第5話:ヘリオンからの「ご挨拶」
異変は、三日後から始まった。
最初は、薪だった。
毎週監査院に薪を届けていた燃料商が、配達を断ってきたのだ。理由を尋ねると、商人は目を逸らして「在庫が切れた」と言った。彼の荷車には、薪が満載されていた。
次は、ロイドたちだった。
営繕作業を終えてギルドの斡旋所に戻った彼らは、依頼を一件も受けられなくなっていた。掲示板の前で受付に名を告げると、「お前たちに回せる依頼はない」と返される。三日間、四つの斡旋所で、同じ言葉。
そして四日目の朝、王都中に、ビラが撒かれた。
『元・公爵家の犬、アデル・クロイツェルの素行について』
『婚約破棄された腹いせに、善良なギルドへ言いがかりの「監査」』
『赤鷲ギルドから押収した金貨の行方は?』
「ひっどい……! 監査官さま、これ、嘘ばっかりです! 金貨はぜんぶ未払いの人に渡したのに! わたし、見てました!」
ミリィが涙目でビラを握り潰す。私はその手から一枚を救出し、皺を伸ばした。
「ミリィさん、証拠物件は握り潰さないでください。——それに、これは興味深い紙です」
「……紙、ですか?」
「ええ。漉きが均一で、繊維に麻が混ざっている。市中の安価な藁半紙ではありません。この規格の紙を、私は前職で毎日触っていました」
王宮購買部の調達規格、第二種事務用紙。
民間に出回らないわけではないが、卸先は限られる。ビラを刷った何者かは、王宮の調達経路に近いところにいる。
断定はまだできない。だから手帳には、事実だけを記録した。【中傷ビラ・紙質は王宮第二種相当・継続観察】。
午後には、大家を名乗る男が現れた。
「ええー、この建物なんですがね、老朽化が激しいんで、取り壊すことになりましてね。ひと月で出てってもらえますかね」
「興味深いお話です。この建物の登記簿によれば、所有者は王国財務省であり、あなたではありません。あなたのお名前と、本日の発言は記録しました。不動産の権利を偽る行為は詐欺未遂に該当しますが、続けますか?」
男は走って帰った。逃げ足の所要時間、通りの角まで十一秒。中年男性としては記録的な俊足である。
「……手際がいいな、向こうさん」
ヴァンが、窓の外を見ながら言った。通りの向かいに、昨日から同じ男が立っている。監視だ。
「燃料、仕事、評判、建物。生活の根を順番に切ってくる。これがヘリオンのやり方だ。剣は最後まで抜かない。抜かせるんだ、こっちに」
「合理的な手法です。暴力は記録に残りますが、『在庫切れ』は記録に残りませんから」
「怖くないのか」
「怖い、の定義によります。薪の調達先は三件目を確保済み、ロイドさんたちは当面、監査院の営繕で雇用継続、ビラの紙質は重要な手掛かり、建物の登記は確認済み。現時点で、実害は軽微です」
ヴァンは、ふ、と短く笑った。この男が笑うのを、初めて見た。
「四人目は、しぶといな」
「ええ。記録的に、しぶといです」
その夜遅く、監査院に来客があった。
絹の夜会服に外套を羽織った老人——白髪を綺麗に撫でつけ、杖をつき、にこにこと笑っている。
「ほっほ。夜分にすまんのう。わしはグレゴール・ヴァイスマン。一応これでも、この監査院の院長ということになっておるんじゃよ」
「……院長?」
職員名簿の最上段、三十年間「在職」のまま一度も登院記録のない名前。実在したのか。
「辞令から十二日での訪問。出勤としては記録的な遅刻ですが、ご用件は」
「ほっほ、手厳しい。いやなに、王都で噂を聞いてのう。赤鷲の件、ヘリオンのビラの件。……お前さん、本物の監査をやる気じゃな?」
「職務ですので」
老人は笑みを消さないまま、杖の頭を、こつ、と床に打った。
「なら、見せておくものがある。地下の金庫室じゃ。——歴代の院長だけが鍵を引き継いできた、この監査院の『一番古い記録』をな」
老人の手のひらには、黒ずんだ鉄の鍵が載っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
兵糧攻めには在庫管理で、中傷には紙質鑑定で対抗する監査院です。
そして登場した、出勤しない院長。地下には何が眠っているのか。
ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)、いつも確かに記録しております。




