犬の歯ぎしり
二人の「究極の布」作りは、いよいよ素材選定の最終段階から次に差し掛かっていた。
翌日から、試作を二人で始める事にした。ルナもここのところは、説法より試作に没頭するため懺悔相談を主としている。
リュンヌは、託児所の掲示板から届け物や牧場の見回りといった仕事を引き受けている。
必然的に二人が揃う日暮れ前が作業時間のピークとなった。
「……日暮れ、話し合い。……夕焼け、作業の合図」
リュンヌは牧場の砂埃を払い、心地よい疲労感を抱えて宿へと戻った。
掲示板で受けた地道な仕事は、今の彼女にとって大切な「活動資金」であり、同時に街の空気を肌で感じる大切な時間だ。
「……ルナ。……ただいま。……届け物、……3件、完了」
「おかえり、リュンヌ! ちょうどいいわ、この『中綿』の配置、あんたの歩幅で試算してみたんだけど……」
部屋に入ると、そこはもはや二人の居室ではなく、小規模な「繊維研究所」と化していた。
ベッドの上には、細かく裁断された絹と、丹念に茹で上げられ、驚くほど白く清潔になった水苔の繊維が並んでいる。
「……ルナ、……顔、すすけてる。……説法より、職人」
「失礼ね。これも立派な『魂の救済』よ! 身体の不快感を取り除けば、人は自然と清らかな心に戻る。これぞ真の布教だわ!」
ルナは鼻先を拭い、細い木の棒二本を器用に用いて水苔の層を整える。
二人が合流するこの二時間から三時間だけが、静かな熱を帯びた「共同発明の時間」だった。
「……絹、重ねる。……間に、……苔。……これ、……布薄い。……大丈夫?」
「それをこれから検証するのよ。あんたの明日の『見回り』が、最高の耐久試験になるんだから」
「……また、……私の、身体。……でも、試作1号。……完成、近い」
見れば、ルナの近くにも小さ目の同じような物が置いてある。
「……ルナ。……それ。……自分用。ちゃっかり、用意」
リュンヌは、机の隅に置かれた「一回り小さい試作品」を指さし、意地悪く目を細めた。
相棒の完璧主義の裏に隠された、あまりに人間臭い「自分への投資」を見逃すはずがない。
「……説法、より、……自分。……正直、一番」
「な、なによ! これは『開発者自らによる官能評価』よ! 」
いつもより更にけたたましく言葉を重ねるルナ。
「自分が使って不快なものを、高貴な信者様に売れるわけないでしょ!」
ルナは真っ赤になって、慌てて小さい方の試作品を資料の山に隠した。
だが、その手つきはどこか宝物を扱うように丁寧で、彼女もまた「あの不快感」から解放されたいと切に願っているのが丸わかりだった。
「……官能、……ひょうか。……言いかた、上手い。……でも、……本音、丸わかり」
「うるさいわね! あんたは明日、牧場の見回りで『激しい運動時のズレ(スリップ)』を検証してきなさい! 」
ルナはムキになって言い返す。
「私は教会で『長時間の座学』での通気持続性をテストするんだから!」
「……はいはい。……結局、二人で。……被験体。お揃い」
リュンヌは可笑しさが込み上げ、ついには声を立てて笑った。
独占禁止だの、贅沢品だのと理屈を並べていても、結局は二人で「楽になりたい」という切実な願いを共有している。
そして試作品を再度摘まみ上げて気づいた。
「……縫い目、ガタガタ。……これ、……犬の、歯ぎしり」
リュンヌは試作品を指先でつまみ上げ、至近距離でその無残な運命を観察した。
布の端はひきつれ、糸は酔っ払いの足取りのように千鳥足。
ルナの「神がかった計算」と「絶望的な不器用」のコントラストが、そこには凝縮されていた。
「な、なによ! 構造計算は完璧よ! 糸の強度は足りてるし、機能性に支障はないわ!」
ルナは真っ赤になって、自分の「ポンコツな指先」の証拠を奪い返そうと手を伸ばす。
「……計算、一流。……手仕事、四流。……ルナ、……穴だらけ」
「う、うるさいわね! 私は『設計』が専門なの! 実行部隊はあんたでしょ!」
リュンヌは、ふんわりとした水苔の感触を損なわないよう、かつ強固に布を閉じる「正しい針運び」を指でなぞってみせた。
孤独な夜、一人で服の綻びを直してきた指先には、計算では補えない「生活の知恵」が染み付いている。
「……貸して。これ、……私、直す。……肌、……当たる、部分。……痛い、これ」
「……っ。……あ、あんたがそこまで言うなら、監修を任せてあげてもいいわよ」
だが、ルナは目が泳いでいる。
「……お、お願い、リュンヌ。これじゃ私の肌が負けちゃうわ……」
最後は小声で本音を漏らしたルナに対し、リュンヌは勝利の笑みを浮かべた。




