第3話:出勤簿は嘘をつかない
「現在時刻、九時零分。ギルド監査院、臨検を開始します。台帳と出勤簿を、この机の上に」
赤鷲ギルドの酒場兼受付に、私の声はよく通った。
朝の依頼掲示板に群がっていた冒険者たちが、一斉に振り返る。帳場の奥から現れたのは、腹の出た壮年の男——ギルド長、ガストン・バルガ。
「……はあ? なんだお前は」
「ギルド監査院監査官、アデル・クロイツェルです。こちら、臨検通知。受領印は不要です、王国ギルド法第三条に基づく抜き打ち検査ですので」
「監査院だぁ? あの潰れた小屋のか! 帰れ帰れ、うちは連盟の検査をちゃんと通ってんだ」
「存じています。連盟の検査記録も拝読しました。三年連続、指摘事項ゼロ。——大変、興味深い記録です」
私は鞄から赤鷲の公式台帳の写しと、ミリィの作った裏の写しを並べて置いた。
「ガストン氏。昨年十一月分の依頼番号一一四〇、ワイバーン威嚇飛行の調査依頼。達成報告の時刻は『午後四時』と記載されています」
「だったらなんだ」
「調査地点は北の断崖です。王都北門の通行記録によれば、当該パーティの帰還は午後七時二十分。つまりこの達成報告は、パーティ帰還の三時間二十分前に書かれたことになります。報告者はあなただ。——予知能力をお持ちですか?」
ガストンの顔色が変わった。周囲の冒険者たちがざわめき始める。
「そ、それは……書き間違いだろうが! たかが時刻のなぁ!」
「一件なら書き間違いです。同種の矛盾は十一月だけで九件。さらに」
私は台帳の十一月の頁を指でなぞった。
「この頁、一日から三十日までの記入、インクの褪色が完全に均一です。毎日記帳された帳簿は日ごとに乾燥度が異なる。つまりこの三十日分は、同じ日に、まとめて書かれた。月末に、都合よく」
「言いがかりだ! 証拠が——」
「証拠は、あなたの倉庫です。臨検範囲には付属倉庫も含まれます。ヴァンさん」
控えていたヴァンが倉庫の扉を開けた。中から出てきたのは、埃を被った本物の日次記録——破棄し忘れた、現場の受付控えの束。ミリィの証言通りの場所にあった。
控えと公式台帳の差額を、私はその場で読み上げた。
「新人冒険者への未払い報酬、三十六件。総額、金貨二百十四枚。『装備積立金』の名目で天引きされた金額のうち、実際に装備購入に充てられた形跡のないもの、金貨八十八枚。受付係ミリィ・ロッタ氏の時間外労働、記録に残るだけで三月で四百二十時間。対価、ゼロ」
酒場が、静まり返った。
未払いの当事者たち——若い冒険者たちが、震える手で自分の依頼控えを確かめている。
「な……なあ、あんたら、聞いたか。俺の『修行料』って、つまり……」
「ええ。あなたの報酬です。最初から、全額」
怒りは感じない。ただ、この台帳が誰かの時間を四百時間ぶん消していることを、私は記録した。
私は鞄から一枚の書面を取り出し、万年筆で金額を書き入れた。
「ガストン・バルガ氏。ギルド監査院は赤鷲ギルドに対し、是正勧告を行います。内容、未払い報酬および不当天引きの全額支払い。期限——」
「ふ、ふん! 勧告だか何だか知らんが、期限までにゆっくり考えさせてもらう! 弁護士を立ててだなぁ」
「期限、本日中」
「……は?」
「王国ギルド法第三条二項。賃金性の債務について改ざんの証拠が存する場合、監査官は即時履行を命じることができます。あなたは先ほど、衆人環視の中で帳簿改ざんの証拠を提示されました。証人は——」
私は酒場を見回した。五十人を超える冒険者たちが、一斉にガストンを睨んでいた。
「——概算で、五十三名です」
ガストンは金庫を開けた。
震える手で、金貨が一枚ずつ数えられていく。私はその様子を、一枚ごとに帳面へ記録した。受領者の名前、金額、時刻。三十六人の名前が、三十六行の「支払済」に変わっていく。
最後の一人は、まだ十五歳の剣士見習いだった。彼は金貨三枚を受け取ると、それを握りしめたまま、ぽろぽろと泣いた。
「これで……妹に、薬が……」
十六時四十分。全件、履行完了。
私は是正勧告書の末尾に、監査院の職印を構えた。
「本件、是正履行を確認しました。——赤鷲ギルドの皆様、ご協力に感謝します」
カン、と。
乾いた音が、酒場に響いた。
帰り際、青ざめて座り込むガストンが、力なく呟いた。
「……化け物め。だがな、嬢ちゃん。うちなんざ小物だ。王都の斡旋はぜんぶ『上』が握ってる。……あんた、ヘリオンに逆らえるのか」
ヘリオン。
私は手帳の新しい頁に、その名を記録した。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
未払い三十六件、即日全額回収。本日の監査院の業務は以上です。
そして次回、出てきました「上」の名前。
「もっと臨検が見たい」と思っていただけましたら、ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)をお願いいたします。
皆様の応援は、即日、執筆効率に反映されます。




