第35話:猟師小屋への道
山道は、馬車を降りてからが本番だった。
ヴァンが先を歩き、私はその後ろで、時折足を滑らせながらついていく。監査官の靴は、山歩き用にできていない。それでも、私は言わなかった。文句を記録に残すのは、意味のある文句だけでいい。木々の間から差す光が、道々、私たちの足元を斑に照らしていた。
「……あんた、山、慣れてないな」
「慣れておりません。ですが、遅れはしません」
「別に、急いでねえよ」
ヴァンの声に、わずかな柔らかさがあった。この五日間、彼は坑道の方角を見るたび、口数が減っていた。だが今、山へ向かうその足取りは、心なしか軽い。
「ヴァンさん。ギデオン氏に会ったら、何を訊きたいですか」
「……訊きたいことなんぞ、山ほどある。だが、一番は」
彼は、少し黙ってから続けた。
「なんで、生きて隠れてる理由を、俺たちに黙ってたのか、だ。生きてるなら、生きてるって、誰かに伝えりゃよかったじゃねえか。俺は――五年間、あの人も死んだと思って、墓に手を合わせてた」
その言葉には、怒りより、寂しさがあった。私はそれを、感情語に変換せず、そのまま覚えておくことにした。木の根を跨ぎ、少し息を切らしながら、私は言葉を継いだ。
「ヴァンさん。人が沈黙を選ぶとき、そこには必ず理由があります。悪意でないなら、恐怖です。恐怖の理由が分かれば、恨む前に、別の見え方をするかもしれません」
「……あんたは、いつもそう考えるのか」
「はい。感情より先に、理由を探します。そうすると、大抵の怒りは、行き場を見つけます」
猟師小屋は、尾根を一つ越えた谷筋にあった。煙突から細く煙が上がっている。戸を叩くと、しばらくして、白髪の猟師が顔を出した。
「監査官さんかい。町で噂は聞いてる」
「はい。突然の訪問、失礼します。人を探しています。ギデオン・ラウルという男性です」
「……さあな。そんな名前は知らねえ」
猟師の目が、一瞬だけヴァンに留まった。私はその一瞬を見逃さなかった。
「率直に申し上げます。あなたは何かご存知です。噓は結構ですが、沈黙も、私にとっては一つの記録になります。『知っているが、話さないことを選んだ』という記録です」
「……脅しかい」
「いいえ。事実の確認です。私は、あなたに話すことを強制する権限を持ちません。ですが、話さなかった場合に何が起きるかは、正直にお伝えします。ギデオン氏を見つけられなければ、五年前の死者二十七名の名誉は、このまま回復されません」
猟師は、長いこと黙っていた。それから、小屋の奥を、顎で示した。
「……冬場、たまに薪を分けてくれって来る男がいる。名乗ったことはねえが、坑道の話をすると、目の色が変わる。今日は来てねえよ。だが、三日に一度は来る」
「その方の住処は」
「知らねえ。追ったこともねえ。あの目をした男を、追っちゃいけねえ気がしてな」
私は手帳に書き留めながら、猟師に頭を下げた。
「ありがとうございます。三日に一度――でしたら、待ちます」
「待つ、って、ここでか」
「はい。時間は、記録できるものの中で、一番正直です。待った時間は、必ず記録に残ります」
「……変わった監査官だな。まあ、軒先くらいは貸してやる」
ヴァンが、小屋の軒先に腰を下ろした。私もその隣に座り、懐中時計の蓋を開ける。十一時三十分。空は高く、山の風が、木々の匂いを運んでくる。
「……三日、か」
「ええ。ですが、無駄にはしません。待つ間、坑道の周辺地図と、五年前の依頼書の写しを、もう一度突き合わせます」
「……あんた、待つ間も仕事するのか」
「待つこと自体も、仕事の一部です。ただ座っているのと、次の一手を整えながら座っているのとでは、三日後の動きが変わります」
ヴァンは、何も言わずに、山の稜線を見ていた。その目に、五年前の記憶がどれほど重なっているか、私には計り知れない。だが、待つことは、彼にとっても、私にとっても、初めて選び取った「何もしない」時間だった。
猟師小屋を突き止めましたが、本人には会えず。「三日に一度」という手がかりだけを手に、待つことにしました。
次話、ついにギデオン・ラウル本人と……といきたいところですが、世の中そう甘くありません。
ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)は、山歩きの間もしっかり記録として積み上がっております。




