第24話:九十六冊の出勤簿
カイ・エルマーの来訪から三日後、私は彼に小さな包みを渡した。
中身は、掌に収まる薄い手帳が、十冊。表紙には何も書かれていない。
「出勤簿です。使い方は三行で済みます。起きた時刻。寝た時刻。食事の回数。可能であれば、負傷と、その処理。日付を添えて、毎日」
「……これを、自分が?」
「あなたと、信頼できる同期の方に。強制ではありません。発覚した場合の危険は、あなたが一番ご存じのはずです。ただ、一つだけお伝えします。当院が騎士団と戦うとき、最後にものを言うのは、私の弁論ではありません。中で生きている人の、毎日の記録です。外からの伝票では、夜中の二刻の睡眠までは、証明できないのです」
カイは手帳を一冊開き、白い頁をしばらく見つめてから、懐へ収めた。
「……トマスも、手紙を書いてました。母さんに。あれも、記録だったんですね」
「ええ。当院の現有証拠の中で、最も強い記録です」
手帳は、増殖した。
十冊が、二週間で四十冊になった。カイの同期から、別の班へ。第三大隊から、第一大隊へ。洗濯ギルドの回収袋に紛れて、書き終えた頁の写しが監査院に届くようになった。経路の設計はヴァンの仕事だ。元A級冒険者の隠密の知見が、こんな形で役に立つとは、彼自身も思っていなかったらしい。
「四十……いや、今週で六十三冊だ。練兵場の従士の三分の二が書いてる。……なあ、こんなに広がるもんか? 普通、もっとビビるだろ」
「広がります。記録は、希望の代替品ですから」
ミリィが、届いた写しの整理の手を止めて、首をかしげた。
「希望の、代替品……?」
「人は、明日が今日より良くなると信じられる間は、耐えられます。従士の方々は、それを『夢』と呼ばれて、長く持たされてきました。ですがトマス・ベルツの死で、多くの人が気づいてしまった。夢は、明日を保証しない、と。——そういう時、人は崩れるか、書くかです。書くという行為は『この記録を、いつか誰かが読む』という前提を持っています。読む誰かがいる未来を、書くたびに一度ずつ信じられる。ですから、記録は希望の代替品です。栄養価は低いですが、保存が利きます」
「……監査官さまって、たまに、詩人です」
「事務官です」
届いた記録の集計は、外からの伝票と、恐ろしいほど噛み合った。
平均睡眠、二刻半。食事、一日一・四回。「私的な使役」——先輩騎士の夜会の供、家族の引っ越し、果ては愛人への文使いまで——週平均十一件。そして負傷の処理欄に頻出する単語、「自己鍛錬不足として申告せず」。
組織的な記録が、六十三人分。日付つきで、相互に裏が取れる。
もはやこれは証言ではない。統計だ。
「そろそろ、騎士団も気づく頃です」
気づいた。
手帳の配布から十九日目、カイ・エルマーが営倉に入れられた。
罪状は『備品の不正な持ち出し』——厩の手入れ油を私用に使った、という三月前の話を、今になって掘り起こした形だ。営倉、十日。従士への懲罰としては異例の重さ。そして彼の私物から、手帳が押収された。
報せを持ってきた洗濯ギルドの青年は、青ざめていた。
「営倉だけじゃ済まないって噂です。『見せしめに除籍する』って。監査官さん、あの、カイの奴、手帳のことは吐いてないらしいんですが、時間の問題で……」
「いいえ。時間は、当院の味方です」
私は立ち上がり、外套を取った。
「ヴァンさん、公証人の手配を。ミリィさんは集計表の最終版を。——騎士団は今、致命的な手続きの誤りを犯しました。『従士は軍籍外の私的な見習いである』というのが、臨検を拒んだ際の騎士団自身の主張です。軍籍外の人間を、軍の営倉に拘禁する権限は、騎士団にありません。これは懲戒ではなく——監禁です」
壁は、自分の重さで軋み始めていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
記録は希望の代替品。栄養価は低いですが、保存が利きます。
そして騎士団は、自分の理屈で自分の足を撃ちました。次話、営倉へ乗り込みます。
ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)は、本日も相互に裏の取れる統計として集計中です。




