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婚約破棄を「労災認定」しました 〜「冷たすぎる」と追放された監査令嬢、左遷先でブラックギルドに是正勧告を叩きつけます〜  作者: 小鳥遊ミント


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第8話:その名を、ヴァンは知っていた

 翌朝、ヴァンは監査院にいなかった。

 定位置の椅子には、手入れ途中の砥石だけが残されていた。彼が朝の時点で不在だったのは、着任以来、初めてのことである。私はそれを記録し、職務を続けた。


 アガレスの坑道事件の、公式記録の収集。

 連盟の公示資料、王都新聞の縮刷、教会の死亡者名簿。ミリィと手分けして、半日で集められる限りを集めた。


「監査官さま、これ、当時の新聞です。……一面ですね」


『アガレス坑道に悲劇 冒険者二十七名死亡 索敵の過失か』

『連盟調査委「現場判断の誤り」と結論』

『英雄的犠牲を悼み、合同慰霊祭』


「調査委員会の報告書の要旨も公示されています。読み上げます。『当該パーティ群は事前に提供された危険度情報を軽視し、適切な索敵手順を省略して坑道深部へ進行した。本件は現場の判断過誤による事故であり、依頼の設計および査定に瑕疵は認められない』——以上です」

「……四日、ですよ」

「何がですか」

「事故から報告書まで、四日です。日付を見てください。二十七人も亡くなった事故の調査が、四日で終わってます。赤鷲の臨検のとき、監査官さまは台帳一冊に丸一日かけたのに」


 ミリィ・ロッタは、つくづく帳簿向きの目を持っている。

 二十七名の死の検証が四日。結論が「現場の過失」。これほど整った記録は、かえって珍しい。整いすぎた帳簿は、月末にまとめて書かれた帳簿と同じ匂いがする。


 夕刻、ヴァンが戻った。

 外套に土埃をつけ、手に古い革袋を提げて。彼は無言でそれを机に置き、中身を出した。


 一枚の依頼書の控え。五年分の歳月で黄ばんでいたが、文字は読めた。


『三大ギルド合同緊急依頼・アガレス坑道魔獣討伐』

『危険度:中』

『主募集:黒槌ギルド/斡旋統括:ヘリオン商会』


「……パーティの荷物置き場にしてた隠し場所だ。回収してきた。これが、原本の控え。連盟の公示資料と見比べてくれ」


 私は二枚を並べた。公示資料の依頼書写しには、こうある。

 『危険度:高(再評価済)』。


「再評価済、の注記。公示側にだけ存在しますね。つまり連盟の記録では『事前に危険度高と告知していたのに、現場が軽視した』ことになっている。ですがヴァンさんの控えには再評価の形跡がない。発行時刻も同一。——どちらかが、後から書き換えられた」


「どっちだと思う」

「インクの分析と発行台帳の照合が必要です。ですが状況上、書き換えの動機を持つのは告知義務を負っていた側、すなわち斡旋統括——ヘリオンです」


 ヴァンは椅子に座り、両手を組んだ。しばらく床を見ていた。それから、顔を上げずに話し始めた。


「『白狼』ってパーティにいた。六人だ。俺と、リーダーのグスタフと、双子の斥候と、治癒師と、新入りの魔導師。あの依頼、最初から変だった。報酬が相場の倍。集合が夜明け前。装備の検品なし。グスタフは断ろうとした。そしたら斡旋所の男が言ったんだ。『受けなければ、白狼への斡旋は今後一切ない』とな」


「依頼の強要。それ自体がギルド法違反です」

「ああ。だから俺は、坑道の入り口で言ったんだ。『これはおかしい、戻って連盟に訴えよう』って。グスタフは——リーダーは、迷って、それでも皆の生活を考えて、進むと決めた。俺は、置いていかれた。入り口で揉めてる間に、先行した本隊が、深部に着いちまって」


 ヴァンの声は、平坦だった。平坦であろうと努力する声だった。


「崩落音がして、悲鳴がして、それからは——四人しか、引きずり出せなかった。俺の手が届いたのは、四人だけだ」


 生還者四名。その一人は、生還者ではなく、救助者だった。


「事故のあと、俺は連盟に全部話した。強要のことも、危険度のことも。書面でも出した。受け付けた職員は『調査する』と言った。ひと月後に届いたのは、調査結果じゃなくて、除名通知だ。事由は『虚偽の風説の流布によるギルド業務妨害』。カードに焼印を押されて、終わりだ」


「その告発の書面の写しは、お持ちですか」

「写し? ……いや、原本を渡しちまった。控えなんて頭になかった。あの頃は」

「では、原本がどこかに存在するはずです。受理された文書は、棄却されても廃棄できません。王国公文書規程第十一条。棄却文書の保存期間は十年です」


 ヴァンが、ゆっくりと顔を上げた。


「……探せるのか」

「探します。あなたの告発がどこで止まり、誰が棄却したのか。棄却印には、必ず棄却した機関の判が押されています。記録は、握り潰された場所まで覚えているものです」


 窓の外で、日が落ちた。

 私は燭台に火を入れ、書庫の扉を開けた。三十年分、八百件。この中のどこかに、五年前、ここへ回送されたまま眠っている紙があるかもしれない。


「ミリィさん、五年前の回送文書の棚はどこですか」

「西の三番棚です! わたし、お茶を濃いめに淹れますね!」


 長い夜になる。望むところだ。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


「危険度:中」と「危険度:高(再評価済)」。

書き換えられたのは、どちらの紙か。次話、書庫の夜です。


ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)は、西の三番棚に丁重に保管いたします。


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