第6話:開かずの金庫と「勅許状」
監査院の地下は、書庫よりさらに深かった。
螺旋階段を二十六段。グレゴール院長の掲げる燭台の光が、漆喰の壁に揺れる。突き当たりに、扉があった。鉄の扉だ。蝶番にも錠前にも、錆ひとつない。
「三十年、誰もここを開けておらん。じゃが、わしは月に一度、油を差しに来ておった。……それだけが、わしの院長としての職務での」
黒ずんだ鍵が回り、扉が開く。
中は小さな石室だった。中央の台座に、ガラスの覆いを被せられた一通の書状が安置されている。
羊皮紙。四隅に金の箔押し。そして封蝋には、教科書でしか見たことのない印章が押されていた。
建国王オーレリウス一世の、獅子の印。
「……まさか」
「ほっほ。気づいたかの」
「ギルド監査院は、建国王の直轄機関じゃった。三百年前、ギルドという仕組みが生まれたとき、王はこう考えた。『職能の組合は国を富ませるが、必ず肥え太り、いつか働く者を喰い始める』とな。じゃから、それを監視する院を作り、王権に等しい力を与えた。臨検の権、帳簿押収の権、そして——営業停止の権」
「ですが現在の監査院に、そのような権限は」
「奪われたんじゃよ。少しずつ、三百年かけてな。ギルドが太り、貴族と縁を結び、王宮に根を張るたび、監査院の予算は削られ、権限は『移管』され、人は減らされた。最後に残ったのが、この紙切れ一枚と、わしじゃ」
老人はガラスの覆いを外した。封蝋の下に、細い文字で何かが記されている。私は燭台を近づけ、読み上げた。
「『この勅許は、院の存続が王命によらずして脅かされ、なお民の訴え百を数うる時、開かれるべし。それまでは何人も封を解くことを禁ず』……」
「開封条件付きの勅許状。建国王は、いつかこの院が骨抜きにされることまで読んでおったのじゃろうな。条件が満たされた時、この封を解いた監査官には、建国王の名において当時の全権が戻る——そういう仕掛けじゃ」
王権に等しい臨検権。営業停止命令権。
それがあれば、ヘリオンの斡旋網も、王都中のブラックギルドも——。
「……院長。確認ですが、『民の訴え百を数うる時』の『訴え』とは」
「監査院に正式受理された告発、ということになろうの」
「書庫に、三十年分・約八百件の告発があります。私が目録化を進めています。これを正式受理すれば、条件の半分は今夜にも」
「ほっほ。じゃろうな。じゃが、お前さんは開けんよ」
老人は、笑ったまま、私の目を見た。
「もう半分が満ちておらん。『院の存続が王命によらずして脅かされる時』。——今はまだ、ヘリオンの嫌がらせ程度。院は脅かされておらん。条件を満たさずに封を解けば、それはただの古文書の毀損での。勅許の効力そのものが消える」
「同意します。要件を欠いた権利行使は、権利の放棄と同義です」
「即答かの。……三人目までの監査官には、わしはこの部屋を見せんかった。見せれば、必ず開けたがるからじゃ。力というものは、欲しがる者の手の中でいちばん腐る」
私は台座の勅許状を、もう一度見た。
三百年前の王が、三百年後の誰かのために残した、開封条件付きの記録。
「院長。一つ、訂正を求めます」
「ん?」
「これは『紙切れ』ではありません。私が知る限り、この国で最も正しく書かれた、未回収の債権です」
老人は、今度こそ声を上げて笑った。
「ほっほっほ! 債権か! 三百年ものの!……気に入った。鍵はわしが持っておく。じゃがアデルよ、覚えておきなさい。封を解く日は、お前さんが思うより、ずっと早く来るかもしれんよ。ヘリオンの後ろには、王宮がおる。連中が本気で院を潰しに来た時——条件は、向こうから満ちる」
地上に戻ると、ミリィが書庫から飛び出してきた。
「監査官さま! 目録、二百件まで進みました! それで、あの、気になるものが……これ、見てください。五年前の告発文書なんですけど、死亡事故の報告で、その、数字が変なんです」
差し出された綴りの表紙には、こう書かれていた。
『黒槌ギルド・受託討伐における死亡事案について(第七次)』
第七次。つまり、同種の報告が少なくとも六件、先行している。
死亡事案が、七回。同じギルドで。
「……ミリィさん。黒槌ギルドの所属を調べてください」
「はい、ええと……ヘリオン傘下、です」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
地下に眠っていたのは、三百年もの「開封条件付きの債権」でした。
開封の日をお楽しみに。その前に——死亡事案・第七次、です。
ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)は、勅許状の隣に大切に保管します。




