第13話:書庫が燃えた夜
その夜、私は嫌な計算をしていた。
受理番号九十六。勅許状の開封条件まで、あと四件。
廃止までの残り日数、二十九日。
そして——敵が、この二つの数字を知らないという保証は、どこにもない。
グレゴール院長は言った。「条件は、向こうから満ちる」と。だが逆もある。条件を知った敵が先に動けば、満ちる前に、土台ごと消される。
告発文書八百件。受理済み九十六件。あれは監査院の弾薬庫だ。そして弾薬庫の場所は、誰でも知っている。
「ヴァンさん。今夜から、夜間の警備計画を変更します」
「……奇遇だな。俺も同じことを考えてた。今夜あたりだ、来るなら」
来た。
午前一時五十二分。
最初の異変は、屋根の軋みだった。次が、油の匂い。
西側の窓が割れ、火のついた瓶が、書庫の棚に向かって投げ込まれた——その軌道を、ヴァンの投げた椅子が叩き落とした。瓶は石床で砕け、炎が床を舐める。
「侵入者、三! 西の窓と、裏口二!」
「ミリィさん、起きてください! 消火を! 砂袋は棚の下です!」
準備はしてあった。水は紙を殺すから、砂と毛布。ミリィが寝間着のまま砂袋を引きずり、私は燃え始めた最下段の束を引き抜いて退避させる。
裏口から押し入った男たちは、ヴァンが迎えた。剣は抜かない。抜けば殺してしまうからだ、と後で彼は言った。一人目が壁にめり込み、二人目が天井を見上げて倒れ、三人目は——逃げた。
「待て——っ、ぐ」
追おうとしたヴァンの脇腹に、闇から投げられた短刀が刺さった。
四人目がいた。逃走は陽動。ヴァンはそのまま四人目の足を払い、組み伏せ、それから、ゆっくりと膝をついた。
「ヴァンさん!」
「……浅い。それより、火を」
火は、消えた。
被害を記録する。書庫西側最下段、焼損四十一束。負傷者一名、刺創、命に別状なし——治癒師の到着まで、私の心拍は平常値を上回り続けたことを、正確性のために記録しておく。
捕えた男は、夜明けに王都警備隊へ引き渡した。男は雇い主を吐かなかった。「酒場で知らない男に金貨で雇われた」。定型文だ。だが男の靴底には坑道特有の黒い鉱粉が付いており、前金の金貨は連盟発行の新鋳貨だった。事実だけを、調書に残させた。
朝の光の中で、ミリィが焼け跡にしゃがみ込んだ。
焼損四十一束。古い告発文書の、四十一束。
「……ごめんなさい。わたしが、もっと早く目録を……これ、もう、読めない……」
煤で汚れた頬のまま、彼女は炭になった紙の束を見ていた。
私はその隣にしゃがみ、鞄から、分厚い帳面を三冊取り出した。
「ミリィさん。目録番号〇〇一から二四〇まで。あなたが作った目録の、転記控えです」
「……え?」
「あなたは目録化の際、各文書の要旨・差出人・日付・宛先を記録しました。私はそれを毎晩、三部転記していました。一部は院内、一部は公証人預け、一部は——王都の外の、ある工房の金庫です。焼けたのは原本四十一束。ですが、その四十一束に何が書かれていたかという記録は、三箇所で生きています」
ミリィが、ぽかんと口を開けた。
「い、いつの間に……」
「あなたが寝ている時間です。時間外労働には当たりません。私の趣味ですので」
「……っ、監査官さまの、それ、ぜったい趣味じゃないです……!」
泣き笑いになったミリィの肩を、包帯を巻き終えたヴァンが軽く叩いた。
「言ったろ。四人目は、しぶといんだ」
午後、焼け跡の検分を終えた頃、監査院の前にまた人が立っていた。
今度は行列ではない。職人風の男が一人、革の前掛け姿で、不器用に帽子を握っている。
「あー……ドルン工房の使いです。例の、黒槌向けの装備の納品で。それと、親方から伝言で。『放火の話を聞いた。うちの倉庫の二階が空いてる。書類でも人でも、好きに使え』と」
ヴァンが、ほう、と眉を上げた。
「……義理堅いことで」
「親方が言ってました。『まともな帳簿で商売させてくれた役所は、三十年で初めてだ』って」
私は申し出を、正式な賃貸借契約書にして受けた。相場通りの賃料で。
善意は、契約書にしておくと長持ちする。
その夜。仮眠前の最後の確認で、ミリィが受理票を数え直した。
放火騒ぎの中でも、昼の受付には六人が並んでいた。
「受理番号……九十九、です」
あと、一件。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
原本は焼けても、記録は三箇所で生きています。
受理番号九十九。次話、第十四話——百件目が、届きます。
ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)は、耐火金庫にて三重保管しております。




