第31話:坑道は、閉ざされていた
鉱山都市レーヴェは、煤の匂いで出迎えてくれた。
王都から馬車で九日。石畳が途切れ、代わりに黒い砂利が道を覆うようになったあたりから、ヴァンは口をきかなくなった。私は懐中時計の蓋を開ける。九日目、正午過ぎ。予定通りの到着だった。
「懐かしい、とは訊きません。訊いても、あなたは答えないでしょうから」
「……煙突の数が減った」
ヴァンが呟いた。そのひとことだけで、私は手帳に書き留める。『坑道稼働数、減少の可能性。要確認』。彼の五年間の不在の間に、この町から何かが減っている。それだけで、記録すべき違和感だった。
代官所は町の中心、教会の隣にあった。応対に出たのは、若い書記官が一人。私が提示したのは二枚——ギルド監査院の勅許状の写し、そして王宮監査局長オズワルド・グレインの署名入り、行政会議による長期巡回命令書。書記官の顔が、見る間に強張った。
「あ、あの……坑道への入坑でしたら、少々お待ちを」
奥から出てきたのは、恰幅のいい中年の男だった。黒槌ギルドの腕章。名乗って、モリス・ケインと言った。バルドメロ・ヘリオンの失脚後、傘下ギルドの再編で送り込まれた新任の支配人だという。
「監査官殿のご到着は、承知しております。ですが——申し訳ございませんが、アガレスの坑道は現在、臨時閉鎖中でございまして」
「理由を伺います」
「落盤の危険性です。先だっての大雨で坑道内の一部に緩みが見つかりまして、安全点検が終わるまでは、何人たりとも」
ケインは、そう言って一枚の通達を差し出した。黒槌ギルドの印。それに——王宮監査局の副印。二重の判が押された、立入禁止の通達書だった。
「王宮監査局からも、安全確保のご指導をいただいております。監査官殿のご権限は重々承知しておりますが、これは労務の問題ではなく、坑道の構造上の問題でして」
私は通達書を受け取り、目を落とした。
紙質。インクの濃さ。そして、日付。
「ケイン様。一つ、確認させてください。この通達の発行日は、五日前となっています」
「はい、大雨の翌々日に、急ぎ発行いたしました」
「大雨が降ったのは、いつでしょう」
「え……七日前、だったかと」
「奇妙です。この紙の折り目は、まだ真新しい。五日間、代官所の書棚で保管されていた紙にしては、湿気を吸っていません。そして——王宮監査局の副印のインクは、黒槌ギルドの印より明らかに乾きが浅い。二つの判は、同時に押されたものではありません。副印だけが、後から足されています」
ケインの笑みが、わずかに揺れた。
「……お、恐れながら、監査官殿。紙の乾き具合など、天候にもよるものでして」
「私の見立てでは、この副印が押されたのは、王都で私の巡回命令が発せられた日から、二日以内です。つまり——王宮監査局は、私がレーヴェへ向かうと知った瞬間に、この坑道を閉じる指示を出しています。落盤は、後付けの理由です」
ヴァンが、初めてこちらを見た。無言のまま、しかし目の色が変わっていた。
「監査官殿、それは、あまりに——」
「言いがかりだと仰るなら、結構です。ですが記録は、嘘をつきません。私はこの通達を証拠として控えます。そのうえで申し上げます。私の巡回命令は、王宮監査局長オズワルド・グレイン自身の署名によるもの。かつ、ギルド監査院の勅許状第一条には、臨検・押収権に対し何人もこれを拒めない、とあります。坑道が『労務の現場』である限り、閉鎖の是非を判断するのは、貴殿ではなく私です」
ケインは、答えなかった。額に浮いた汗を、拭おうともしなかった。
「本日は、これで結構です。ですが——一つ、申し上げておきます。落盤が本当なら、点検記録があるはずです。点検した職員の名、時刻、所見。それを、明日の朝までにご用意ください。無ければ、それ自体が、閉鎖理由が嘘だという記録になります」
代官所を出ると、日はもう傾きかけていた。ヴァンが、坑道のある山の方角を見ていた。木々の切れ目に、黒い坑口がかすかに見える。五年前、彼が生きて戻った、たった一つの出口。
「……あんた、気づいてたのか。あの野郎が来る前から」
「気づいていた、というより。オズワルドが私を送り出した以上、彼はここで何かをする準備をしている、と考えるのが自然でした。閉鎖命令の速さは、想定の範囲内です。想定外だったのは——」
私は手帳を開き、鞄の底からもう一枚の紙を取り出す。エルマ・コッツェから預かった、坑道の古い仲間たちの名簿だった。
「——この閉鎖が、正面から来たことです。もし本当に隠したいなら、書類上だけ点検中にして、こっそり内部を片付ける方が賢い。わざわざ王宮監査局の副印まで押して、私に『これは王都からの指示です』と見せつける必要はありません」
「……見せつけてる、って言いたいのか」
「はい。オズワルドは、隠す気がないのではなく——私が気づくことまで、計算に入れています。彼は私に、通達の矛盾を見つけさせ、正面から抗議させ、そのうえで時間を稼ぐつもりです。点検記録の偽造には、一晩あれば足ります」
ヴァンが、短く息を吐いた。それは、ため息にも、笑いにも聞こえた。
「食えない師匠だな」
「ええ。ですから、私たちも一晩、無駄にはしません。ケイン氏が明朝までに偽の点検記録を用意するなら——私たちは今夜のうちに、坑道を知る本物の証人を探します」
私は名簿の一行目を指でなぞった。エルマの夫が所属していた組合の、最年長の名前。
「ヴァンさん。五年前、この坑道から生きて出た人間は、あなたを入れて四人。残る三人のうち、まだレーヴェにいる者は」
「……一人だけだ。ドッグ・モラン。足を悪くして、坑には戻らず、今は町外れの水路番をしてる」
「では、そちらへ。ケイン氏の点検記録が届く前に、私たちには、五年前の記録が要ります」
懐中時計の蓋を、パチンと閉じる。日はほとんど落ちていたが、時刻を記す手は止めなかった。
十七時四十分。坑道は閉ざされ、通達は嘘をついていた。
だが記録は、まだ何一つ、嘘をついていない。
第2部「地方巡回編」、開幕です。
着いて早々、坑道に鍵をかけられました。しかも、鍵をかけた側が「王宮監査局」の印を——それも、こちらの動きを見てから慌てて追加した形跡つきで。
オズワルドの狙いは何なのか。五年前の生き証人ドッグ・モランは、何を語るのか。次話、水路番の家を訪ねます。
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