな。甘えるな。思い上がるな。


 ささやかな安寧を願うならば、その他一切の望みを捨てよと。


 ただ息を潜め心を殺し、人知れず老いてゆくのがお前に相応しい生き方なのだと。


 そう兄が、告げているようで。

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