第30話:出発の朝、王都の帳簿
出発の前日、私は一日かけて、王都の「決算」を行った。
ギルド監査院、着任から四月。
受理した告発、二百三十一件。処理完了、百八十七件。
回収した未払い報酬・補償、総額金貨一万一千四百枚。受け取った人数、九百二名。
是正勧告、四十一通。営業停止、一件。御前聴聞、一件。失脚した騎士団長、一名。
書庫の三十年分の告発八百件は、目録化が完了し、優先度順の処理計画がついた。焼けた四十一束の復元も、転記控えから八割が済んだ。
「数字の上では、悪くない四月です」
「数字の上では、ね。……で、王都の留守は、本当にわたしたちでいいんですか?」
ミリィが、不安そうに台帳を抱えた。
巡回に同行するのは、ヴァンと私の二名。ミリィは王都に残り、留守を預かる。グレゴール院長の監督の下、定型案件の受理と、巡回先との文書連絡。それに——彼女には王都で、進めてもらう調査がある。
「ミリィさん。あなたに残ってもらうのは、留守番のためではありません。冒険者カードの査定記録の収集——例の『査定と実績の乖離』の事例集めは、王都でしかできない仕事です。ロイドさんの件以来、類例は十七件見つかっています。あれは、いずれ大きな案件になります。あなたの台帳の目だけが頼りです」
「……っ、はい! 集めておきます、山ほど!」
午後、出立の挨拶のため、私は二つの場所を回った。
一つ目は、ドルン工房の二階——ではなく、その隣の建物だった。先月から、監査院は正式にそこへ移転している。元の廃墟は修繕したうえで書庫専用棟になった。新しい執務所の壁には、ロイドたち営繕組が彫った木の看板が掛かっている。『ギルド監査院 王都本院』。「本院」としたのは彼らの独断だが、地方に分院を置く構想と整合するため、訂正勧告は出さなかった。
二つ目は、王宮だった。
謁見ではない。北翼の廊下の突き当たり、王宮文書館。私はそこに、ある書類一式を寄託した。
「——ほっほ。それで、わざわざ文書館にかね」
付き添いのグレゴール院長が、面白そうに目を細めた。
「ええ。アガレス事件の調査資料の正本、騎士団事件の記録、第七号判の分析記録。全部の写しを、王宮文書館の『百年封印棚』に寄託しました。封印棚の記録は、寄託者本人か、国王陛下の勅命でしか引き出せません。つまり——私が巡回先で『事故』に遭った場合、この記録を開ける鍵は、陛下の手元にだけ残ります」
「保険、というわけかの」
「ええ。私という監査官は消せても、記録は消せない状態を作っておく。これが、当院の命の保険です。掛け金は寄託料、銀貨二枚でした。割安です」
院長は笑い、それから、ふと真顔になった。
「……アデルや。一つだけ、年寄りの感想を言うてよいかの。お前さん、変わったぞ。着任の日のお前さんは、優秀な刃物じゃった。今のお前さんは——役所じゃ。一人で来た者が、九百人の取り立てをして、人を残し、記録を残し、留守を任せる者まで育てた。三十年、わしが油を差し続けたのは、この日のためじゃったと思うことにするよ」
「院長。その感想は、記録に残しても?」
「ほっほ。恥ずかしいから、お前さんの手帳だけにしておきなさい」
出発の朝は、晴れた。
北門の前に、見送りが来ていた。ロイドたち営繕組。受領書の束を抱えたミリィ。松葉杖のカイ・エルマー。そして、エルマ・コッツェ夫人——夫の手帳の複製を、お守りのように胸に当てて。
「監査官様。レーヴェは、あの人の故郷です。坑道の人たちは、口は重いですが、嘘はつきません。……これを。あの人の組合の、古い仲間の名簿です。訪ねれば、力になってくれます」
受け取った名簿を、私は鞄の一番上に収めた。
ヴァンが馬車の手綱を取り、私の隣で、前を見たまま言った。
「……五年ぶりだ、あの坑道に戻るのは。正直、夢に見る。今でもな」
「ヴァンさん。一つ、約束します。今回の入坑には、五年前と決定的に違う点が一つあります」
「……何だ」
「記録係が、同行します。何があっても、何が見つかっても、今度は全部、記録に残ります。なかったことには、二度となりません」
ヴァンは、ふ、と笑って、手綱を打った。
馬車が動き出す。王都の城壁が、ゆっくりと後ろへ流れていく。
私は懐中時計の蓋を開けた。九時零分。
手帳の新しい頁に、最初の一行を書き入れる。
『北部鉱山都市レーヴェ巡回監査・初日。天候、晴れ。同行者一名。目的地——アガレスの坑道』
記録は、嘘をつきません。
五年前に埋められた嘘のところまで、これから取り立てに参ります。
——第1部「王都是正編」完。
第1部「王都是正編」全30話、お付き合いいただき、誠にありがとうございました!
着任時:職員0名・告発800件放置・屋根に穴。
現在:職員と仲間多数・処理187件・回収金貨11,400枚・営業停止1件・騎士団長1名失脚。
……悪くない四半期決算ではないでしょうか。
第2部「地方巡回編」は、鉱山都市レーヴェから。
五年前の二十七人の「清算」の現場へ、記録係が同行します。
ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)が、第2部の旅費(精神的なもの)になります。
引き続き、よろしくお願いいたします。




