ルナ、トップギアで暴走する
現れたのは、質素ながらも立ち居振る舞いだけで周囲を圧する、気品に満ちた初老の男性――この地の主である領主だ。
そして、その隣には穏やかな、しかし全てを見透かすような瞳をした夫人が立っている。
「……っ」
リュンヌは反射的に息を呑み、ルナの動きに合わせて深く、深く頭を下げた。磨き上げた革鎧の胸当てが、自分の鼓動を跳ね返すように低く鳴る。
「顔を上げなさい。其方たちが、私の妻をあのように興奮させた『魔法の布』の主か」
領主の声は、意外なほど低く、そして温かみがあった。
リュンヌが恐る恐る顔を上げると、夫人がリュンヌに近寄っていた。
領主夫人は、「職人の手」――針仕事で少しだけ硬くなった指先と、ナギナタで鍛えられた掌――を、慈しむような目で見つめていた。
「……はい。……私たちが、作りました。……この、……手で」
「リュンヌ、よく言えたわ」
ルナが隣で微かに囁く。
「あら、よく見ると銀髪に神官服と黒髪の冒険者ってあなた達、噂の「銭導士」とその護衛さんかしら?」
と領主夫人が言い出す。
ルナは「ついにメジャーデビュー!」とか意味不明な事を小声で口走る。
「……めじゃあ、……でぶ?。……ルナ、……どこか現実……目そらした?」
リュンヌは耳まで真っ赤に染めながら、隣でポーズを決める(ように見える)相棒を盗み見た。
託児所での一件や強引な「経営相談」が、貴族の社交界でルス教のあの「銭導士」なんて不名誉な階位名で流通していたとは。
「……銭導士。……身も蓋も、……ない。……恥ずかしい、死ぬ」
「あら、リュンヌ、何を言ってるの? 噂になるということは、それだけ私の『付加価値』が認められている証拠よ」
ルナはふんぞりかえる勢いだ。
「宣伝費ゼロでここまで名前が売れるなんて、領主夫人様は最高のフォロワーでいらっしゃるわ!」
ルナは臆するどころか、さらに一段階ギアを上げたような不敵な笑みを領主夫人に向けた。
「お耳に届いて光栄でございます。ですが、本日は『銭』の計算ではございません」
ルナのエンジンのスタートボタンが押された。そしてギアが入った。
「夫人様の健やかな日々のための『救済』を携えて参りました」
「ふふ、面白い子たちね。銭導士に、その腕利きの護衛さん……」
ルナの凄まじい加速を、領主夫人はひらりと躱した。
「でもね、その『銭』にうるさいあなたが、これほどまでに手間暇のかかる品を作った理由――それを直接聞きたかったのよ」
領主夫人の瞳が、茶化すような光から、一人の女性としての真剣な眼差しへと変わる。
ルナは語り出す。
「領主様におかれましては、街の活性化に尽力いただいております。ただ、恐れながら申し上げますといささか問題もございます」
「……ルナ、……それ、……言い過ぎ。……領主様の前、不敬……」
リュンヌは背筋を冷たい汗が伝うのを感じた。
第二夫人夫妻に至っては、ルナのあまりに大胆な「演説」に顔面を蒼白にさせ、今にも割って入らんばかりの勢いで狼狽している。
だが、ルナは止まらない。
「夫人様、これは単なる『お洒落な衛生用品』ではありません」
ルナの加速は3速から4速に入る。
「人口の半分を占める女性が、月に数日、その能力の半分も発揮できないという『構造的な損失』を埋めるための装置なのです」
そしてトップギアへとシフトして駆け抜ける。
「この不快感が消えれば、街の活力は理論上、数%底上げされますわ!」
ルナの碧眼の瞳は、もはや一神官のそれではなく、国を動かす策士のような光を帯びていた。
「……銭導士、……本領、発揮。……でも、……相手、領主様。……怖すぎ」
リュンヌは思わず、武器のない自分の拳を握りしめた。 しかし、静まり返った大広間に響いたのは、怒号ではなく、領主の深い笑い声だった。
「ははは! 面白い。慈善でも信仰でもなく、生産性の向上から『救済』を語るとは」
領主の目はむしろ興味に満ちあふれていた。
「確かに、女性たちが健やかに働けるようになれば、我が領地は他よりも一歩先を行くだろう」
領主夫人もまた、呆れたように、けれどどこか嬉しそうに頷いた。
「銭導士、あなたのその『強欲』、どうやら本物の慈愛よりもよっぽど人を救う力があるようね」
そしてリュンヌの方に向く。
「護衛さん、あなたも大変ね、こんな相棒を持って」
そして、まさかのねぎらいの言葉をリュンヌに掛けてきた。
「でも、あなたの丁寧な針仕事がなければ、この子の理屈はただの空論で終わっていたわ。」
「……裁縫役、責任。……二人の、……夢、形にする。それだけ。」
リュンヌは、張り詰めていた肩の力が少しだけ抜けるのを感じた。




