『呪文』よりも「教え」
翌日から作業と意気込んでみたのはいいものの、さすがのルナも何も浮かんでこないらしい。
「……ルナ、……御神像、みたい。……固まってる」
宿の部屋に戻るなり、ルナは机の前で石像のように動かなくなった。
いつもなら「コスト」だの「イノベーション」だの、呪文のような言葉を機関銃のように吐き出し、勝手に答えに辿り着くはずの彼女。
それが、今はただ、真っ白な紙を睨みつけている。
「……やっぱり、……『浮かんで』ない」
リュンヌは、相棒のその様子を見て、不思議と落ち着いた気持ちになった。
これまでの「クソマズ粉末」や、最初の「ふかふかの安心」の時、ルナは時折、自分でも説明できないような謎の知識を口にしていた。
でも、今はそれがない。今の彼女は、ただの「頭が良くて、プレッシャーに押し潰されそうな同世代の少女」だ。
「……ルナ。……無理に、……呪文、唱えなくていい」
「……っ。リュンヌ、私は私は『聖女』として、完璧な設計図を出さなきゃいけないのよ」
『銭ゲバ』なとツッコミを入れる勇気は今のリュンヌにはない。
「でも、『戻らない』なんて、そんなパワー半導体みたいな構造、今の私の頭には……っ」
ルナの声が微かに震える。副光主という巨大すぎる名前に、彼女の「ひらめき」が怯えて隠れてしまったのかもしれない。
「……ルナ、一休み。……私、……考える。……『呪文』じゃなくて、『手』で」
リュンヌは、ルナが引いた型紙を手に取った。 水苔をただ詰めれば、水は重みで外に押し出される。それは「当たり前」のことだ。
なら、押し出される前に、どこか「別の場所」へ逃がして、そこに閉じ込めればいい。
「……表面、さらさら。……中身、……ぎゅっと、吸う。……間に、……何か、入れる」
リュンヌは孤独だった頃、雨漏りする小屋で、どうにかして床を濡らさないよう布を重ねた記憶を辿る。
あの時、厚手の布の間に「何か」を挟むと、表面が乾きやすかった気がする。
「……ルナ。……これ。……『一方通行』、じゃなくて、……『二階建て』。……一階で吸って、……二階に、溜める。……そんな、感じ」
「二階建て?層を分けるっていうの? でも、それだけじゃ圧力がかかれば戻ってくるわ」
少しルナは考えをまとめる。
「待って、リュンヌ。その『間』に、水を吸い込む力がもっと強い、何か別のものを挟んだら」
ルナの瞳に、ほんの少しだけ光が戻る。
それは「呪文」による啓示ではなく、リュンヌの素朴な言葉から紡ぎ出された、泥臭い思考の火種だった。
「……そう、……それ。……私、明日、……牧場で、変な草、……探してくる。……水苔、相棒」
「リュンヌ。あんた、本当に……。わかったわ。私はこの『二階建て』の計算をやり直す」
ルナの目が泳がなくなった。
今度は、呪文じゃなくて、あんたの知恵に便乗させてもらうわよ」
二人の少女は、自分たちの等身大の頭脳で、もう一度未知の課題に向き合い始めたのだったが。
3日後。
「今の苔より水を吸うものなんて、もう思いつかないわ」
ルナが言うとリュンヌもおし黙ざるを得ない。沈黙がしばし続く。
「ねえ、領主夫人は身体の方に戻ってくるのが嫌なのか服が汚れるのが嫌なのかどっちなのかしら?」
明らかにリュンヌを頼っているルナ。リュンヌは戸惑いつつも考える。
「……ルナ。……私を、頼ってる。……珍しい、……でも、嬉しい」
リュンヌは、机に突っ伏したまま自分を見上げてくる相棒の視線に、戸惑いながらも思考の海に深く潜った。
計算や理屈で止まってしまったルナに代わって、彼女が頼りにできるのは、孤独な日々に培われた自身の「身体の感覚」だけだ。
「……領主夫人。……言ったのは、『戻るのを、防ぐ』。……多分、服が汚れることより、……『肌が濡れる』こと。……それが、……一番、嫌」
リュンヌは、かつて冷たい雨の中で濡れた服が肌に張り付いた時の、あの不快な冷たさを思い出した。
「でも……、服を汚す……嫌かも?」
とリュンヌは思い直してつけ加える。
「……聞いてみる……領主夫人」
リュンヌは至極当たり前の言葉をついでに発した。
ルナはその言葉に反応する。
「そうよあの場で言えなくとも、答えはあの方がもっているわ!」
ルナはいつも以上に真剣な顔で実情を書いた。
「……ルナ、……顔。……怖い。……けど、本気」
リュンヌは、羽ペンを走らせるルナの横顔をじっと見つめていた。
いつもなら「コスト」や「利益」のみで動く相棒が、未知の壁を突破するために、プライドをかなぐり捨てて「教えを請う」という選択をした。
「……身体、……服。……どっちも、大事。……順番、ある」
「そうよ、リュンヌ。開発において優先順位を間違えるのは致命的なミスよ」
ルナは清々しい雰囲気さえ漂わせている。
「あの方の『不快』の正体がどこにあるのか?憶測で動くより、直接ぶつけるのが最短ルート(クリティカルパス)だわ」
ルナは書き終えた手紙を丁寧に折り、第二夫人への手紙に領主夫人宛の書状を封入し宿の主人に託すために立ち上がった。




