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婚約破棄を「労災認定」しました 〜「冷たすぎる」と追放された監査令嬢、左遷先でブラックギルドに是正勧告を叩きつけます〜  作者: 小鳥遊ミント


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第22話:名誉という名の壁

 王宮騎士団の練兵場の門は、開かなかった。


「ギルド監査院監査官、アデル・クロイツェルです。三日前に予告した通り、従士の労務記録の臨検に参りました」

「お引き取り願う」


 門前に立ちはだかったのは、ベルナール・ロックフォード騎士団長、その人だった。今日は完全武装ではない。執務服に剣だけを佩いて、岩のように門の中央に立っている。


「勅許第三条をご記憶かと。『何人も、騎士といえども、監査官の検めを拒むことを得ず』」

「記憶している。だからこそ、わしが直々に立っている。——監査官殿。貴公の勅許は『職能組合』を検める権だ。騎士団はギルドではない。王軍である。軍の内部記録は軍機だ。勅許をもってしても、軍機の壁は越えられん」


 法解釈としては、成立しうる主張だった。準備してきた理屈だ。誰かが入れ知恵をしている。それも、行政法に長けた誰かが。


「では伺います。従士は、軍人ですか」

「……なに?」

「騎士団の正規編制は王国軍法に定めがあります。騎士、軍属、文官。ですが『従士』の身分は、軍法のどこにも規定がありません。従士は各騎士が私的に抱える見習いであり、軍籍を持たない。つまり従士の労務は『軍機』ではなく、騎士個人と平民の間の——私的な使役関係です。私的な使役関係は、当院の管轄です」

「屁理屈を……!」

「屁理屈ではなく、貴団の制度の穴です。給金を払わないために従士を軍籍の外に置いてきたのは、貴団の側です。外に置いたものは、外の法に服します。都合の良い時だけ『軍の一部』にはできません」


 ベルナールの顎に、力がこもるのが見えた。

 そのとき、門の奥から、よく通る声がした。


「——相変わらずだな、アデル。お前のそういうところが、心底嫌いだったよ」


 白に金糸の正装。供を四人連れて、レオンハルト第二王子が歩いてきた。

 卒業夜会以来の再会である。所要時間にして四分三十二秒ぶん、彼の記録は私の手元にある。


「殿下。御前にて失礼します。本日は監査院の職務で参っております」

「聞いているとも。ヘリオンを潰したそうだな。たいした出世だ、捨てられた女の腹いせとしては」


 周囲の騎士たちが、下品にならない程度に笑った。


「だがな、アデル。ここは商人の店先ではない。王国の剣だ。騎士団は名誉で動いている。従士たちは金のためではなく、騎士になる夢のために自ら仕えているのだ。彼らの献身を『労務』などという薄汚い帳簿の言葉に変えること自体が、彼らへの侮辱だとは思わないのか? なあ、ベルナール卿」

「……殿下の仰せの通りです」

「夢と名誉。たしかに尊いものです」


 私は、鞄から十一通の手紙の写しを出した。


「従士トマス・ベルツ、十九歳。三月前に死亡。彼が母親に宛てた手紙を、一行だけ読みます。『母さん、僕は騎士になる夢のためなら眠らなくても平気です。でも、夢のために死ねと言われている気がする日があります』——殿下。夢のために働くことと、夢を人質に取られることは、帳簿上、まったく別の科目です」


 レオンハルトの笑みが、わずかに固まった。彼はこういう「空気が自分から離れる瞬間」に、誰よりも敏感な人だ。


「……死んだ従士のことは気の毒に思う。だが、それは事故だ。事故を盾に軍へ踏み込むなら、それこそ政治的な悪意というものだろう。——ベルナール卿、門を閉じよ。監査院の立ち入りは、王族の名において許可しない」

「『王族の名において』。記録しました。勅許第三条は『朕の血を引く者といえども』と定めていますが、殿下はただいま、建国王の勅許に対し、王族の名で拒否権を行使なさった。この憲法的な論点は、当院単独では判断しかねますので、しかるべき場所へ照会します」

「……しかるべき場所だと?」

「国王陛下です。勅許の解釈権者は、発行者の地位の継承者——陛下ただお一人ですので」


 レオンハルトの顔色が、変わった。父王の名が出た瞬間に変わる——それも、夜会の頃から変わらない。


「……ふん。好きにしろ。父上とて、軍を事務官に売り渡しはせん」


 門は、閉じられた。

 帰り道、ヴァンが言った。


「門前払いか。初めて負けたな」

「いいえ。本日の成果は三点です。一、騎士団は『従士は軍籍外』という当院の整理に、有効な反論をしませんでした。二、殿下は公衆の面前で勅許への拒否を宣言し、論点を憲法級に格上げしてくれました。三——」


 私は、門の脇に視線だけを送った。

 閉じる門の隙間から、こちらを見ていた若い従士が三人。そのうちの一人は、右手首に副木を当てていた。目が合った瞬間、彼は慌てて顔を伏せた。だが、その直前——彼は確かに、小さく頭を下げた。


「——三、中に、読者ができました。壁の中の人が、壁の外に味方がいると知りました。記録は、これから中で生まれます」


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


元婚約者、再登場。門は閉じられましたが、壁の中に「読者」ができました。

次話、搦め手。騎士団に出入りする「業者」は、当院の管轄です。


ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)に、門前払いはございません。


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