第39話:川を下る
レーヴェ川を下る荷船には、鉱石の匂いが染みついていた。半日の船旅の後、川港の町――船着き場一帯だけがやけに賑わう、細長い町に着いた。石畳の道には、荷馬車の轍が幾重にも刻まれ、行き交う人々の声には、山の町とは違う、忙しない響きがあった。
「輸送組合、ですか」
組合長の詰所は、川港でひときわ大きな建物だった。出迎えたのは、恰幅こそ普通だが、隙のない身のこなしの男だった。
「ようこそいらっしゃいました、監査官殿。輸送組合長、ガロド・ヴィンセルと申します。噂はかねがね。黒槌ギルドの支配人殿を、ずいぶん厳しく躾けられたとか」
「事実に基づき、是正しただけです」
「ええ、ええ。結構なことです。当組合は、その点、いっそご安心いただけるかと。帳簿は美しゅうございますよ」
差し出された台帳は、確かに整っていた。項目の並び、字の癖、押印の位置――どれも乱れがない。ユリウスの「うちの帳簿は美しい」を思い出すほど、練られた帳簿だった。
「拝見します」
私は台帳をめくった。等級表、運賃表、手数料表。数字は綺麗に並んでいる。だが、綺麗すぎる数字には、綺麗すぎるだけの理由がある。私はそう疑ってかかる性分だった。
「ヴィンセル様。この鉱石の等級表について伺います。黒槌ギルドの現場記録では、坑道から出た鉱石の等級は『上』が三割とありますが、こちらの受入台帳では『中』が七割となっています」
「ほう、よくお気づきで。等級の判定は、輸送前の現場と、荷揚げ後の当組合とで、多少の誤差が出るものです。湿気や振動で品質が変わることも」
「鉱石が、船に乗せただけで等級が下がるとは、寡聞にして存じません」
「これは手厳しい」
ヴィンセルは笑ったが、目は笑っていなかった。私は、その笑みを手帳に『慇懃・隙なし・要注意』と記した。
「等級を下げて申告すれば、坑道側への支払いは減ります。一方、荷主――王都側の受注元には、実際の等級で運賃を請求しているのではありませんか。差額は、どこへ」
「差額など、ございません。当組合の利益は、正規の手数料のみです」
「では、正規の手数料の帳簿を、もう少し詳しく拝見してもよろしいですか」
「もちろんです。監査官殿のお仕事に、協力を惜しむつもりはございません」
言葉は柔らかい。だが、差し出された帳簿の項目は、こちらの求めた範囲より一段浅いところで、綺麗に整えられていた。核心には、まだ届いていない。手強い相手ほど、最初に差し出す資料の「切り取り方」が上手い。ヴィンセルは、その典型だった。
詰所を出ると、ヴァンが川を眺めながら言った。
「……ケインより、手強そうだな」
「ええ。ケインは指示に従うだけの小物でした。ヴィンセル氏は、自分の頭で帳簿を作れる人間です。時間がかかります」
「時間なら、腐るほどある。あんた、そう言うだろ」
「はい。ですが今回は、こちらにも援軍が来ます」
「援軍?」
「ええ。数字を読む速さでは、私よりずっと優れた人がいます」
ヴァンは、少し考えてから、思い当たったように片眉を上げた。
「……ミリィのことか」
「はい。彼女が来てくれれば、この帳簿の切り取り方も、もっと早く見抜けます」
私は懐中時計の蓋を開けた。九時五十分。川面を渡る風は、山の冷たさとは違う、湿った匂いを運んでいた。王都からの便りが、もうすぐ届くはずだった。
第5章「積出港編」、開幕です。今度の相手は、慇懃で隙のない輸送組合長ガロド・ヴィンセル。ケインとは違うタイプの敵に、少し手こずりそうです。
そして次話、王都から嬉しい便りが届きます。
ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)は、川を下る荷船の積み荷として、大切に運ばせていただきます。




