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婚約破棄を「労災認定」しました 〜「冷たすぎる」と追放された監査令嬢、左遷先でブラックギルドに是正勧告を叩きつけます〜  作者: 小鳥遊ミント


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第32話:水路番の証言

 町外れの水路番小屋は、坑道からの排水を川へ流す堰のそばにあった。水音がうるさいほどの場所を選んだのは、盗み聞きされたくない話をするためだろう。私はそう見立てた。


 道中、ヴァンはほとんど口をきかなかった。石を蹴るでもなく、ただ黙々と、水路沿いの獣道を歩いていた。この五年間、彼が「五年前を知る人間」に会うのは、これが初めてだ。私はその緊張を、記録すべき事実として静かに横に置いた。


 戸を開けたのは、片足を引きずる初老の男だった。頬は日に焼け、手の甲には古い切り傷の跡が幾つも残っている。水路番という仕事柄だろう。


「……ドッグ・モランさんですね。ギルド監査院のアデル・クロイツェルです。こちらは」

「……ヴァンだ」


 モランは、ヴァンの顔を長いこと見て、それから、ゆっくりと目を伏せた。


「……生きてたのか。噂じゃ、王都で野垂れ死んだって話だったが」

「悪いな。しぶとくてよ」


 短いやり取りの後、モランは私たちを小屋に上げた。茶も出さず、囲炉裏の縁に座らせただけだったが、それは拒絶ではなく、この男なりの緊張だと分かった。指先が、何度も膝の上で組み直されている。


「監査官さんが、何をお訊きになりたいかは、代官所の噂で知ってる。……五年前の、あれだろう」

「はい。当時、あなたは坑道の作業に関わっていましたか」

「関わってた、というほどでもねえ。俺は下働きの伝令だった。書類を運ぶだけの、下っ端だ。だが——ある日、その伝令の仕事で、見ちまったものがある」


 モランは、火を見つめたまま続けた。炎が、彼の頬の皺を、深く刻んで見せた。


「発破の担当技師が、坑道の深部で新しい鳴動を確認して、報告書を上げた。『第七層は危険度、中から高へ引き上げるべし』ってな。俺はその報告書を、支配人の詰所まで運んだ。中身も読んだ。字が読めるのが、俺の取り柄だったからよ」

「その報告書は、どうなりましたか」

「棚に入れられた。それだけだ。二日後、白狼の連中が、いつも通り『危険度:中』の依頼書で坑道に入った。俺は——止めなかった。止めていいのかも分からなかった。伝令の下っ端が、口を挟んでいい話じゃなかった」


 ヴァンの拳が、膝の上で固く握られるのが見えた。だが、彼は何も言わなかった。私は、その沈黙を尊重して、次の質問に移った。


「事故の後、その報告書はどう扱われましたか」

「事故から半月ほどして、公示が変わった。『危険度:高(再評価済)』とな。まるで、事故の前から高いと知らされていたみたいに、書き換えられてた。俺が運んだ報告書は、実際に上がっていたのに——上がった日付が、事故の二日前じゃなく、事故の当日ってことにされてた」


 私は手帳に書き付ける手を止めた。


「つまり、報告と対応の順序が、逆に記録されていると」

「そういうことだ。監査官さん、これは俺の言葉だけだ。証文はねえ。俺はその日、報告書を運んだだけの下っ端で、控えなんぞ取っちゃいない」

「構いません。証言は、それ単体では弱くとも、他の記録と組み合わせれば、線になります。記録は嘘をつきませんが——記録の順番を誰が入れ替えたかも、必ずどこかに跡が残ります」


 モランは、初めてわずかに笑った。苦い笑いだった。


「……あんたの評判、聞いてた通りだな。ヴァン、いい人に拾われたな」

「拾われたわけじゃねえ。あんたが五年前に運んだその報告書を、棚に入れたのは誰だ」

「支配人だ。当時の現場監督——ギデオン・ラウルって男だ。だが」


 モランは、そこで初めて、声を落とした。


「ギデオンは、事故の後すぐに『退職』したことになってる。だが俺は知ってる。あの人は、死んじゃいねえ。三年前、町の外れで見かけた。人違いかと思って声もかけられなかったが……あれは、間違いなくギデオンだった」


 私と、ヴァンの目が合った。


「監査官さん。もし本当に生きてるなら——あの人は、俺なんかより、ずっと多くを知ってる。だが、見つけるのは骨だぜ。あの人は五年前から、誰にも見つかりたがってねえ」

「見つけたがっていない、というのは」

「あの人は、あの事故の後、誰とも目を合わせなくなった。俺が最後に見かけた時も、すぐに人混みに紛れて消えちまった。追われてる魚みてえな目をしてたよ」


 私は、その譬えを、手帳に一言、書き留めた。追われている者は、追う者より、先に気配を読む。ギデオンを見つけるには、こちらの動きを、彼の目線から想像する必要がある。


 私は懐中時計の蓋を開けた。十時十七分。


「探します。生きているなら、それは希望です。彼が語らないことにも、必ず理由がある。理由も含めて、私たちは記録します」


 モランは、深く頷いた。それから、少し照れくさそうに、囲炉裏の灰をかき混ぜた。


「……茶も出さねえで悪かったな。今度、菓子でも用意しとくよ」

「お気遣いなく。証言そのものが、何よりの馳走です」


 水路の水音だけが、しばらく小屋を満たしていた。


証言、確保しました。「危険度:高」の再評価は、事故前に上がっていたのに、事故後に上がったことにされていた——記録の順番そのものが偽装だったと判明です。


そして、五年前の現場監督ギデオン・ラウルは、生きている可能性大。次話、彼の足取りを追います。


ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)は、水路番小屋の茶菓子代として頂戴いたします(結局出されませんでしたが)。


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