第34話:坑夫たちの、今の未払い
五年前の話ばかり追っていては、目の前の坑夫たちの信頼は得られない。私はそう判断し、まず「今」の帳簿を検めることにした。
坑口近くの詰所で、出勤簿と賃金台帳を並べる。案の定、見覚えのある形の不正が出てきた。危険手当の項目が、月によって計算式ごと変わっている。
「この月は、坑内滞在四時間で危険手当二十枚。翌月は、同じ四時間で十二枚。理由を伺います」
「そ、それは……坑内の等級によって」
「等級は、この二ヶ月、変わっていません。台帳にそう記されています」
応対に出た黒槌ギルドの現場係が、口ごもった。私はさらに三ヶ月分の台帳を並べ、支給額の増減を指でなぞる。数字は、正直だ。嘘をつくのは、いつも人の側だった。
「傾向が見えます。是正勧告が近い月は満額、遠い月は減額。これは――監査を意識した『見せ球』の月と、そうでない月がある、ということですね」
「……申し訳ございません。支配人の指示、で」
現場係は、それだけ言うと、頭を下げた。上に逆らえない下働きの顔だった。私はその日のうちに是正勧告書を作成し、直近三ヶ月分の差額――金貨にして七十六枚を、その場で坑夫十四名に即日支給させた。ケインは資料室での一件があってか、抵抗せず署名した。震える手で認め印を押す姿は、この一週間で見た誰よりも、素直だった。
「現在時刻、十六時五分。本件、是正完了とします」
職印を、カン、と押す。この音を、この町で初めて聞かせた。
坑夫たちの表情が変わったのは、その直後だった。それまで遠巻きに見ていた男たちが、少しずつ詰所に近づいてくる。一人が、恐る恐る声をかけてきた。
「……あんたら、本当に、俺たちの味方なのか」
「味方かどうかは分かりません。私は記録の側に立つだけです。ですが、記録が正しければ、結果としてあなた方の味方になります」
その返答に、坑夫の一人――年配の男が、ふ、と笑った。日に焼けた顔に、深い皺が刻まれている。
「面白い理屈だ。……なあ、監査官さんよ。ギデオンの旦那を探してるんだって?」
「ご存知ですか」
「探りは入れてる。だが直接は知らねえ。ただ――冬場、山の猟師小屋に、正体を隠した男が薪を分けてもらいに来る、って話は聞いたことがある。猟師連中は口が堅いが、酒でも持ってきゃ話す奴もいるだろうよ」
私は手帳に地名を書き留めた。今日一日の小さな是正が、五年前の扉を開ける鍵に変わった瞬間だった。ヴァンも、その名を聞いて、わずかに身を乗り出していた。
「情報、ありがとうございます。もう一つ伺います。あなた方は、なぜ今日まで、この不正について声を上げなかったのですか」
「……声上げりゃ、次の月から仕事回してもらえなくなる。俺たちには、家族がいる」
私は、その言葉を、感情語を使わずに手帳へ書いた。『家族の生活を人質に、沈黙を強いる構造。ヘリオン・騎士団と同型』
「分かりました。今後、是正勧告への協力を理由に不利益を与えた場合、それ自体が新たな違反として処理されます。当院が、その記録を必ず取ります」
坑夫たちは、互いに顔を見合わせ、それから、深く頭を下げた。この五年、誰にも守られたことのない者たちの、慣れない仕草だった。
夕暮れの坑口で、ヴァンが小さく息を吐いた。
「……今日は、いい一日だった」
「ええ。ですが、まだ半分です。明日は、猟師小屋を訪ねます」
「……ギデオンの旦那、生きてるといいがな」
「生きています。生きているという前提で、動きます」
懐中時計の蓋を閉じる。パチン、という音が、坑夫たちのざわめきに紛れて消えた。
現在進行形の未払いを即日是正、坑夫十四名に金貨七十六枚。第3話の型を、レーヴェでも一つ。
そして、五年前の現場監督ギデオン・ラウルの手がかり――山の猟師小屋。次話、そこを訪ねます。
ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)は、坑夫の皆さんの信頼と一緒に積み立てております。




