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遠のく「普通」

茹で上がった水苔は試験用だったので大した量ではなかった。


そこで部屋の窓辺に水苔を干して二人はそれを眺めつつ、少し早い夕食を取る。


ルナが


「鍋を別に買っておけばよかったわ。さすがに苔を煮た鍋では食欲が沸かないわ」


と言いつつ、いつも通りスープに入った鶏肉をぱくつく。


「……ルナ、……贅沢。……苔……茹で汁、意外と、いい匂い」


リュンヌはスープを啜り、窓辺で夕風に揺れる水苔の残骸に目をやった。


茹で上がったそれは、採取時よりも鮮やかな緑を湛え、清潔な「素材」としての品格を纏っている。


「食欲は別問題よ。これは『設備投資』としての鍋が必要ね」


ルナは既に新しく鍋を買う事を決めている。


「リュンヌ、明日は中古市場セカンドハンドを回るわよ。安くて熱伝導率のいいジャンク品を叩き売らせるわ」


「……中古品。……更に、……値切る。……店主、泣く」


ルナは鶏肉を咀嚼しながら、すでに脳内の台帳に「煮沸用大鍋」の項目を書き加えている。


「ただ、これは相当なコストがかかるものね」


ルナは半分呆れたように言う。


「売る先を選ばないと。ただ、そのためには相応の完成度が必要ね」


と続ける。


リュンヌは自分が思っていた様な庶民用の代物は難しいとルナが暗に言っているのだと気付く。


「……選ぶ。……また、……遠く、行く」


リュンヌはスープの最後の一口を飲み込み、力なく肩を落とした。


おばちゃんたちと賑やかに分かち合う未来が、ルナの語る「完成度」という壁の向こう側へ遠のいていく。


「当然よ。この手間暇を銅貨数枚で売ったら、それこそ『倒産』という名の地獄行きだわ」


ルナはリュンヌの気持ちなどお構いなしだ。


「まずは貴族階級ハイエンドを満足させる『神器』にまで昇華させるの」


ルナは脂ののった鶏肉をもぐもぐしながら、その瞳に冷徹なまでの野心を宿した。


「……私の、……普通。……夢の、また夢」


「私とあんたは発明者特権よ」


とルナはリュンヌの肩をポンと叩くが、リュンヌは


「……みんな……使える」


とボソッと言う。


ルナは


「これは最初からそれは無理」


と再度言い切った。


「……みんな、……無理。……ルナ、冷たい」


リュンヌは視線を落とし、緑色になった水苔の感触を指先で確かめた。


おばちゃんたちの笑い声や、路地裏で蹲る少女たちの顔が脳裏をよぎる。自分が救われる「効率」を、なぜ皆に分け与えられないのか。


「いい、リュンヌ? 感情論はコストの無駄よ。今のこの工程、どれだけの『人件費』と『燃料費』がかかってると思ってるの?」


ルナは人差し指を立て、現実という名の鋭い刃を突きつける。


「……手間、かかる。……だから、……高い。……わかる、けど。」


「わかってないわ。中途半端な知識で広まれば、不衛生な模造品で病人が出る。それは『市場の崩壊』よ。」


ルナの口調は言い聞かせる調子だ。


「まずは私が完璧な『聖女の規格スタンダード』を作る。普及はその利潤を回収した後、次のフェーズの話だわ」


「……ふぇーず。……また、……難しい。……でも、……約束。……いつか、……みんな」


リュンヌは相棒の瞳をじっと見つめた。特権階級の贅沢品として咲く布。その美しさがいつか、路地裏の隅々まで届く日のために。


「……信じる。……ルナの、……強欲の、先」


「いい心がけね。さあ、明日は『究極の布』を求めて、市場を震撼させるわよ!」


「……市場、……騒ぎ、起こす?」


リュンヌは深いため息をつきながらも、相棒が描く「高コストな未来」に、自らの足跡を重ねる覚悟を決めた。


そして、リュンヌとルナの奇妙な実験が始まって早くも2週間が経った。


「……ルナ、……珍しい。……自分でも、触ってる。」


リュンヌは、端切れの山に顔を埋めるようにして、真剣な表情で布を指でなぞるルナの姿を不思議な気持ちで眺めていた。


あの「クソマズ粉末」の時は、自分を実験体モルモットにして、横から冷徹にデータを取るだけだったのに。


「……今回、……気合、違う」


「当たり前じゃない。経口摂取と違って、これは『装着』するものなのよ。長時間、最も繊細な場所に触れる素材よ? 」


クソ真面目に言うルナがリュンヌには少しおかしく思える。


「わずかな摩擦ストレスが、そのまま不快感という名の『コスト』になるんだから」


ルナは、ある時は高級なシルクを、ある時はあえてざらついた綿布を、自分の肌に当てては唸っている。


「……ルナも、……女子。……やっぱり、気にしてた」


「……っ、変な意味に取らないでよね! これは徹底的な『ユーザー視点』の追求よ」


リュンヌのツッコミにルナは慌てて手を布から離す。


「自分で納得いかないものを他人に高値で売りつけるなんて、商売人として二流だわ」


少しだけ頬を染めて反論するルナを見て、リュンヌは小さく口角を上げた。


相棒のこの異常なまでの執念は、単なる金儲けのためだけではない。


自分たちが抱える「生理的バイオロジカルな不条理」に対する、彼女なりの宣戦布告なのだ。


「……納得。……でも、……ルナ。……その布、苔、こぼれてる。」


「えっ、ちょっと! 私の神官服ビジネススーツが! リュンヌ、早く払うもの持ってきて!」


「……はいはい。……研究、忙しい。」


リュンヌは苦笑しながら、実験で散らかった部屋の片

付けに取り掛かった。


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