第12話:査問、あるいは恩師との再会
王宮監査局の査問室は、ひと月前と同じ匂いがした。
古い紙と、封蝋と、わずかな黴。私が五年間、毎朝吸っていた空気だ。
「久しいね、アデル」
長机の中央に、オズワルド・グレイン局長が座っていた。
五十八歳。銀縁の片眼鏡。袖口の擦り切れた執務服は、彼の主義だ。「監査官の服が新しいのは、現場に出ていない証拠だ」——新人の頃の私に、そう教えた人である。
「ご無沙汰しております、グレイン局長」
「ひと月ぶりだがね。まあ、座りなさい」
査問は、穏やかに始まった。それが彼の流儀だ。穏やかな声で、相手の土台を一枚ずつ抜いていく。
「単刀直入に言おう。君の『臨検』には、法的根拠がない」
「王国ギルド法第三条に基づき執行しています」
「その第三条の執行主体は、二十九年前の行政整理令で冒険者ギルド連盟に移管されている。整理令第八号、付則第四項。——君が引用している条文は、もう君のものではないのだよ」
来ると分かっていた一手だった。そして、厄介な一手だ。
付則第四項。監査院の権限を「当面の間、連盟に委ねる」とした一文。三十年前、監査院を骨抜きにした、まさにその紙。
「付則第四項は『当面の間』の暫定委任です。委任の解除権は委任者側に残ります」
「解除の手続きを、君はしたかね?」
「臨検に先立ち、連盟に対し委任解除の通告書を送付済みです。発信記録もあります」
「ほう。だが連盟は受理していない、と聞いているがね」
「受理の有無は解除の効力に影響しません。通告は到達主義です。連盟の門衛が受領印を拒んだため、立会人二名の面前で扉に貼付し、その場の記録を公証人に……」
「——相変わらずだな、君は」
オズワルドは、ふ、と息だけで笑った。懐かしい笑い方だった。出来の良い答案を前にしたときの。
「だが、アデル。論理で勝つことと、生き残ることは違う。それも教えたはずだが」
彼は一枚の文書を机に滑らせた。
『ギルド監査院の行政整理(廃止)に関する検討について(案)』。起案者の欄、王宮監査局。決裁予定の欄には、宰相府の名。
「率直に言おう。君の院は、潰される。三十日後の行政会議でね。理由は何でもいい。予算効率、機能重複、なんなら今日の査問の議事録でも。……君は優秀だ。優秀だから、忠告する。今のうちに、辞表を出して市井で経理でもやりなさい。それなら、誰も君を追わない」
「ご忠告は記録しました。質問を一つ、よろしいですか」
「どうぞ」
「五年前、冒険者ヴァン・ガレットの申立てを棄却した決裁書に、当局の局印が押されています。連盟の内部申立てに、王宮監査局の決裁線は存在しません。あの判は、誰が、どの権限で押したのですか」
部屋の空気が、一度だけ、止まった。
オズワルドの表情は動かなかった。片眼鏡の奥の目も。ただ、机の上で組まれた指が、組み直された。二秒。
「……何の話かな」
「局印管理簿の照会請求を、本日付で提出します。受理されない場合、その事実ごと公示します」
「アデル」
声の調子は、変わらなかった。それが、かえって答えだった。
「君を解任した辞令にね、私が署名したのは、君を嫌ったからではないよ。あれは人事だ。人事には、いつも理由が複数ある。……それ以上掘ると、君は監査官ではいられなくなる。比喩ではなくね」
「掘らない監査官は、監査官ではありません。あなたに教わりました」
「……教えすぎたな」
査問は終わった。議事録の写しを要求すると、オズワルドは拒まなかった。彼もまた、記録の人だ。記録の強さも、記録の消し方も、知り尽くした人。
退出間際、彼は言った。
「三十日だ、アデル。三十日後、君の院は紙の上から消える。王命など要らない。行政措置で十分なのだよ、ああいう小さな院はね」
王宮の長い廊下を歩きながら、私は懐中時計を開いた。
文字盤の上で、秒針が変わらず回っている。
——『院の存続が、王命によらずして脅かされる時』。
グレイン局長。あなたは今、ご自分の言葉で、何の条件を満たしたか、ご存じないでしょう。
監査院に戻ると、ミリィが受理票の束を抱えて駆けてきた。
「おかえりなさいませ! 本日の新規受理、十七件です! 累計、受理番号は——」
彼女は息を吸って、言った。
「——九十六番まで、来ました!」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
行政措置による廃止通告、三十日。受理番号、九十六。
二つの数字が、同じ場所に向かって進み始めました。
ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)は、行政整理の対象外です。永久保存します。




