第38話:黒槌の帳簿、開く
翌朝、私は黒槌ギルドの経理帳簿一式の押収を、モリス・ケインに通告した。
「勅許状第一条、記録押収権の行使です。抵抗される場合、それ自体を新たな違反として記録します」
「……お、お待ちを! これは正式な手続きを踏んでおらず」
「手続きは、今この場で踏みます。現在時刻、九時十分。押収を開始します」
職印を、カン、と押す。ケインの顔から、血の気が引いた。
帳簿は五年分。書記官のミリィがいれば数刻で済んだだろうが、この場では私一人で当たるほかない。埃を払い、頁を繰る音だけが、資料室に響いた。それでも、目当てのものは、半日で見つかった。
支出の項目に、繰り返し現れる不自然な一行。『輸送特別協力費』。金額は、月によって違うが、常に端数のない綺麗な数字だった。綺麗すぎる数字は、それだけで疑うに値する。
「ケイン様。この『輸送特別協力費』とは、何に対する支払いですか」
「……鉱石輸送の、便宜を図ってもらうための」
「便宜、とは具体的に」
「そ、それは——」
答えに詰まったケインの横で、書記官が震える声で口を挟んだ。
「監査官様。それは、川港の輸送組合への……上納です。品質等級を、実際より低く申告してもらう代わりに」
「では逆に、実際の等級より高い運賃を、荷主――王都側の受注元には請求している、ということですね」
書記官は、頷いた。ケインが何か言う前に、私は続けた。
「五年前の記録にも、同じ勘定科目が見つかっています。当時の名目は『輸送特別協力費』ではなく『清算関連諸経費』。金額は、金貨四百五十枚。アガレス坑道事故の清算金――口止め料として計上された金額と、一致します」
ケインは、椅子から崩れるように座り込んだ。
「……私は、知りません。その五年前の話は、私が来る前の」
「存じています。ですが、あなたが引き継いだ帳簿の書式と勘定科目名は、五年前からほとんど変わっていません。つまり――この『輸送特別協力費』という科目自体が、五年前の口止め料の送金経路を、そのまま使い続けている可能性があります」
私は帳簿を閉じた。ケインの目は、既に焦点を失いかけていた。
「モリス・ケイン様。あなたが行った不正――危険手当の恣意的な減額、直近の記録改ざん、そして今回の輸送組合への不透明な支払い。これらは全て、是正勧告の対象です。加えて、あなたが黒槌ギルドの支配人職にあること自体、王宮監査局からの人事的な便宜によるものと推察されます。当院は、あなたの更迭を、ギルド連盟へ勧告します」
「……わ、私は、ただ、言われた通りに」
「言われた通りに動いた結果、坑夫十四名の未払いと、五年前の隠蔽の片棒を担いだ。それが記録です。感情も事情も、記録の前では平等です」
ケインは、何も言い返さなかった。ただ、うつむいたまま、両手で顔を覆っていた。ヴァンは、その姿を、一言も発さずに見ていた。同情でも、嘲りでもない、記録者の目だった。
その日の午後、私は坑口に集まった坑夫たちの前で、更迭と是正の通告を読み上げた。歓声はなかったが、何人かが、静かに頭を下げた。あの日、危険手当を即日支給した坑夫たちの顔も、その中にあった。
「監査官さん。ありがとよ」
「感謝は結構です。これは、あなた方の当然の権利です」
「ヴァンさん。次の行き先が決まりました」
私は、押収した帳簿の写しを掲げる。輸送組合への支払い記録は、川を下った先――レーヴェ川港に、次の答えがあることを示していた。
「五年前の金は、山を下り、川を下って、どこかへ消えている。私たちも、それを追って川を下ります」
「……アデル。一つ言っておく。ケインは、小物だった。だが、次に会う奴は、そうとは限らねえ」
「同感です。だからこそ、今日の勝利を、慢心にはしません」
懐中時計の蓋を、パチンと閉じた。十六時三十分。第一の壁は、崩れた。
黒槌ギルド、決着です。支配人ケインは更迭勧告。そして帳簿から見えてきたのは、五年前の口止め料と同じ経路で今も金が流れ続けているという事実。
行き先は、レーヴェ川港。次話から、輸送組合を追います。第2部第4章「レーヴェ着任編」、これにて一区切りです。
ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)は、川を下る旅費として、大切に使わせていただきます。




